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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (満州事変勃発と小学校)

満州事変勃発と小学校 昭和六年(一九三一)九月十八日満州事変が勃発した。,防空演習は満州事変勃発によって行われたもので、市長が指揮者となり軍隊と協同でなされた。 / 満州事変勃発と小学校
通史編5(近・現代2) (満州事変から太平洋戦争へ)

満州事変から太平洋戦争へ 満州事変が勃発した昭和六年九月から、日本は軍国主義化への道を突き進んでいった / 満州事変から太平洋戦争へ
通史編5(近・現代2) (当局による移民の促進)

その改善策の一つとして推進されたのが、満州移民の推進策に基づく開拓事業だった。,新満州青森村の実現に向けて邁(まい)進中だった。  ,青森県当局が督促していた新満州青森村の実現も、大局的には文部省が進めていた満州建設勤労奉仕隊の活動の一環,これらの事業が官製による満州移民の促進計画だったことは否めなかった。,満州に夢を求め、移民に希望を託して大陸に渡った人々は多かった。
通史編5(近・現代2) (郷土部隊の出征)

満州事変が関東軍の石原莞爾を中心とする謀略事件であったことは周知の事実である。,昭和七年三月一日、満州事変の最大目的の一つだった満州国が成立した。,満州事変の最大の目的は満州国の成立にあった。,だが満州国をうち立てた関東軍は、熱河省の侵攻に踏み切った。,歌詞を見ると「祖国日本の生命線、満州の空戦雲はれて」とある。
通史編5(近・現代2) (移民問題の背景)

移民問題の背景 満州事変の目的が満州国の育成にあったことはいうまでもない。,そのため満州国への移民政策は国策として積極的に推進された。,満州移民は不況下にあった日本の人口問題や食糧対策の一環であり、全国的にその督促が叫ばれていた。,距離的にも青森県や東北地方は満州国に近く、その意味で移民政策は大変重要視された。  ,軍部の協力のもとに、在郷軍人約五〇〇人を募集し、九月十日から内地で約三週間基礎教育を行い、十月四日から満州
通史編5(近・現代2) (方言詩集『まるめろ』)

すでに青森日報社を退社し、満州医科大学で学んでいた高木恭造は、十四年には第三詩集『鴉(からす)の裔(すえ,)』で第一回満州文話会作品賞(資料近・現代2No.六四八)を受賞するなど、医学を学びながら詩作にも励んでいた,終戦後に満州を引き揚げ、弘前市で眼科医院を開業、以後精力的に朗読会を開き、方言詩の魅力を全国に広げることになる
通史編5(近・現代2) (一 昭和初期の初等教育)

しかし、昭和六年(一九三一)九月の満州事変勃発を契機に、国家全体が準戦時体制へと移行したため、教育もまた,教育現場では昭和五、六年ごろまで大正デモクラシーと新教育の流れが影響を与えてはいたが、満州事変後は国家主義思想,心理や生活を重んずる教育上の工夫がなされていて、その面では世界的水準の教科書といわれたが、内容的には満州事変後特
通史編5(近・現代2) (米穀の統制と自作農創設)

国内の農業・農民問題の解決のためにとられたもう一つの対外的施策は満州農業移民である。,青森県は「満州移民分村」「満州青森村分県隊員」を募集した文書を配布し、満州開拓の「意義」と補助・特典を,宣伝した(「満州移民分村に就て」、同前No.二二九)。
通史編5(近・現代2) (撃剣家・市川宇門)

大正六年(一九一七)、関東都督府(旧満州)巡査兼外務省巡査を命ぜられ剣道師範となる。,数々の全国大会において、勇猛な気と剛剣を天下に知らしめ、さらに国内はもとより遠く旧満州までその名を轟かせた
通史編5(近・現代2) (佐藤正三と二・二六事件)

そこには渋川善助がおり、しかも満州から凱旋した對馬勝雄中尉も居合わせ、昼食を挟んで〝快談〟した。,五月満州へ旅立つ。青森駅を発つとき、第五連隊の末松太平中尉が見送った。,満州で得たものは、真実の満州の姿と日本を眺めたこと、そして自己のあまりにも無力なことだった。
通史編5(近・現代2) (對馬勝雄のノート)

そして對馬は満州へ出征し、同志菅原軍曹を失った。
通史編5(近・現代2) (通俗教育から社会教育へ)

低調な社会教育がにわかに活気を帯びるのは、昭和六年(一九三一)九月十八日勃発の満州事変以後である。,満州事変、上海事変、そして昭和十二年の日華事変と続くなかで、日本の教育は戦時教育に移行し、昭和十六年十二月八日
通史編5(近・現代2) (野村三郎と五・一五事件)

その後陸軍省の後援で満州へ渡り、満州国軍に入り、中尉に任官、ロシア語が得意だったので、三江省佳木斯(チャムスク
通史編5(近・現代2) (東亜連盟同志会の活動)

研究会では、汪兆銘南京政府の無力、満州建国理念の関東軍独裁による堕落などを論じた。  
通史編5(近・現代2) (東門会の創立)

父の思想を受け継ぎ、日本の日露戦争勝利によるアジアの覚醒、特に反共の砦ともなる満州への積極姿勢が後輩を
通史編5(近・現代2) (昭和初期の弘前女学校)

中川校長となった翌六年からは、四方拝の式、出征兵士の見送り、招魂社の参拝、満州事変記念閲兵式にも参加するなど
通史編5(近・現代2) (東門会の佐藤正三)

九月廿六日 晩七時から伊東六十次郎兄の「満州問題の世界史的考案」の講演会が第一大成小であり。,写真80 満州へ出動する第8師団  一部資本家や政党政治屋の為めに我等国民の国家を左右されるならば
通史編5(近・現代2) (争議の顛末)

昭和六年九月十八日満州事変が始まり、弘前の第八師団も大陸に出動、軍事色が濃厚となり、電灯争議を終結させようという
通史編5(近・現代2) (不況と失業問題)

また、満州事変の勃発に伴い、市内に所在した第八師団が出動し、市内が寂寥を感じさせる状態であることが指摘
通史編5(近・現代2) (市会の勢力図)

市会の勢力図 昭和七年の五・一五事件の後、斎藤実内閣は挙国一致内閣を樹立、満州国承認、国際連盟脱退を
通史編5(近・現代2) (りんご加工業と輸出)

にウラジオストクがソビエト政権統治下に入って以降、禁止的関税がかけられて途絶し、ウラジオストク経由の満州輸出,一方、中国大陸では昭和六年(一九三一)の満州事変以来、日貨排斥運動が高まるが、輸出先は中国から、南洋、
通史編5(近・現代2) (戦争を挟んで)

学生部会員は一万人を突破、一般会員も一二〇〇人を超え、支部は一五〇を超え、北は樺太から南は台湾、さらに満州
通史編5(近・現代2) (東亜連盟)

東亜連盟 佐藤正三は、昭和十三年一月十日召集され、旭川歩兵第二六連隊に入営、三ヵ月後、満州の駐屯地チチハル
通史編5(近・現代2) ([付図])

戸焼失〈昭和3年〉 5 弘前中学生徒のストライキ~嶽温泉に籠城〈昭和6年〉 6 満州事変
通史編5(近・現代2) (国民体力の管理化)

満州事変以降、日本軍が外地出征を本格化させるにしたがい、政府や軍当局にとって戦地に出ていく若い男性、それも
通史編4(近・現代1) (『曠野の花』に描かれた笹森儀助)

満州は危険が多い。無理は失敗のもとです。どうぞ御大切に、十分注意して目的を達成して下さい。
通史編5(近・現代2) (弘前市にとっての第八師団)

ところが第八師団のお膝元である弘前市は、まだ軍縮時代の名残が強い満州事変以前の時期でも、郷土軍を誇りに
通史編4(近・現代1) (農業団体の発展)

大正十三年(一九二四)、満州に渡り、りんご栽培を指導し、昭和九年(一九三四)に中国大連で逝去した。
通史編4(近・現代1) (城西小野球部全国大会出場)

同年四月城西小学校訓導に就任して、昭和十三年まで二二年間勤続、その年退職して満州に渡り、教育行政に当たった
通史編5(近・現代2) (復員・引揚げ対策の開始)

突然の敗戦により、外地とくにソ連の来襲を受けた旧満州地域の人々や、南方の太平洋戦線で死闘を繰り返していた
通史編5(近・現代2) (東北庁設置の要望)

ナルモ、一旦蹶起センカ、義ノ為メ身命ヲ賭スルノ特異性ハ、彼ノ日露戦役ニ於ケル奉天及黒溝台ノ会戦、近クハ満州事変
通史編5(近・現代2) (経済更生運動と計画)

経済更生運動と計画 昭和六年の満州事変以後、戦火の強まる中で国民の生活、特に農村部の疲弊が強まっていった
通史編1(自然・原始) (大正時代)

しかし一方では、大山柏(おおやまかしわ)(一八八九~一九六九、日露戦争時に満州軍司令官として活躍した大山巌
通史編5(近・現代2) (県内の社会運動の状況)

「昭和六年秋突発した満州事変を転機として著しい擡頭振りを示し、方向を共にする各種団体が生まれて来ているが
通史編2(近世1) (金木屋日記にみる対外危機)

さらに、列強の東洋侵略に対しても、清国の天子は敗北して北京から故地の満州に逃げ込んだが、我が国では神武
通史編5(近・現代2) (翼賛選挙)

他の二人は旧民政党の長内健栄と満州国高官たった楠美省吾だった。
通史編5(近・現代2) (日中戦争の勃発)

関東軍に引きずられる形で事変を拡大してきた満州事変とは違い、この時は政府自らが出兵を容認し、国民全体に
通史編5(近・現代2) (戦時生活の諸側面)

ラジオはすでに満州事変前後には、新聞と並ぶメディアとして台頭しつつあった。
通史編3(近世2) (一一代順承の治世)

また、イギリスやロシアなどの西欧列強のアジア侵略に対しても、清国の天子は故地の満州に敗走したが、日本は
通史編5(近・現代2) (東奥義塾の昭和)

写真65 東奥義塾校舎(昭和6年11月)  満州事変後は、非常時という意識が高まり、学校へも戦争
通史編4(近・現代1) (黒溝台の死闘)

その後の日本は第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争を経て敗戦し、第八師団自体
通史編5(近・現代2) (新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)

……………………  2   二 弘前市にとっての東北振興 …………………………………  9   三 満州事変,………………  21   四 秩父宮の来弘 …………………………………………………  27   五 満州移民
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