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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (熊野宮)

熊野宮 熊野宮(現熊野奥照神社)は、「陸奥国高岡熊野神社鎮座伝記」(資料近世2No.四一八)によれば,熊野宮下社家五軒は禰宜町に置かれたが、天保十二年(一八四一)に家計の困難を救うため富籤(とみくじ)発行 / 熊野宮
資料編3(近世編2) (●熊野宮 本殿 樋の口町--県重宝)

●熊野宮 本殿 樋の口町--県重宝 熊野宮の創建は不明であるが、かつては「熊野三所飛龍大権現」といい,図22 熊野宮本殿平面図 / ●熊野宮 本殿 樋の口町--県重宝
通史編3(近世2) (山王宮)

おおきね)神社)は、「社堂縁起」によれば大同年間(八〇六~八〇九)、坂上田村麻呂が創建したが、衰退して熊野宮,神職は熊野宮神主長利氏が務めた。神仏分離の際、仏体を廃し現社名に改称したようである。
通史編3(近世2) (二代信枚)

弘前総鎮守の八幡宮(現弘前八幡宮)は、古くからあった熊野宮(現熊野奥照(くまのおくてる)神社)の地が城,参道の両側には塔頭一二院を配し、亀甲(かめのこう)町からは道路をかぎの手に曲げ、八幡・熊野宮の神主二人,このほか誓願寺(せいがんじ)大堂、長勝寺山門の建立や熊野宮(現熊野奥照神社)、神明宮(現弘前神明宮)、,袋宮(ふくろのみや)権現宮(現熊野宮、市内茜町)、浪岡八幡宮、広船神社(現南津軽郡平賀町)の再建に当たった
通史編3(近世2) ((二)神職組織)

二代藩主信枚は弘前城の築城に当たって城下の縄張りを行わせ、城の鬼門に当たる北東の熊野宮(現熊野奥照神社
資料編3(近世編2) (●袋宮寺 本堂 新寺町--県重宝)

袋宮寺は天台宗の寺院であり、弘前の樋の口にある熊野宮(本殿は県重宝)の別当寺であったが、明治に廃止されたために
通史編3(近世2) (弘前八幡宮小野家)

また、八幡宮・熊野宮には、それぞれ六供と呼ばれる下社家一二人が所属し、両神主とともに禰宜(ねぎ)町を形成,社家頭は、宝永四年(一七〇七)までは小野氏一人であったが、この時から熊野宮神主長利弁太夫が相役として加
通史編3(近世2) (袋宮寺)

図210.袋宮寺十一面観音像 図211.袋宮寺跡熊野宮
通史編3(近世2) (心応院)

四一三)によれば、慶安三年(一六五〇)、木戸道壺(どうこ)が最勝院日雅に京都より得た薬師如来をみせ、熊野宮
通史編3(近世2) (八幡宮)

神主小野氏は、別当最勝院の支配を受け、熊野宮(現熊野奥照(くまのおくてる)神社)神主長利氏とともに社家頭
通史編3(近世2) (大社の神仏分離)

袋宮(ふくろのみや)権現宮(現熊野宮、市内茜町)は袋宮が別当を免じられ、報恩寺(ほうおんじ)境内の無量院,へ引き移ったが、藩ではこの事例を熊野宮だけが残り、鳥居を除去する必要もないことから、神仏分離を進めるに
通史編3(近世2) (修験)

享和三年(一八〇三)の「寺社領分限帳」(同前No.三九九)には、大峰派六六人、羽黒派六人を数え、心応院は熊野宮
通史編3(近世2) (神職の扱い)

八幡宮・熊野宮の下社家は「六供」とも呼ばれ、それぞれ六社家ずつ神主の支配を受けた。
資料編3(近世編2) (はじめに)

一六一二)の弘前八幡宮、慶長十八年(一六一三)の熊野奥照神社、そして慶長二十年(一六一五)に樋ノ口の熊野宮本殿
資料編1(古代・中世編) (七 板碑の発見と保護の状況)

また、福村の熊野宮境内の板碑も行方不明である。
通史編3(近世2) (薬王院)

この時、熊野宮(現市内茜町)別当袋宮寺が十一面観音堂無量院と合併となり、昭和二十九年(一九五四)、隣接
通史編3(近世2) (藩政前期為信)

別に城内に祀った稲荷宮が、現在堀越にある稲荷宮であり、この地の熊野宮は為信の再興したものという(資料近世
通史編3(近世2) ((三)主要人物)

○〈和歌〉長利仲聴(おさりなかあきら)(一八二二~一九〇三)  弘前熊野宮宮司。
通史編2(近世1) (寺社政策)

社家においては、惣禄所(そうろくじょ)最勝院と社家頭(しゃけがしら)八幡宮小野家・熊野宮長利(おさり)
通史編3(近世2) ((二)年中行事と生活)

二十五日…熊野宮へ神酒・赤飯。 六月中…土用中大暑につき、諸役早退下。
資料編1(考古編) (2.堀越城跡)

標高は約40m、国道7号線によって二の丸・三の丸・馬場跡が分断され、旧国道の堀越集落が突き当たる熊野宮鳥居
資料編3(近世編2) (【解説】)

第三節「神社」の「神祇管領吉田家諸国社家執奏記」には、藩内で八幡宮(弘前八幡宮)・熊野宮(熊野奥照神社
通史編3(近世2) (小社の神仏分離)

⑥神明宮・八幡宮・熊野宮・天満宮のほかは何神社と社号を改名すること。
通史編3(近世2) (宗教と交通統制の低下)

中心となり、本山・末寺制度を通して、一方神職は神明宮(しんめいぐう)をはじめとして八幡宮神官小野若狭・熊野宮神主長利薩摩
通史編2(近世1) (城下高岡の形成)

寺社の配置をみると、城下の東北から北にかけて八幡宮とその別当寺院の真言宗最勝院、熊野宮、および神職の住
通史編3(近世2) (三 八幡宮の祭礼と山車の運行)

また、紺屋町と新町から山車を出す願いがあったが、この町内は、袋宮権現宮(現熊野宮、市内茜町(あかねちょう
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長十八年(一六一三)十一月、この月、津軽信枚、熊野宮に棟札を奉納する。
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