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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (深沙宮)

元亀二年(一五七一)ともいわれるが、別当を兼帯していた乳井毘沙門宮(現乳井神社)の福王寺玄蕃は、大光寺城主瀧本重行
通史編3(近世2) (神宮寺)

熊野系の修験である福王寺玄蕃が乳井(にゅうい)毘沙門宮と兼帯したが、のち大光寺城主瀧本重行によって滅ぼされた
通史編1(古代・中世) (為信の離反)

このときは「大光寺之勢以ての外強く、大浦殿漸帰り候」というが、翌年正月には再度大光寺城を攻め、城代瀧本重行
資料編1(古代・中世編) (二 乳井茶臼館の歴史)

乳井氏は、もともと独立の領主であったが、天正二年(一五七四)、福王寺玄蕃が大光寺城主瀧本重行に謀殺されたことから
通史編1(古代・中世) (合戦の方法)

さらに天正四年(一五七六)正月元旦に、大浦為信は大光寺城を攻撃し、城代の瀧本重行(たきもとしげゆき)は
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●天正二年(一五七四)三月、大光寺城代瀧本重行、乳井福王寺玄蕃を謀殺するという。,●天正四年(一五七六)正月、大浦為信、大光寺城を攻略し、城代瀧本重行は南部へ退去するという。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

… 聞老遺事・石井三庵政満覚書・祐清私記 314 ●天正二年(一五七四)三月、大光寺城代瀧本重行、乳井福王寺玄蕃,…………… 信長公記・公卿補任 318 ●天正四年(一五七六)正月、大浦為信、大光寺城を攻略し、城代瀧本重行
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