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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (瀬戸師五郎七)

瀬戸師五郎七 五郎七は天保三年(一八三二)、筑前の瀬戸座から、当時毎年のように鰺ヶ沢や青森に着岸していた,筑前の瀬戸座ではこの引き抜きを怒り、彦右衛門との取り引きを拒否する挙に出ている。
通史編3(近世2) (大沢における製陶)

下川原瀬戸師金蔵(後の姓高谷)は、かねて信仰してきた妙見堂の移転に関する申し立ての中に「四十年已前、大沢村ニ而白焼瀬戸座,(磁器焼成)取立之節」とあり、大沢の瀬戸座は文政八年(一八二五)ころの開窯であることが認められる。
通史編3(近世2) (富田御屋敷跡における製陶)

瀬戸座取り立ての場所は富田御屋敷(藩主別荘、九代寧親の代に造成)跡で(この辺は九十九森とも称されていた
通史編3(近世2) (下川原における製陶)

「天保九戊戌年三月十四日 白焼瀬戸座初発御奉行釜萢源左衛門(かまやちげんざえもん)為菩提 同産〔座〕取建細工人,御目見以下留守居支配唐牛吉蔵(かろうじよしぞう)が箱館(現北海道函館市)へ派遣されている(当時、箱館には磁器の瀬戸座,その後、箱館瀬戸座から多治見(たじみ)(現岐阜県多治見市)出身の細工人兼吉(かねきち)と絵師幾助(きすけ
通史編3(近世2) (瀬戸師林兵衛による製陶)

悪戸村(現市内悪戸)の「御用留帳」(個人蔵)の天保十五年三月十八日条(図145)では、瀬戸座の林兵衛が,「国日記」弘化四年(一八四七)四月十七日条には、郡所仕込みの悪戸村林兵衛瀬戸座に見物人が多数入り込み、,磁器の下川原瀬戸座ではすでに早瀬野から採掘をしていたので、鉄三郎は悪戸における磁器の焼成を目指したものと
通史編3(近世2) (悪戸村における製陶)

天保八年には、下川原の白焼瀬戸座に移り製陶に当たった。  ,なお「封内事実秘苑」天保十一年十二月十八日条に、悪戸村瀬戸座で肥前(現佐賀県)の瀬戸師宇吉(うきち)(
通史編3(近世2) ((三)陶磁器)

なお、文政八年(一八二五)の大沢白焼瀬戸座(磁器の類。
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