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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (肉食と牛乳)

肉食と牛乳 いわゆる「文明開化」の標語とともにいち早く流行して、在来の食生活に革新的な変化を持ちきたしたものは,また、牛乳についても、同書には左のように見えている。 乳汁は昔医家の者にして滋養者なり。,また、舘山に五年後れて、明治十七年八月に長尾富士麓が茂森町に牛乳店を開いている。,『長尾周庸日記』の明治十七年八月十七日付の記事に「富士麓来り牛乳持参せり。,東京では、牛肉、牛乳が流行したのは明治六年であった。 / 肉食と牛乳
通史編5(近・現代2) (国民体力の管理化)

市町村内の牛乳業者と協議の上、愛護週間実施中の牛乳価格を減免し、栄養不良児に配給する措置もあった。
通史編4(近・現代1) (食生活の変化)

牛乳も、日露戦後、飲用のほか洋菓子製造原材料などとして民間の需要も増えた。,三十九年、住吉町に開業した長谷川牛乳店では、上方のように瓶詰蒸気消毒の方法で配達するという新販売法を始,それまでは牛乳を大缶に入れて運び、いちいち計り売りしていたのである。,こうして四十二年には市内の牛乳店は、長尾、長谷川のほかに、相良町の中畑、富田の宮本、佐藤、小野の四軒があった
通史編4(近・現代1) (騒動の発端)

士族授産事業の農牧社を笹森儀助らと創立、監督となった長尾介一郎はこのとき四十二歳、谷量舎で牛乳販売も行
通史編4(近・現代1) (外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人)

同十九年(一八八六)、笹森儀助が牛一頭と五〇銭を嘉七に授け、嘉七はそれを元に牛乳屋を営んだ。,東京で牛乳店を営業するなど、農牧社での八年間は、嘉七の「難行苦行を積んだ奮闘時代」であった。
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