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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(糖部郡での論功行賞)
師行は、清和
源氏
義光の流れをくむ甲斐
源氏
の一族である。
通史編1(古代・中世)
(「東夷征討」祈願)
写真71 源頼俊申状 その主人公の一人源頼俊は、清和
源氏
頼親流にして頼光・頼信の兄弟で「大和
源氏
,祖父頼親の跡を継いで大和
源氏
棟梁の地位にあり、又従兄弟の「河内
源氏
」棟梁義家(当時三一歳、下野守として
通史編3(近世2)
([口絵])
(左隻) 口絵8 弘前八幡宮祭礼絵馬 口絵9 一ノ矢藤太郎 口絵10
源氏
山頼五郎
通史編1(古代・中世)
(頼朝の全国制覇)
源氏
の嫡流、武家の棟梁たる頼朝が厨川柵に立ったこの日、治承四年以来の内乱は終わりを告げ、東北地方も頼朝
通史編1(古代・中世)
(日の本将軍と鎮守府将軍)
『尊卑分脉脱漏平氏系図』『山椒大夫』『清和
源氏
系図』などでは、安藤氏以外に日本将軍を称したという事例がみえる
通史編1(古代・中世)
(治承・寿永内乱下の秀衡)
平氏政権打倒を目指す、源頼朝(よりとも)をはじめとした全国的な武装蜂起のなかで、秀衡の存在は、平氏側からも
源氏
側,されるのが通例)、続けて「大略、大将軍(平宗盛)等、計略尽くしおわんぬか」と記したのは、それが平氏による
源氏
牽制
通史編1(古代・中世)
(後三年合戦)
苦戦を聞いた新羅三郎義光の参戦などもあって、義家・清衡同盟を介して一気に奥羽地方への支配権拡大を目指す
源氏
通史編2(近世1)
(津軽家の自己認識確立への試み)
それによれば、家光―家信―光信(みつのぶ)―盛信は
源氏
、政信―為則(ためのり)―守信―為信は藤原氏とされている,しかし、十七世紀では、藩主自身が
源氏
から藤原氏への転換を自家の系図に記すとともに、南部家からの津軽伐(
通史編1(古代・中世)
(陸奥・出羽の在庁官人たち)
そしてその鎮守府将軍・秋田城介には、次第に
源氏
・平氏といった軍事貴族が任命されるようになっていった。
通史編2(近世1)
(中世の比内浅利氏)
中世の比内浅利氏 比内浅利氏は、甲斐
源氏
(かいげんじ)の一族であり、浅利与市義遠(よいちよしとお)を
通史編1(古代・中世)
(奥州惣奉行葛西清重)
厨川柵にとどまること七日余の長きにわたったのは、先にも触れたように、この地が
源氏
ゆかりの場所であって、
通史編1(古代・中世)
(泰衡の死)
九月二日、頼朝は平泉を出て、前九年合戦以来、
源氏
にとっては因縁の場所である厨川柵を目指して出発した。
通史編1(古代・中世)
(阿津賀志山の合戦)
源宗山とは
源氏
の宗家のよった山の意味であるというのである。
通史編3(近世2)
(信寿・信著・信寧時代)
俳人としては涼袋(りょうたい)、和歌・片歌(かたうた)・国学・読本(よみほん)では綾足と名のり、『俳諧
源氏
通史編1(古代・中世)
(嘉元鐘銘文に登場する鎌倉武士)
大型板碑のなかに「源泰氏(やすうじ)」の名があり、泰氏は「高椙(たかすぎ)郷主」というから、これらの
源氏
資料編1(考古編)
(5.荼毘館遺跡)
また、正応元年(1288年)などの年号や源光氏などの氏名の刻まれた板碑群が2か所(公郷塚・石仏)あり、
源氏
一族
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
ちなみに八幡神は南部氏=
源氏
の氏神でもある。
資料編1(古代・中世編)
(出典・典拠一覧(第一章・第二章))
…………………………………………………………………………………………………… 権祝本影印本 せ 清和
源氏
系図
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
… 足利家将軍系図・清和
源氏
系図 214 ●観応二年(一三五一・南正平六)正月六日、幕府分裂(観応の擾乱
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