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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (嘉元鐘銘文に登場する鎌倉武士)

「源光氏(みつうじ)」は、弘前市中別所の正応元年(一二八八)銘の板碑(資料編1六一一頁・写真115)にもその,陸奥にも源姓氏族は多いが、光氏の苗字は不明。,、これらの源氏は現在の弘前市高杉あたりにいた豪族と考えられている。,光氏もあるいは高椙氏などを名乗っていた可能性が高いとされる。,写真115 正応の板碑(重要美術品) 源光氏の名がある。  
資料編1(古代・中世編) (三 板碑の造立者とその時期)

弘前市中別所の板碑は、弘安十年(一二八七)から応永四年(一三九七)にかけて造立されており、碑面に見える高椙郷主源一族,この板碑群に含まれ、国の重要美術品に指定されている正応元年(一二八八)七月造立の板碑には、「源光氏」の,源光氏の名は、長勝寺の「嘉元鐘」にも刻まれており、板碑から在地の豪族の活動を知ることができる。  
資料編1(古代・中世編) (一 銅鐘)

源光氏は中別所の正応元年(一二八八)銘の板碑にも名前を刻んでいる「高椙郷主」である。
資料編1(古代・中世編) (七 板碑の発見と保護の状況)

先に述べたように、中別所の源光氏の板碑は国の重要美術品に指定されており、深浦町関の板碑群は県の史跡に指定
資料編1(考古編) (5.荼毘館遺跡)

なお、本遺跡周辺には中世城館跡が多く存在し、また、正応元年(1288年)などの年号や源光氏などの氏名の,刻まれた板碑群が2か所(公郷塚・石仏)あり、源氏一族の活動の舞台となった地域として広く知られている。
資料編1(古代・中世編) (六 板碑の調査・研究史)

なお、中別所の源光氏の碑は昭和十七年(一九四二)、国の重要美術品に指定された。  
通史編1(古代・中世) (四 執権時頼の東国廻国をめぐって)

大事」なる営みは、右の得宗家に流れる血脈を強調する史料(三)から推しても、貞時の祖父時頼にも十分、遡源するに, 謹書   丹治宗員 平 經廣  大工 大夫入道 嘉元四年丙午八月十五日  施銭檀那見阿弥陀仏  源 ,光氏 僧 證嚴 大檀那相模州菩薩     沙弥道暁 沙弥行也  沙弥道法 藤原宗直 戒弟子 崇演       ,このように、長勝寺に現存する梵鐘とは、紛れもなく時頼とその護持僧の道隆の法交の産物である護国寺に遡源するものである,「源光氏」は弘前市中別所の正応元年(一二八八)の板碑(写真148)にも見える人物で、光氏の姓は不明であるが
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