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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (東照宮)

東照宮 東照宮は、信枚の正室満天姫が徳川家康の養女であったことから、寛永元年(一六二四)、天守閣の近
通史編3(近世2) (清安寺)

信枚の正室満天姫(まてひめ)が寛永十五年(一六三八)に死去すると、四世通讃によって剃髪がなされた。
通史編3(近世2) (津梁院)

信枚はそれまでの曹洞宗から天台宗に改宗し、正室に家康の養女満天姫(まてひめ)を迎え、家康に影響力を持つ
通史編2(近世1) (信政の襲封と黒石分知)

、幕府は信義の嫡子信政(のぶまさ)に対して跡目相続を許すとともに、二代藩主信枚の次男(信枚とその正室満天姫
通史編3(近世2) (薬王院)

慶長十六年(一六一一)、徳川家康の養女満天姫が信枚のもとに嫁したことから、寛永元年(一六二四)、信枚の
通史編3(近世2) (黒塗、朱塗、蒔絵に加わった変わり塗)

宝暦三年(一七五三)、お抱え絵師泰如春・今村正元古慶は、信枚室葉従院(満天姫)の霊屋補修に必要な絵の具
通史編3(近世2) (江戸時代前期の建築)

明鏡台に徳川家の家紋が描かれているのは、満天姫が徳川家から輿(こし)入れした人物だったからである。
通史編2(近世1) (津軽信枚の越後転封)

が幕府に働きかけたためとか、幕府の政治顧問天海(てんかい)僧正に信枚が働きかけたためとか、信枚の正室満天姫,図66.満天姫画像 図67.天海画像  なお、この転封騒ぎの時、国元に信枚の国替情報を
通史編2(近世1) (信義の襲封)

津軽信義画像  信義の正室は、松平因幡(いなば)守康元の三男康久の三女富宇(ふう)で、二代藩主信枚の正室満天姫
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長十六年(一六一一)六月二十五日、徳川家康の養女満天姫、津軽信枚へ入輿。
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