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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (無産政党の結成)

無産政党の結成 大正十二年十一月、第二次山本内閣の普選実施方針に応じて総同盟は議会活動参加を声明、島中雄三,さらに、日本農民組合は、より包括的な立場から無産政党の樹立に動き、大正十四年十二月一日、わが国最初の無産政党,一方、安部磯雄らは穏健な無産政党を作ろうとし、大正十五年十二月五日社会民衆党を成立させた。 / 無産政党の結成
通史編5(近・現代2) (県内における組織化と弾圧)

県内における組織化と弾圧 本県では、弘前の北部無産社や政治研究会支部の活躍が見られたが、中央に正式の無産政党,が誕生する前の大正十四年九月に、弘前の堀江彦蔵、黒石の柴田久次郎、車力の岩淵謙二郎が無産政党県支部準備委員会,この禁止措置は、三年(一九二八)二月の第一回普通選挙において無産政党から八人の当選者をみたほか、日本共産党
通史編5(近・現代2) (総選挙での戦い)

しかし、この全国大会も三日目に解散させられ、流れは合法的無産政党の結成をあきらめ、地下組織である共産党,月後の四月六日、いわゆる四・一六事件が起き、大沢・堀江ら先鋭な闘士は根こそぎ検挙され、指導者を失った無産政党,  同 笹義幹 △分所長     中弘分所 弘前市 佐藤要一   昭和五年一月第二回普選総選挙の無産政党執行部
通史編4(近・現代1) ((四)津軽における社会主義勢力の伸長)

大正十二年十二月、無産政党結成の足がかりとして政治問題研究会が成立した。
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