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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (東奥義塾)

東奥義塾 明治五年五月、漢学校と英学校を合併する議が起こり、追手門外の旧藩軍事局の建物(寛政八年稽古館,このような状況下で、かつて藩命で慶応義塾に学び帰県した菊池九郎は、漢学教師兼松成言と英学教師吉川泰次郎
通史編3(近世2) (英学寮)

しかし、皇漢学者と洋学者とは肌合いが合わず、学舎を同じくすることを好まず、結局のところ明治四年正月に英学寮,旧家老津軽廷尉の邸宅とで修学することとなり、また敬応書院も同九月に廃されて、城内二の丸の旧藩知事承昭の私邸で漢学
通史編3(近世2) (野本道玄)

母の家に育てられ、洛北鷹峯(たかがみね)に住んで漢学や仏学に通じ、長じて赤穂浅野家に仕えていた一樹庵三世野本道玄
通史編3(近世2) (津軽永孚)

津軽永孚 津軽永孚(一七七三~一八二八)は家老津軽多膳の子で、幼年より漢学を山崎図書(蘭洲)に従って
通史編2(近世1) (乳井の略歴)

(『伝類』)  さらには漢学や算数を教え、村に文化をもたらした。,此の村中男女一文字をだに知るものなかりしが、貢が蟄居中弟子多く出来、漢学・算術に熟達するもの数人出て、
資料編2(近世編1) (第二節 乳井貢の思想【解説】)

幽閉地では水田を開き、村人に数学・漢学を教え父母の如く慕われた。
通史編3(近世2) (森内繁富)

森内は漢学に広く通じ、また「乳井貢の算術に熟練」していたという(「遠眼鏡」『伝類』)。
通史編4(近・現代1) (私学東奥義塾の終焉-公立への移管)

保守派勢力は公然と東奥義塾の教育方針を非難し、旧藩主に東奥義塾を廃して皇漢学塾復興を請願した。
通史編5(近・現代2) (在府町に生まれる)

明治四年(一八七一)、五十石町の古川他山塾に入り漢学を学ぶ。
通史編4(近・現代1) (巡幸の日誌と弘前)

次に、内閣文書記官一等編修官川田剛は、後に明治時代を代表する漢学者となり、宮中顧問官にまでなった人物であるが
資料編3(近世編2) (二 思想)

森内は漢学に広く通じ、また「乳井貢の算術に熟練」していたという。
通史編4(近・現代1) (草創期の外国人教師たち)

特に教えた生徒たちについては、その勤勉さや優秀さ、漢学の影響を受けた学習方法などを書き残しており、当時
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