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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (青森商社の設立)

右の商社設立布令は三月二十五日に滝屋のもとへ伝達されたが、彦太郎は商社、商社といっているが、いまだその,その後、商社組織は順次固められて行き、青森に本局が、弘前に取次所が設置され、六月十六日に青森では頭取に滝屋,諸会合には滝屋の屋敷が使われ、弘前側の商人たちも青森に来るたびにここに宿泊した。,加えて商社のためにも尽力せねばならなかった滝屋の負担は大きかった。,藩からの役人が一人、青森の米金仲買一二人のうち二人が五日交替で詰め、通い番頭一人・手代二人が常駐し、滝屋
通史編2(近世1) (対蝦夷地政策と青森商人の商業活動)

安政三年(一八五六)四月、青森の廻船問屋滝屋善五郎は、同じく青森の廻船問屋である藤林源右衛門とともに、,その後分領支配が開始されても、滝屋と藤林家は、箱館奉行所との間に物資の購入・輸送を通じて引き続き関係を,万延元年(一八六〇)、青森の商人は、滝屋が仙台藩、藤林家が会津藩、金沢屋が庄内藩の御用達に任命された。,滝屋は仙台藩の御用達として、船の調達や、渡海する藩士・物資の輸送、青森における藩士の旅館としての役割を,その一方で、滝屋はスッツの津軽弘前藩出張陣屋の入用品の一部を移送している。
通史編2(近世1) (幕末期の蝦夷地交易)

幕末期の蝦夷地交易 先に述べた滝屋・藤林ら青森商人は、何も外国交易にだけ熱心だったのではない。,たとえば、滝屋は藩の御用を勤める一方、大顧客として箱館奉行所の注文をたびたび受けている。,この他に滝屋が箱館奉行所に売却した物資は種籾・大豆・小豆など実に種類が多く、特に文久二年(一八六二)正月
通史編3(近世2) (幕末の交易活動)

それと同時に青森の廻船問屋滝屋(伊東)善五郎や藤林源右衛門は箱館奉行所の御用達(ごようたし)に任命され,松前藩および東北六藩の分領支配とされると、蝦夷地警備を媒体(ばいたい)とする交易の傾向はさらに強まり、滝屋
通史編3(近世2) (青森商社の終末と意義)

これらの事情を滝屋は、商社は「当青森ノ為メ方ニ相成候義更々無之」と不満を述べている(「家内通観」明治三年七月晦日条,滝屋の日記から判断すると、今村は野心的な商人であったようで、手船で領外各地の産物集めに奔走(ほんそう)
通史編3(近世2) (戦争の波紋)

戦争の波紋 当時の様子について、青森商人滝屋善五郎は二月四日の日記に、大坂で徳川慶喜が朝敵になり、蒸気船
通史編2(近世1) (対外交易の実態)

箱館奉行所や東北諸藩の御用達(ごようたし)に任命された廻船問屋滝屋(たきや)善五郎や藤林源右衛門などがその,滝屋善五郎の日記によると、この時には一〇〇石分の昆布の輸出が計画された。  
通史編2(近世1) (青森騒動の経過)

俵 大豆125俵 「青森一番分限」 米町 吉田屋三郎次 米 18俵 大豆300俵 米町 滝屋伝七,米町名主 米町 村林平次 米 63俵 大豆623俵 「近年出来分限」 浜町 滝屋善右衛門 米
通史編3(近世2) (商社の活動内容)

これらは滝屋・金沢屋・河内屋の蔵にいったん収められ、弘前側加担商人の到着を待って売りさばかれることとなった,昆布は俵物に仕込む産物として主要な輸出品であり、滝屋も積極的に商品開発を進めていたが、商社設立により、
通史編3(近世2) (商社の収支実態)

そのためか、商社頭取の滝屋も「家内通観」の中で事務が暇なことをしばしば述べており(「家内年表」明治二年八月十五日条
資料編2(近世編1) (【解説】)

津軽家文書、八木橋文庫、旧八木橋文庫蔵史料、弘前藩庁日記(国日記)などの日記類、青森県立図書館所蔵の瀧屋文書
通史編3(近世2) (新政府からの借財と藩札の発行)

このころ、青森の廻船問屋滝屋善五郎は日記の中で、いまだに藩が支払うと約束していた兵隊の宿代も下されず、
資料編3(近世編2) (【解説】)

三は青森瀧屋伊東氏か。そのほかの符丁については不明。
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