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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(林政の展開と漆木の栽培)
林政の展開と
漆木
の栽培 信政の時代、藩は林政に力を入れだし、山林制度を確立した。,植林と同様に
漆木
の植え付けも盛んに行われた。,さらに正保年間に
漆木
は八万本以上に増加する。,表24 寛永7年の
漆木
植え付け場所と本数
漆木
植え付け場所(現地名) 本数(本) 大浦城跡(岩木町賀田,主たる仕事は春秋二回の領内見回り、
漆木
栽培可能な場所の見分、各村に専属で置かれた漆守の支配、および漆掻 / 林政の展開と
漆木
の栽培
通史編2(近世1)
(漆の栽培奨励)
藩は享和元年(一八〇一)、一般の農民に向けて漆栽培のための農書「
漆木
家伝書」を成田五右衛門に命じて作成,漆守には、
漆木
の個人所有を認め、樹液のうち藩への上納が二割、残りの八割を藩が買い上げることとし、樹液生産,「
漆木
家伝書」は、このような商品作物としての漆栽培の利潤を豪農層へ宣伝して、栽培を広めようという目的もあった,さらに漆栽培について一定の成果が上がると、漆仕立証文が下付され、子々孫々にわたる
漆木
の所有が認められたほか,このような豪農層への経済的・名誉的な見返りによって、漆の木もしだいに増加し、「御郡内
漆木
実数調帳」(国史津
通史編2(近世1)
(漆の集荷・販売体制)
「
漆木
家伝書」によると、この書が書かれた段階で領内で集荷された樹液(水漆)のうち、藩で使用するのが七割,実際にどの程度他領に販売されたか不明ではあるが、「
漆木
家伝書」でも順調に栽培数が増えた場合の他領販売を
通史編2(近世1)
(漆栽培奨励策の行き詰まり)
いくら「
漆木
家伝書」で啓蒙しても、漆は畑作物に比べて生育するのに時間がかかり、すぐには利益を上げられない,図169.
漆木
家伝書 目録を見る 精細画像で見る 図170.漆仕立絵図 その一方で
資料編2(近世編1)
(【解説】)
漆木
も寛永七年(一六三〇)、各村に五万本の移植が進められて以来、順次領内各地へ植林が奨励され、四代藩主津軽信政,であるから、領主権力が特段の精力を注入したと考えられる、尾太(おっぷ)鉱山の開発と経営に関する史料と、
漆木
通史編2(近世1)
(その後の漆栽培奨励策)
たとえば赤石組の場合文政元年に五万八〇〇〇本余だった
漆木
が、文久元年(一八六一)では一四六万六〇〇〇本余
通史編4(近・現代1)
(城跡の荒廃)
貸し付けた記事が見えて、新谷平太郎は二の丸馬場跡の桑の木四九三株のある土地を拝借、また、四の郭北側の
漆木
通史編2(近世1)
(飢餓対策における殖産政策)
これに先立つ明和八年(一七七一)には、古くからの産物である漆も栽培の奨励が行われ、
漆木
を栽培する百姓には
通史編2(近世1)
(高照神社の造営と「名君」信政像の創出)
においては新田開発が推進され、岩木川の治水、屏風山植林、山林制度の整備、鉱山の開発、養蚕・織物の振興、
漆木
通史編3(近世2)
(諸家業と職人)
山漆実買請所は寛政期には無役家業であったが、
漆木
の増産計画によって扱いが変わったためであろう。
資料編3(近世編2)
(【解説】)
また塗物の原材料となる
漆木
の栽培関係については、資料編2の第四章「産業と海運の発達」第一節「殖産政策の
資料編3(近世編2)
(【解説】)
第三項ではこのほか、化政期以降の藩政の流れの中で、より積極的に推進された殖産策としての
漆木
の植林と、農業従事者確保
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