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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (学校給食中央共同調理場の設置)

これまでの旧市内八校の炊事用員で三〇校分の炊事ができ、人件費が大幅に節約できること。,学校給食センターの発足により、昭和二十二年三月以来続けられていた旧市内小学校の炊事給食は中止され、調理室,やボイラー施設なども撤去、炊夫、炊事婦などの炊事用務員は給食センターに配置替えになった。
通史編3(近世2) (施行小屋)

施行小屋を建て(「国日記」天明三年十月三日条では後潟組・飯詰組でも建てている)、一人一日朝夕六勺(粥ヵ)の炊き,こうじまち)に非人小屋(後に施行小屋となる)を建て、乞食手の取り扱いにして一人一日に二度三勺ずつの粥を炊き,になってしだいに増え、正確な人数は不明という状態になっている(「国日記」天明三年九月四日・同九月七日条、菊池勇夫『
通史編3(近世2) (学官の職掌)

「学校勘定役」は経理主任、「学校賄方頭」は炊事夫長に相当する。  
通史編2(近世1) (蝦夷地への人口流出)

松前稼ぎには、鯡場(にしんば)稼ぎに代表される漁場労働のみならず、箱館・松前など都市部における「飯炊并勤奉公,こういん)同様の方法で斡旋(あっせん)する口入れ屋まがいの藩士もいたことが明らかにされている(坂本壽夫「
通史編3(近世2) (戦場に駆り出された民衆)

り出された民衆 さて、戊辰戦争ではこれまで述べた農兵・社家隊・修験隊などのほかに、多くの農民が雑役夫として,にすぎず、あとは足軽・軽卒が二八七人、又者(またもの)という高級士分の私的従者六人を除けば、残り六七人は炊夫,(すいふ)(食事係)・浮夫(うきふ)(雑役夫)・持夫(もちふ)(弾薬運搬係)などの農町民であり、この時,戦死者の内、明治二年六月の招魂祭(しょうこんさい)で祀られた者の一覧であるが、総勢六七人の内、五人は軍夫に,姓は後日のもの  6 (本川)長之助 22歳 軍夫 箱館峠下村 祭祀米 毎年5俵 植田村
通史編3(近世2) (施行小屋の設置と犯罪防止)

彼らには一人一日当たり混ぜものを加えた一合五勺の粥を炊き出し、秋田領の出身地・一族の名前・本人名などを,し、領内の農村や町から飢えた袖乞いの者が出ないよう厳しく申し付け、それでも出た場合には、罰金として人夫を
通史編3(近世2) (農兵の組織)

役職名 人数 備     考 1 小隊司令士 1 御目見以上の士分より任命,郷夫1名貸し付けられる 2,銃隊農兵 36 弾薬方と小荷駄方に4名を隊中から交番で出すこと 小計 42 5 足軽目付 1 郷夫1,名貸し付けられる 6 弾薬取扱宰料兼 1 代官小使より出すこと 7 弾薬持夫 7 隊員36名につき1名増,碇ヶ関病院から派遣になる 9 小荷駄方勘定人 1 藩より派遣 10 小 人 2 農民より徴発 11 炊 ,夫 6 農民より徴発 12 浮 夫 8 農民より徴発 小計 27 総計 69 注) 「御軍政御用留
通史編5(近・現代2) (市の衛生対策と生活改善運動)

それでも牛馬糞対策は不十分・不徹底だったらしく、昭和十五年七月三日、乳井英夫弘前市長と弘前市町会長会は,更新会は、ほとんど地面の上で行っていた炊事場に流し場を作ったり、土間や便所も改善を施すよう指導している
通史編5(近・現代2) (「草を刈る娘」について)

ひろい、なだらかな高原の傾斜のところどころに、小さな部落が出来ており、炊事の煙があがり、娘たちの赤い襟,平松幹夫(前出)は『現代日本文学アルバム 石坂洋次郎』普及版(昭和五十八年 学習研究社刊)の作品解説でこう,なお、本作品は映画化され、西河克己監督、吉永小百合、浜田光夫ら出演で津軽ロケを行い、昭和三十六年(一九六一
資料編1(古代・中世編) ([十四世紀])

●嘉元三年(一三〇五)正月三十日、尼たうしやう(片穂惟秀夫人)、平賀郡なかのまちい郷沼楯村地頭代職を子,●正平十年(一三五五・北文和四)三月十五日、北畠顕信、南部信光を大炊助に推挙、翌年、薩摩守に推挙する。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………………… 日本書紀 7 ●斉明天皇四年(六五八)四月、阿倍比羅夫の遠征。,……………………………… 日本書紀 8 ●斉明天皇五年(六五九)三月、阿倍比羅夫の第二次遠征。,………………… 左京大夫顕輔卿集 134 ●久安六年(一一五〇)、エゾについての和歌。,…………………… 岩大新渡戸文書 154 ●仁治二年(一二四一)三月十八日、曾我広忠夫人岩楯尼、亡夫墓堂仏聖田,………………… 宮崎文書 216 ●正平十年(一三五五・北文和四)三月十五日、北畠顕信、南部信光を大炊助
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