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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(三 北奥宗教界の中世的転回)
伝最明寺時頼鎌倉副元帥北條相模守、之妾唐糸ト云者、謫(テキ)二死於此所ニ一、其古墳石碑等存ス二于今一、因而名レ之 曹洞縁起誌
滿藏寺
之篇,其後世乱レ邦忙フシテ而終不シテレ全セ二寄与地一、而有無相半ハス因テレ之、又改メ二宗曹洞ニ一、更ヘテ二名ヲ
滿藏寺
,墳墓ノ地者、名耳(ノミ)旧フリテ而謂レ断ツト二寺跡ヲ一、 この一文によれば、唐糸御前の旧跡を伝える
満蔵寺
跡,その後、幾星霜を経て「
滿藏寺
」と改名して曹洞宗寺院となり、現在も曹洞宗の名刹・長勝寺門内に存在する。,この一文を通して、一寺の来歴も決して平坦ではなく、「平堂教院」→「靈臺寺」→「護国寺」→「
滿藏寺
」というように
通史編1(古代・中世)
(津軽の唐糸伝説)
図39 北東北の唐糸伝説に関係する地域 まず、市内の唐糸山萬蔵寺にあったという「唐糸山
満蔵寺
毘沙門天尊像之縁起
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
満蔵寺
同右 耕春院 弘長年間 (一二六一~六四) 平時頼 常陸阿闍梨 藤先村 (藤崎町) 同右,護国寺は、堂教院→霊台寺→護国寺と名を改め、臨済宗から改宗して曹洞宗の
満蔵寺
となった。,この天台宗から真言宗への改宗を伴う久渡寺に次いで伝えるのは、藤崎町の護国寺の旧跡の
満蔵寺
である。
資料編1(古代・中世編)
(一 銅鐘)
護国寺は後に
満蔵寺
となり、慶長年間(一五九六~一六一五)、弘前藩の寺院政策により西茂森町の禅林街に移され
通史編1(古代・中世)
(四 中世津軽の宗教世界の特色)
の坂上田村麻呂とセットに考えられる神社の創建と天台宗寺院の造立と通底する、かの執権時頼による護国寺(
満蔵寺
通史編1(古代・中世)
(四 執権時頼の東国廻国をめぐって)
しかし現実には北奥においては、その古代から中世にかけて先の「
滿蔵寺
」の沿革に例をみるように、「平堂教院,」→「靈臺寺」→「護国寺」→「
滿蔵寺
」と寺名のみならず、その宗派名も天台宗→臨済宗→曹洞宗というように
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
(11) 報恩寺 同右 江戸輪王寺 明暦三年 (12) 長勝寺 曹洞宗 加賀宗徳寺 大永年中 藤崎
満蔵寺
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