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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (台風災害)

台風災害 台風災害で忘れてはならないのが、昭和二十九年(一九五四)九月二十六日に日本を襲った台風一五号,台風の災害による保険金支払額も全国で五六七五億円と日本で過去最高の金額に達した。 / 台風災害
通史編1(自然・原始) (大雨・豪雨と災害)

大雨・豪雨と災害 気象庁では、本県の場合二四時間降水量七〇ミリ以上を大雨注意報(油断すると社会生活に,大雨による災害の起こり方は、地形・地質などと雨の降り方に密接な関係がある。,近年、こうした短時間の大雨による災害が問題化している。,県内の事例解析でも、短時間強雨の一~五時間後に災害が発生し、被害が大きくなる傾向がわかる。,各注意報・警報の基準値は、青森県における過去の災害記録との対応で求めたもので、この時代の災害気候値の一面 / 大雨・豪雨と災害
通史編3(近世2) (災害と生活)

災害と生活 江戸勤番の藩士が、江戸で遭遇した災害などにどのように対処していたか、「江戸日記」にみえる,寛保二年八月・天明六年(一七八六)七月・弘化三年(一八四六)六月の三回が指摘されている(『日本史小百科 災害 / 災害と生活
通史編1(自然・原始) (三 津軽地方災害年表凡例)

三 津軽地方災害年表凡例 この年表は、津軽地方に発生した災害と気象(地象・水象を含む)現象について、,また、災害記述月日は、第一部は太陰暦で、第二部は太陽暦で記載した。 / 三 津軽地方災害年表凡例
通史編5(近・現代2) (昭和恐慌と相次ぐ災害)

昭和恐慌と相次ぐ災害 我が国の経済は、大正九年(一九二〇)に起こった第一次世界大戦後の反動恐慌と、それに,このように昭和初期は、デフレ不況に加え、相次ぐ災害の襲来が農家経済の悪化を深刻なものとした時期であった / 昭和恐慌と相次ぐ災害
通史編1(自然・原始) (四 津軽地方災害年表(古代~近世))

四 津軽地方災害年表(古代~近世) [津軽地方災害年表(古代~近世)] / 四 津軽地方災害年表(古代~近世)
通史編1(自然・原始) (五 津軽地方災害年表(近・現代))

五 津軽地方災害年表(近・現代) [津軽地方災害年表(近・現代)] / 五 津軽地方災害年表(近・現代)
通史編5(近・現代2) (連続する災害と東北振興政策)

連続する災害と東北振興政策 金融恐慌の影響が去らない昭和六年(一九三一)、北海道と東北地方を中心にやませが,うち続く大災害のために、市当局はもちろん県の行財政機能は全く麻痺し、未曾有の事態となったのである。,毎年続く大災害は弘前市だけでなく、県全体の救済策を要する大問題となった。,凶作や連続災害は、それに拍車をかけた。,こうした東北各地の災害と運動を背景に、昭和九年十二月二十六日、政府は内閣に東北振興調査会を設立し、東北振興政策 / 連続する災害と東北振興政策
通史編2(近世1) (災害の続発とその影響)

災害の続発とその影響 この時期には、さまざまな災害が、しばしば津軽領を襲っている。,表28 正徳~宝暦期の津軽領における主な災害 年  代 月 日 災害の種類 災害の場所 被害の概要・程度 / 災害の続発とその影響
通史編5(近・現代2) (市の防災・水防対策)

災害問題で市民がもっとも望んだことは、岩木川の氾濫を防止することだった。,昭和三十六年(一九六一)、国は「国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護するため」に、災害対策基本法,いずれも災害対策の基本的な役割を市が担うことを明記していた。,医療機関には災害時の入院患者保護、負傷者への医療実施を呼びかけている。,日本通運弘前支店や一般運輸業者には、災害時の緊急輸送協力を呼びかけ、一般建設業者には災害時の応急復旧協力
通史編1(自然・原始) (《引用・参考文献》)

〇年間の異常気象』 気象庁(一九七〇)   『下北の気象五〇年』 むつ測候所(一九八六)   『災害記録,(一九六八)   『青森県災異誌(現代篇)』 青森県気象対策連絡会(一九五六)   『青森県気象災害誌
通史編5(近・現代2) (台風一九号とりんご被害)

国の天災融資法と激甚災害法の適用のほか、県も独自の台風被害対策を迅速に行った。,さらに、県りんご協会は、十月十八日、弘前市で「台風十九号災害青森県りんご生産者決起大会」を開催し、①迅速,で、「落果リンゴ買付け・販売、カンパ支援」の訴えを出し、十月二十日には岩木川の河川敷で「津軽地区台風災害対策連絡会,しかし、過去に例を見ない本県りんご栽培史上最大の災害により、出稼ぎに行かざるを得ない農家も多く出た。
通史編5(近・現代2) (度重なる大水害)

午前七時三〇分、対策本部は災害救助法を適用し、懸命の救済活動を行った。,市当局は災害救助法に引き続き、伝染病予防法を適用した。,しかしこの災害が自衛隊誘致問題に与えた影響力は無視できない。,一般庶民にとって自衛隊は、災害救助活動に多大な功績をもたらしたとの印象を与えたのである。  ,市民にとって、岩木川の氾濫による水害はもっとも恐ろしい災害であった。
資料編3(近世編2) (二 人々の生活)

絵に見る人々の生活 (二)城下・農村の通行 (三)町・村と商業 (四)防火と治安対策 (五)災害
通史編1(自然・原始) (冷害の歴史)

ここでは、藩政時代に津軽地方で発生した気象災害のうち、凶饉記録について抽出してみると、藩政時代の約二五,そのうち、元禄、天明、天保の凶作群は、持続性や災害の深刻さから、弘前藩の三大飢饉に挙げられる。,表20 災害年表にみられる主たる凶作年 年 西暦 災害名 備  考 元和元 1615 大飢饉 低温・長雨
通史編5(近・現代2) (岩木川の大氾濫)

岩木川の大氾濫 戦後弘前の最大の災害は岩木川の大氾濫であろう。,岩木山とともに「津軽平野の母として親しまれてきた岩木川」は、「瞬時にして一面の泥海と化し」戦後最大の災害,市内の給水は不可能となり、災害救済活動だけでなく、衛生面からも大きな困難をもたらした。,市当局はこれら視察者を通じて、政府や県当局に災害復旧の応急措置が実施されるよう要望した。
通史編1(自然・原始) (四 津軽の四季)

この図を参考にしながら、津軽地方の四季の気象変化と災害からみた特徴をたどってみることにする。
通史編1(自然・原始) (台風のコース)

台風のコース 台風が本県に最も近づいた位置と台風に伴う風雨災害との関係は、中心付近が三〇〇キロメートル,図60 台風コースと災害特性  Aの日本海側コースは、白神山地で雨量がやや多い。
通史編1(自然・原始) (凡例)

…鎌田耕太郎   第六節…二部濱男  第二章 第一節~第四節…村越潔 年表 津軽地方の気象特性と災害,・津軽地方災害年表…二部濱男   考古学史年表…村越潔
通史編5(近・現代2) (県の対応)

さらに、災害救助の土木費、副業資金、肥料決済資金などは、農民を潤すより先に請負師、村当局、地主、肥料商
通史編3(近世2) ((一)治安機構と共同体規制)

藩では城下の形成とともに、犯罪の防止、災害の予防、風紀の乱れの粛正など、治安機構の整備と共同体規制が強化
通史編1(自然・原始) (従来の見解)

噴出物をまとめた層序(表1)と、赤倉沢の地質断面(図10)および蔵助沢の地質断面(図11・百沢土石流災害調査団,図10 赤倉沢における地質断面図 図11 蔵助沢における地質断面図(百沢土石流災害調査団,1979
通史編5(近・現代2) (相次ぐ水害と商店街)

橋梁流出、多数の死傷者を出し、昭和四十九、五十年の水害をはるかに凌ぐ惨状を呈したが、弘前商工会議所では、災害,弘前商工会議所では逸早く同所内に金融相談所を設ける一方、県に激甚災害指定を求めるなど、活発な活動を展開,471 3 474 168 29 197 49 228 1,060,110 弘前市『昭和52年8月5日災害概況報告書
通史編1(自然・原始) (南東麓)

なお、昭和五十年(一九七五)八月の百沢土石流は岩木山神社東縁の蔵助沢で発生し、青森県災害史上最大の被害
通史編3(近世2) (虫送り)

稲作の豊かな実りを妨げる災害には、水損・干損・風損などがあったが、虫害もその甚だしいもので、害虫の駆除
通史編3(近世2) (雨・雪と道路)

道路は災害によって破壊された時には、人々の生活に大きな影響を与え、元どおりに修復するには容易でなかったことはいうまでもない,図19.城下の道路状況に関する国日記記事 目録を見る 精細画像で見る  災害のない通常の年においても
通史編3(近世2) (人家の火災)

人家の火災 災害は水害、風・雪害、地震、噴火などの天災によるものと、火災のような主として人の不注意による,注) 『津軽史事典』(6)豊凶・米価,(8)災害の項による。
通史編1(自然・原始) (日本海沿岸海域に震源のある地震)

本県の深浦港には地震発生から一〇分以内に津波第一波が到達するなど、不意を突かれた災害であった。,これらの事例は、日本海沿岸でも大地震があることと、この震源域を波源域とする津波災害の恐さを実証した。
通史編1(自然・原始) (春)

も長くなったこのころ、暖かい南風が吹き雨が降ると雪解けが進み、中小河川の増水・氾濫、崖崩れなどの土砂災害
通史編1(自然・原始) (新編 弘前市史 通史編1(自然・原始) 目次)

稲作農耕の開始 ………………………………………………  352 年表  359 津軽地方の気象特性と災害,360   一 青森県の気象 …………………………………………………  360   二 津軽の四季と災害, ……………………………………………  361   三 津軽地方災害年表 凡例 ……………………………,………  365   四 津軽地方災害年表 (古代~近世) …………………………  366   五 津軽地方災害年表
通史編1(自然・原始) (津軽付近に震源のある地震(内陸地震))

ところが地震規模の割合に大災害になった地震がある。おもな内陸地震に五例挙げられる。
通史編5(近・現代2) (市がもっとも力を注いだ水道行政)

大火やトラホーム・伝染病など、災害や衛生問題が水道行政の歴史を大いに向上させる背景になっていた。
通史編1(自然・原始) (台風の上陸数と接近数)

しかし、気象災害を考えるとき、来襲時期、台風規模などからどうしても台風の影響を考慮しないわけにはいかない
通史編5(近・現代2) (福士市政の財政)

五十一年度における災害関連事業は、道路四〇ヵ所、橋梁六ヵ所、三つの河川の復旧で一一億五八〇〇万円を計上,そして五十二年度は約七億円を計上し、災害復旧事業は完了した。,大水害の経験から、福士市長は災害のない町にすることが為政者の責務であると痛感し、河川の抜本的改修が急務
通史編1(自然・原始) (まえがき)

から詳細に説き明かすとともに、さらに本州の北端という地理的位置のため寒冷な気候に悩まされ、時には地震の災害
通史編2(近世1) (為信の築城計画)

また、城跡内に洪水の痕跡(こんせき)がある程度確認されていることからも(『堀越城跡 前川災害復旧関連工事遺跡発掘調査報告書
通史編5(近・現代2) (岩木川改修運動)

「昭和六年大凶作」以来、連続災害で疲弊していた青森県民にとって、「昭和十年大水害」は致命的・壊滅的な打撃
通史編5(近・現代2) (建設業の動向)

この従業者数の減少は、災害復旧工事、東北縦貫道工事の完了に伴う景気の後退により総合工事業が減少したためであると
通史編2(近世1) (有史以来最大級の大量死)

とりわけ北奥諸藩では大量の餓死者を出し、「明治維新前では戦乱や他の自然災害を含め、日本列島上における有史以来最大級
通史編5(近・現代2) (当局による移民の促進)

当局による移民の促進 昭和六年(一九三一)からの連続災害、とくに劣悪な凶作が続いた青森県にとって、農村
通史編5(近・現代2) (岩木川開発と目屋ダムの建設)

けれども弘前市の災害対策、とくに水害対策に大きな影響を与えたのは目屋ダムの建設であろう。
通史編2(近世1) (宝暦―天明期の借財)

宝暦―天明期の借財 十八世紀に入ると、商品経済の展開や度重なる飢饉や災害等によって三都における借財も
資料編1(古代・中世編) (一 堀越城の立地と現状)

五十二年(一九七六・一九七七)、二の丸地区で緊急発掘調査が行われ、昭和五十三年(一九七八)にも前川の災害復旧関連工事
通史編5(近・現代2) (相次ぐ火災)

相次ぐ火災 水害同様に火災も市民を恐怖に陥れた災害であった。
通史編4(近・現代1) (旧藩体制改革への動き)

村々の高や反別を明らかにし、米を中心とする正租やその他の雑税につき、原由を知り、記帳、収納し、凶年や災害
通史編4(近・現代1) (明治二十年(一八八七)の予算審議)

420.00 橋梁費 20.00 教育補助費 747.98 弘前高等小学校補助費 747.98 災害予防及警備費
通史編2(近世1) (安永期の蔵米化)

宝暦八年(一七五八)に、乳井貢は失脚し、宝暦改革も頓挫するが、藩の財政はその後も度重なる洪水・地震などの災害
通史編5(近・現代2) (総合国土開発審議会の審議)

二、尚前記の長期計画中昭和二十九年迄の五ケ年間は之を中間計画として経済社会等安定諸状態の速かな振興、災害
通史編5(近・現代2) (福祉事業の推進)

児童福祉の担い手であり、精神病罹病者や災害罹災者などの要保護者と役所を結ぶ重要なパイプ役でもあった。
通史編2(近世1) (飢饉に至るまでの経緯)

飢饉に至るまでの経緯 宝暦の飢饉でみたとおり、近世の飢饉は単なる自然災害ではなく、凶作下でも江戸や上方
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