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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (鎮守府将軍源頼義)

鎮守府将軍源頼義 安倍氏を押さえるため、中央政府は登任に代えて、源頼義を陸奥守とし、また彼に鎮守府将軍 / 鎮守府将軍源頼義
資料編1(古代・中世編) ([十一世紀])

源頼義、河崎柵で安倍貞任に敗れる。 ●康平五年(一〇六二)春、陸奥守源頼義任終。,●康平五年(一〇六二)八月十七日、源頼義、小松柵で安倍宗任を破る。,●康平五年(一〇六二)九月五日、安倍貞任、源頼義の本営を襲撃し敗れる。,●康平五年(一〇六二)九月六日、源頼義、衣川関・鳥海柵を陥す。,伊予守源頼義、貢上。
通史編1(古代・中世) (「東夷征討」祈願)

清和源氏頼親流にして頼光・頼信の兄弟で「大和源氏」と称された頼親の孫にあたり、頼光の嫡孫頼綱(頼政の祖父)や、源頼義,ちなみに源頼義による前九年合戦の報賽供養願文は、康平七年かその翌年、当代一流の学者として知られる藤原明衡
通史編3(近世2) (熊野宮)

また坂上田村麻呂・重明親王・源頼義・藤原秀衡・源義経・平時頼・源頼家・安陪師季・源行定・藤原家貞が寄進
通史編1(古代・中世) (多宇末井の梯)

この逃走経路は、かつて前九年合戦のとき、源頼義が安倍頼時を背後から脅かそうとして、銫屋(かなや)・仁土呂志
通史編1(古代・中世) (田村麻呂と頼朝)

また頼朝は、前九年合戦の源頼義の故事を重視していたこともよく知られている。  
通史編1(古代・中世) (清原氏の登場)

たけさだ)、第二陣は橘貞頼(さだより)、第三陣は吉彦秀武(ひでたけ)、第四陣は橘頼貞(よりさだ)、第五陣は源頼義
通史編1(古代・中世) (エゾ呼称の発生)

同じ事例は他にもあり、やはり『今昔物語集』の説話に、「源頼義朝臣、安陪貞任らを罰ちたる語」(巻第二五の
通史編1(古代・中世) (後三年合戦)

やがて真衡とその異母兄弟清衡・家衡らが衝突し、そこに北方世界の支配者としての自負と野望をもつ源頼義の嫡男義家
通史編1(古代・中世) (前九年合戦の勃発)

頼時がこの夷と同心との噂があったので、源頼義が彼らを攻めたところ、頼時は、いまだ頼義公に攻められて勝ったものはいないといい
通史編1(古代・中世) (奥州合戦の勃発)

そのことは、自らの「奥州討伐」を、これから折に触れて述べるように、前九年合戦の源頼義の故実に倣って実施
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

源頼義、陸奥守として下向。頼良、頼時と改名し帰順。,八月、源頼義に安倍頼時追討を命じる。十二月、征夷続行のため頼義、陸奥守再任。,源頼義、河崎柵で安倍貞任に敗れる。,…………………………… 陸奥話記 111 ●康平五年(一〇六二)春、陸奥守源頼義任終。,伊予守源頼義、貢上。
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