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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (建物の変化)

建物の変化 掘立柱建物の母屋の場合は、柱と柱の間の寸法つまり間尺と平面形によって年代の推定ができる。,多様な間尺になり平面形も曲屋風の形態も出現し、一五世紀ごろから六尺六寸を中心として一定の間尺を使用して書院造,図54 掘立柱建物(母屋)の変遷(高島成侑氏原図)  このような建物の在り方は城館という遺跡の例,たとえば、最初に中世の竪穴建物跡と認定した市浦村二ツ沼(ふたつぬま)遺跡のように、掘立柱建物がまったくなくて,竪穴建物だけで構成されている遺跡が一般的集落だとすると、城館の一部にも竪穴建物だけで構成する範囲が認められることから / 建物の変化
通史編4(近・現代1) (弘前物産陳列館)

弘前物産陳列館 弘前物産陳列館は、弘前商業会議所が多年にわたり設立を計画してきたが、県の補助金が交付,一、県下重要ノ物産及参考上有益ナル内外国ノ生産物ヲ陳列シ一般ノ縦覧ニ供スルコト 二、販売ノ委托ニ応スルコト,三、取引ノ紹介ヲ為スコト 四、産業ニ関スル絵図、図書、統計、標本等ノ展示ヲ為スコト 五、其他産業,ノ助長改善ニ対シ必要ナル施設 (同前)  県内には青森市に青森県物産陳列場があり、製品の縦覧を行っていたが,弘前市長らの建議書は、物産陳列の充実を求めていたのである。 / 弘前物産陳列館
資料編1(考古編) (第7節 出土遺物と生活)

第7節 出土遺物と生活 中世の遺跡や遺物によって、文献には現れない当時の人々の生活を復元をしようとする,時、精神生活に深く関わる遺物及びその出土状況を把握しなければならない。,例えば、仏教関係の遺物を抽出しようとすると、中世以前の資料から見なければならない。,の錫丈、など古代・平安時代の段階から仏教に関連する遺物が認められる。,図23 陶磁器に書かれた文字(浪岡城跡出土資料)  木製品に墨書で書かれた例は、浪岡城跡において / 第7節 出土遺物と生活
通史編2(近世1) (農書の成立)

農書の成立 宝暦の飢饉の後には、凶作に備えるため津軽の気候に合わせた農書の成立がみられる。,同書は元禄の飢饉の後に書かれたものであるが、宝暦までにはおよそ五〇年以上が経過しており、その間に大地主,また、五本松村(現南津軽郡浪岡町)では筆者不詳の「津軽農書 案山子(かかし)物語」が書かれている。,津軽領の各地でこれら篤農家によって、冷害に耐えうる農作物の栽培・農業経営の試みが行われてきたのである。,そしてこれらの農書は農民たちに回覧され、筆写されていった。 / 農書の成立
通史編1(古代・中世) (奥羽の特殊産物)

奥羽の特殊産物 蝦夷管領のもう一つの重要な職務として、蝦夷世界との交易がある。,具体的に見ると、このころの奥羽地方には、馬・砂金といった、特殊な所当官物が割り当てられていた。  ,大田文(おおたぶみ)(一国ごとに国内の田地の面積や領有関係を書き上げたもの)記載の田数を基準に各国特産物,を官物として強制するのが中世国家年貢体系の中軸である。,とくに蝦夷地に近い北奥羽においては、官物として強制された特殊な産物を確保するために、分業編成を強化しなければならなくなる / 奥羽の特殊産物
通史編1(自然・原始) (カルデラ内の堆積物)

カルデラ内の堆積物 火山の噴火活動が終息し静かな時期が続くと、カルデラ壁や中央火口丘などの高い所から,一般に湖沼堆積物には、平行な縞模様がみられる(写真56)。,碇ヶ関層についてこれまでに調査された報告書の化石のリストをみると、碇ヶ関カルデラの中の湖沼の周囲にはクマシデ,同じように、堆積物の中からは花粉の化石もみつかるので、詳しく調べてその種類がわかると、当時の植物相が復元,写真55 碇ヶ関カルデラ内の扇状地堆積物。 / カルデラ内の堆積物
資料編1(考古編) ((8)馬産と関連遺物)

(8)馬産と関連遺物 古代において、東北地方で多くの馬が生産されていたことは、当時書かれた文書によって,そのうち1頭は1歳未満、ほかのものもいずれも4歳に至らない若い馬で、明らかに馬産が行なわれていたことを物語,馬は農耕等の使役のほか、軍用あるいは交易物資として重要な役割を果たしたものと考えられる。   / (8)馬産と関連遺物
通史編3(近世2) ((三)主要人物)

(三)主要人物 『伝類』などによって示すと次のようになる。  ,また書を能くし、近衛流を学んでのち一派をなし、草坡流と称された。,屋号は山城屋(やましろや)といい、木綿古物業を営む。,通称慶助(けいすけ)(慶輔とも書く)。家は御用研屋で屋号を竹屋(竹谷とも書く)といった。 / (三)主要人物
通史編5(近・現代2) (図書館の新築)

図書館の新築 弘前図書館の新築が話題にのぼったのは昭和三十三年春のころで、それも弘前警察署の移転問題,その市が代替地としていたのは老朽図書館(下白銀町一四番地)の敷地約八百坪である。  ,藤森睿市長は市議会全員協議会に諮り、図書館は弘前公園内追手門付近に新築する方針を決めた。,②風致をそこなわぬよう建物は二階建とする。③道路や外燈を整備し、利用者の安全を確保する。」,写真213 弘前市立弘前図書館(昭和35年~平成2年) / 図書館の新築
通史編5(近・現代2) (新図書館の建設)

新図書館の建設 現市立図書館は弘前市制施行百周年記念施設として、下白銀町二番地一(追手門広場内)に設置,建物延べ面積四九二二・七七平方メートル。事業費は一九億八〇〇〇万円。,施設内容は地下に書庫、BM書庫(移動図書館)、中央監視室、その他機械室等があり、一階に貸出し閲覧室、点字読書室,、ロビー、事務室があり、二階には調査室、読書学習室、視聴覚室、特別書庫、会議室がある。,また、移動図書館車による図書の貸出しも盛んである。 / 新図書館の建設
通史編4(近・現代1) (教科と教科書)

教科と教科書 教科のことを当時は課業といった。下等・上等の課業は左のとおりである。, 上等小学課業   下等小学の課業目に左を加える   史学大意 幾何学罫(けい)画大意   博物学大意,結局「読み・書き・算」の三科を教授するだけということになった。,読みは国語、書きは習字、算は専ら算盤(そろばん)の稽古である。  ,また、教科書は学校備え付けで生徒一人ひとりは所持していなかった。 / 教科と教科書
通史編4(近・現代1) (市立図書館の設置)

市立図書館の設置 本格的な図書館の設置を望んでいた私立弘前図書館関係者が、たまたま地元の建築業者の堀江佐吉,と話し合う機会があって、図書館の必要を説いたことがきっかけで、堀江佐吉らは日露戦勝記念に市に図書館を新築寄附,建物の総坪数八〇坪、一階、二階とも約三〇坪、三階一八坪余、円屋根が二つある洋風建築である。,開館式が挙行されるまでに、私立弘前図書館の蔵書はすべて新設の市立図書館に引き継がれ、初代館長に市立弘前中学校東奥義塾,写真115 弘前市立図書館(上)と自他楽会に対する知事感謝状(下) / 市立図書館の設置
通史編2(近世1) (穀物の流通統制)

穀物の流通統制 この年、藩は五穀の買い上げを十月一日から開始、自由な売買を堅く禁止し、違反する者は双方欠所,藩は領内各地に「御買〆(かいしめ)所」を設け、「御買上役人」を二~三人ずつ配置し、穀物の集荷・販売を担当,百姓は買い上げ役人へ買い上げされる米の分量を書いた手形を提出し、買い上げ役人はそれをもとに買い上げ代金,もっとも、両浜は弘前より物価が高いとして、地域による調整は行われた(同前)。 / 穀物の流通統制
通史編2(近世1) (改革意見書の基調)

改革意見書の基調 以上二部の改革意見書をみてきた。,(6)したがって、山や諸産物の開発、育成の方向が設定されると同時に、藩専売が志向されていること。,以下、これら意見書で示されたことが、具体的にどのような形で政策化され、具体化されていったかをみていくことにする / 改革意見書の基調
通史編5(近・現代2) (インフレの進行と低物価運動)

インフレの進行と低物価運動 戦後の日本経済は混乱からスタートしたが、そのなかでも物価変動は激しかった,表19 戦後消費者物価指数 (昭和9年~昭和11年=1.00) 年 物価 年 物価 昭和21 48.,設立趣意書は次のとおりである。   ,弘前商工会議所設立趣意書  終戦後の新事態に即応し、民主々義の理念に立脚して新商工会議所の設立を企画,昭和二十三年(一九四八)に弘前商工会議所において、「弘前地区商工業者大会 物資物価取締に関する官民懇談会 / インフレの進行と低物価運動
通史編5(近・現代2) (「日本一の不潔な町」(新聞の投書から))

「日本一の不潔な町」(新聞の投書から) 昭和二十九年(一九五四)六月七日付の『陸奥新報』に、小さな投書,そこには「市中を流れる河川の塵芥、汚物にはこれまた日本一の不潔な町としての資質十分であると感じた、水面附近,それほど長くもない土淵川が、市内に入ってからは、どの街路の橋から見ても汚物と塵芥にまみれていた。,写真239 昭和30年ごろの土淵川  町の中心部も塵芥と下水や汚物で汚れ、悪臭を放つなど、今日では,投書である以上、たぶんに誇張があり、その投書を材料として『陸奥新報』が社説を書く以上、そこには政治的社会的 / 「日本一の不潔な町」(新聞の投書から)
通史編2(近世1) (海防報告書にみる天保期の海防体制)

天保十四年(一八四三)三月の、「御国元海岸御固御人数書并御武器書」(弘図八)は、天保十三年の海防報告書,表50 弘前藩海岸固人数とその配置(天保14年3月調べ) 物 頭 目 付 役 浦 奉,1 2 4 7 2 8 鰺ヶ沢大筒台場 3 2 長浜寄物番所,「御国元海岸御固御人数書并御武器書」(弘図八)より作成。  ,さらに青森陣屋には、海防の指揮官となる物(者)頭が置かれるとともに、兵器装備も他の各港よりも多く備えられていた / 海防報告書にみる天保期の海防体制
通史編2(近世1) (高照神社「御告書付」の開始)

高照神社「御告書付」の開始 次に、高照(たかてる)神社(中津軽郡岩木町)に所蔵されている「御告書付(,よしかわこれたり)(従時(よりとき)、一六一六~一六九四)に師事して奥義を極め、「高岡霊社」の神号を授けられた人物であり,この高照神社には、次の史料(大正五年「神社創設ノ由来」高照神社蔵)に示された内容の「御告書付」が、享和元年,図158.御告書付  表45・46は御告内容・回数・年代を「御告書付」および「国日記」にみえる記事,その意味で、高照神社蔵「御告書付」の残存状況は本来的なものとしてよい。   / 高照神社「御告書付」の開始
通史編2(近世1) (毛内宜応の「秘書 全」)

毛内宜応の「秘書 全」 本書は、一般に「存寄書(ぞんじよりしょ)」と称され、改革意見書の中では最も知,さて、本書は、藩主信明が自筆書付において意見書の提出を奨励していることに基づいて提出したものであると、,したがって、前述の天明四年三月の信明の意図に基づいた「存寄書」であることがわかる。,することと、土着を実施することの二点に帰属すると結論を述べ、具体的に意見書を展開している。,(3)は、領外から移入するものは、藩が五穀をもって買い上げたうえで領内に融通し、また領内産物を移出する / 毛内宜応の「秘書 全」
通史編4(近・現代1) (『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記)

『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記 五連隊はわずかに一泊の行軍予定の計画で二〇〇人近い死傷者を出,さらにこの新聞記事内容から、行軍三日目の一月二十二日の記事が、欠号となっていた一月二十八日付の第三七三五号に書かれていたことも,行軍初日と五日から六日の記事は、この間に書かれたものと推測されよう。,、氏は人夫四名□〔を〕引連れ夜具や酒樽を負はせて来りしなり、即ち今夜□〔一〕行を宿せしめんかために荷物を / 『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記
通史編2(近世1) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

弘前市 長勝寺蔵 67 弘前市立博物館蔵 68 国立公文書館内閣文庫蔵 69 弘前古御絵図 弘前市立図書館蔵津軽家文書, 高照神社蔵 87 弘前市立博物館蔵 88 弘前市立図書館蔵津軽家文書 89 弘前市立博物館蔵 90,弘前市立博物館蔵 171 弘前市立図書館蔵津軽家文書 172 笹間良彦『江戸の司法警察事典』165頁,日条 弘前市立図書館蔵津軽家文書 192 弘前市立博物館蔵 193 青森県立郷土館蔵 194 蓬か島 ,異国人物 弘前市立図書館蔵岩見文庫 197 同上 198 同上 199 東京都板橋区 松月院蔵 板橋区立公文書館写真提供
通史編2(近世1) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

秋田市立佐竹史料館 安盛寺(青森県弘前市) 圓覚寺(青森県西津軽郡深浦町) 大阪城天守閣 大阪歴史博物館,国立国会図書館 佐賀県立名護屋城博物館 慈舟山瑞泉寺(京都府京都市) 静岡市立芹沢銈介美術館,松月院(東京都板橋区) 市立函館図書館 専修寺(青森県弘前市) 仙台市博物館 高照神社(青森県中津軽郡岩木町,東京大学史料編纂所 東京都板橋区立公文書館 東北大学附属図書館 東楊寺(群馬県新田郡尾島町),弘前市立博物館 広島市公文書館 福岡市博物館 報恩寺(青森県弘前市) 盛岡市中央公民館
資料編3(近世編2) ([口絵])

[口絵] 伊能中図(東京国立博物館蔵) 津軽風俗画巻 平尾魯仙原画 (本文史料二四七号,) 青森海上泛船船中眺望図(上)と永徳丸図(右) 岩木山参詣図 平尾魯仙原画(弘前市立博物館蔵,) 文化13年の稽古館暦(弘前市立博物館蔵) 稽古館本(弘前市立図書館蔵岩見文庫),) 野辺地戦争戦死者墓碑(青森県上北郡野辺地町) 青海波雲龍蒔絵文庫(弘前市立博物館蔵,) 青海波文月千鳥蒔絵長手箱(弘前市立博物館蔵)
通史編3(近世2) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

口絵1 弘前市立図書館蔵津軽家文書 口絵2 弘前市立博物館蔵 口絵3 弘前市立図書館蔵津軽家文書 口絵,『近世風俗志(三)』 1999年 岩波書店刊 18 弘前都図 弘前市立博物館蔵 19 国日記 延享2年,弘前市立博物館蔵 36 津軽弘前城之絵図「諸国城郭絵図」第27冊 国立公文書館蔵内閣文庫 37 蓬か島,弘前市立図書館蔵一般郷土資料 40 興車図考附図 乙 弘前市立図書館蔵 41 弘前市立博物館提供 42,165 弘前市立図書館蔵岩見文庫 166 弘前市立博物館蔵 167 山形県鶴岡市 財団法人 致道博物館蔵
通史編1(古代・中世) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

国立歴史民俗博物館 五所川原市教育委員会 小泊村企画観光商工課 西光寺(弘前市) 猿賀神社,(広島県豊田郡安芸津町) 神長官守矢史料館(長野県茅野市) 仙台市教育委員会 仙台市博物館 大円寺,等持院(京都府京都市) 東北大学附属図書館 東北歴史博物館 常呂町教育委員会 浪岡町史編さん,八戸市立図書館 零羊崎神社(宮城県石巻市) 平賀町教育委員会 弘前市教育委員会〈市立図書館・,市立博物館〉 広島県立文書館 福島県立博物館 藤崎町教育委員会 法源寺(弘前市) 法立寺(弘前市
通史編3(近世2) (江戸後期の漆工芸)

江戸後期の漆工芸 江戸時代後半期の津軽の漆工芸は、『塗物伝書』や『塗物秘伝書』(弘図岩)から多彩なものであったことがわかる,天保四年(一八三三)五月に写された『塗物伝書』の内容は三五項目から成り立っている。,一方「弘化三年(一八四六)三月に伝授された」と書かれた『塗物秘伝書』の内容も、『塗物伝書』に類似しており,「このようにして塗ると、決して失敗しない、とても念入りに書かれた秘密の書き物なので他人に見せないこと」,図156.天保の『塗物伝書』に「漆を漉すのに使った紙を丸めたもので,唐模様を描く」と描かれている技法の
通史編1(古代・中世) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

口絵18 市立函館図書館 口絵19 八戸市博物館写真提供 口絵20 同上 口絵21 東奥日報社写真提供,同上 口絵23 南津軽郡浪岡町教育委員会 口絵24 西津軽郡鰺ヶ沢町教育委員会 口絵25 八戸市博物館,写真2 国立歴史民俗博物館 写真3 八戸市博物館写真提供 写真4 南津軽郡尾上町教育委員会写真提供,写真8 造東大寺司沙金奉請文 宮内庁正倉院事務所蔵正倉院宝物 写真9 日本書紀通證巻29 弘前市蔵,写真42 南瞻部洲萬國掌菓之圖 個人蔵 写真43 東北歴史博物館蔵 写真44 東北歴史博物館写真提供
通史編2(近世1) (染織技術の導入政策)

の伝授だけではなく、織物に活用可能な植物の調査の任にも当たったのであろう。  ,この書は元禄十五年(一七〇二)の成立で、蚕業に関する書物として最古のものとされ、この時点での蚕業技術を,集成した書であるとされている(日本学士院日本科学史刊行会編『明治前日本蚕業技術史』一九六〇年 日本学術振興会刊,「国日記」宝永元年(一七〇四)二月十五日条によれば、この書物は藩の命を受けた道玄が京都で板行させたものである,技術指導書としての役割を目指したものであり、ここで示された技術は織物師たちの技術をまとめたものといいえるであろう
資料編2(近世編1) (協力機関及び協力者一覧(各機関・個人ごとに五十音順、敬称略))

(岩手県盛岡市) 岩手県立博物館(岩手県盛岡市) 革秀寺(青森県弘前市) 巌鬼山神社(青森県弘前市,京都府宮津市) 熊野奥照神社(青森県弘前市) 国立国文学研究資料館史料館(東京都品川区) 東京国立博物館,国立公文書館内閣文庫(東京都千代田区) 弘前大学附属図書館(青森県弘前市) 福岡市博物館(福岡県福岡市,笹森洋子(弘前古文書解読会) 高木みさ(弘前古文書解読会) 田沢正(弘前古文書解読会) 天坂初子,(弘前古文書解読会) 豊田精造(弘前古文書解読会) 中谷嘉六(弘前古文書解読会) 原田義憲(弘前古文書解読会
資料編2(近世編1) (【解説】)

国日記)などの日記類、青森県立図書館所蔵の瀧屋文書、鯵ヶ沢町公民館所蔵の塩屋文書を中心に、国立国文学研究資料館史料館所蔵,の津軽家文書、京都府立丹後郷土資料館所蔵の丹後国元結屋三上家文書、福井県敦賀市立図書館所蔵の高島屋文書,漆はまた、塗物の原料として重要であり、平行して漆工芸も奨励していった。,なかでも領内から蝦夷地や南部地方へ人や舟が出てゆく際の文書、諸物資が各地へ移出・移入される際の文書には,中心であったのに対し、移入した品は陶器、木綿、古着、小間物、煙草などの日用物資を中心に様々な物であった
通史編3(近世2) (学官の職掌)

学官の職掌 工事と並行して学官名、各建物の名称、職制、教科科目の構成、教官人事等々にわたる制度面の検討,「学校物書頭」は庶務兼図書係長といった職務で図書の管理や事務一般を担当した。,学校名「稽古館」は『尚書』「堯典」冒頭の「ここに古の帝堯を稽(かんが)ふるに」に典拠を有する(資料近世,小司(鑓奉行格)竹内衛士、小司(物頭格)野呂登と続き、経学学頭六人(以下人名略、詳細は資料近世2No.,、学校目付四人、経学添学頭五人、兵学九人添学頭、紀伝添学頭一人、天文暦学添学頭一人、学校物書頭一人等々
通史編2(近世1) (「標符(通帳)」発行の前提と経過)

後日、その書き上げに応じて藩から分限相応の生活物資を下し置くというものであり、弘前はもちろんのこと、町,・在に至るまで領民所持の「金米銭並諸商代物」を残らず書き上げさせている。,いわゆる財産調査であり「実数書」としてまとめられた。,なお、五所川原市飯塚家文書に「宝暦六子年六月 諸産業改仕方書」(『五所川原市史』史料編2上巻)と題する,「定」の主な内容は、①貸借関係を帳消しとすること、②各自所有の金銀や物の数量を書き出すこと、③商売は、
資料編1(考古編) (例言)

「考古編」は解説・遺跡・遺物集成・図版により編成され、解説は青森県の各時代について概観し、遺跡は弘前市内,なお遺物集成は掲載資料の範囲を津軽全体にまで広げたものもある。,4.遺物の図版は縮尺が統一されていない。また、但し書きのない図版は調査報告書からの転載である。,5.所蔵機関および所蔵者名のない遺物は、弘前市教育委員会の所蔵または所管品である。
通史編3(近世2) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

国立国会図書館 護穀神社(青森県弘前市) 最勝院(青森県弘前市) 常福寺(東京都台東区),市立函館図書館 市立函館博物館五稜郭分館 白石市総務部振興課 真教寺(青森県弘前市) 新寺町稲荷神社,青森県弘前市) 専求院(青森県弘前市) 泉光院(青森県弘前市) 専修寺(青森県弘前市) 仙台市博物館,青森県上北郡野辺地町) 野辺地町歴史民俗資料館 平賀町教育委員会 弘前市教育委員会 弘前市立図書館,弘前市立博物館 弘前神明宮(青森県弘前市) 弘前八幡宮(青森県弘前市) 普門院(青森県弘前市
通史編5(近・現代2) (掲載写真の典拠・所蔵一覧)

口絵1~口絵3「津軽名勝と産業」弘前市蔵 口絵5   同 上 口絵10  弘前市立博物館蔵 口絵,361.2) 写真271 (142.0×67.8 1962年) 写真272 弘前市立博物館蔵,) 写真274 羽場国光氏蔵(65.0×44.7 1908年) 写真275 弘前市立博物館蔵,(29.2×21.5 1925年) 写真279 弘前市立博物館蔵(高さ122.0 幅59.2,写真283 同 上(35×41×35 1976年) 写真284 弘前市立博物館蔵
通史編1(自然・原始) (第三節 注および引用・参考文献)

(青森県立郷土館調査報告〈考古〉一) 一九七六年 (15)江坂輝彌 「青森県下北郡東通村尻屋物見台遺跡調査報告,吹浦遺跡』 庄内古文化研究会 一九五五年 (27)中村孝三郎編 『馬高、No.1(近藤編)』(長岡科学博物館研究調査報告書二,(46)尾関清子 「縄文時代の編みと織りの復原」『企画展よみがえる縄文ファッション』 秋田県立博物館,相模平坂貝塚の人骨について」『人類学雑誌』六一-三 一九五〇年 (49)星川清親・千原光雄 『食用植物図説, 『日本石器時代植物性遺物図録』 刀江書院 一九三二年   B 保坂三郎編 『是川遺跡出土遺物報告書
資料編3(近世編2) (協力機関及び協力者一覧(各機関・個人ごとに五十音順、敬称略))

(奈良県天理市) 東京国立博物館(東京都台東区) 東京大学史料編纂所(東京都文京区) 内閣文庫(,東京都千代田区) 弘前市立図書館(青森県弘前市) 弘前市立博物館(青森県弘前市) 弘前市教育委員会,) 荻野看生子(弘前古文書解読会) 小山けい(弘前古文書解読会) 工藤郁男(弘前古文書解読会),笹森洋子(弘前古文書解読会) 高木みさ(弘前古文書解読会) 田沢正(弘前古文書解読会) 天坂初子,(弘前古文書解読会) 豊田精造(弘前古文書解読会) 中谷嘉六(弘前古文書解読会) 原田義憲(弘前古文書解読会
資料編1(考古編) (資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)

 古代の鉄鈴 図111 墨書土器分布図 図112 刻書土器(1) 図113 刻書土器(2) 図,114 墨書土器(1) 図115 墨書土器(2) 図116 墨書土器(3)・硯 図117 原古墳群古墳配置図,表9 青森県における平安時代の墨書土器一覧 表10 青森県における平安時代の刻書土器一覧  ,図23 陶磁器に書かれた文字 図24 浪岡城出土墨書例 表1 青森県中世・近世遺跡一覧 表2,3号住居跡 カマド検出状況 写真 下恋塚遺跡第5号住居跡全景 写真 下恋塚遺跡第3号住居跡出土墨書坏
通史編2(近世1) (津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)

)・領知判物(りょうちはんもつ)が発給された。,厳密な書札礼にのっとった書式に基づいて書かれている。,出されている(伊達家文書、盛岡南部家文書)。,』一九八二年 汲古書院刊)。,得ることがなかった(「判物認方留書」盛岡市中央公民館蔵)ことから考えて、高直りの際に領知宛行状は発給されなかったと
通史編1(自然・原始) (第五節 引用参考文献)

八九-一〇六頁 (4)岩井武彦(一九六五) 青森県津軽盆地周辺に発達する新世界の地質学的並びに古生物学的研究,五七頁 (8)鎌田耕太郎・尾島香居・古川克彦(一九九四) 青森県黒石地域の鮮新-更新統中の潮汐堆積物、,七-九頁 (12)鎌田耕太郎(二〇〇〇) 津軽平野東縁遠手沢に分布する鮮新統の放射年代と火砕流堆積物の,、岩波書店、一三四頁 (19)丸山茂徳・磯崎行雄(一九九八) 生命と地球の歴史、岩波書店、二七五頁,)地球表層の物質と環境、岩波書店、五三-九六頁 (31)坂本竜彦(一九九三) 縞状堆積物の周期性について
通史編3(近世2) (二の丸屋敷稲荷宮)

宝暦八年(一七五八)一月三十日条には、小姓組御錠口役が初午の供物を取り扱っているところから、この時に稲荷宮,また、寛政三年(一七九一)には御広敷御用達が供物を取り扱っている。,このように小姓組御錠口役、御広敷御用達が供物の取り扱いをしていることから、この稲荷宮は二の丸屋敷の奥庭,「神社微細社司由緒調書上帳」(資料近世2No.四二一)は、 御城内二ノ御丸 一、御館神 一宇 と,この「神社微細社司由緒調書上帳」のみが、二の丸屋敷の稲荷宮を「御館神」としているが、その理由はわからない
通史編2(近世1) (「津軽一統志」の編纂まで)

・「万蔵寺古記録」・「津軽昔之由来書」・「最明寺殿日記」・「十三物語」といった書籍を収集・書写した。,「歴代覚書」は、津軽家の歴史を記した最も古い編纂物であり、別名「高屋家記」または「東日流(つがる)記」,、たとえ現在無役であったり家が断絶した者についても、先祖の名ばかりでもよいから「記録」を差し出すよう物頭,さて信政は、このように収集した文書や、自家に伝来する文書を集めて文書集を作った。,この古文書には、宝永三年(一七〇六)十二月の信政の奥書が記され、判物・朱印状・御内書・老中奉書など、津軽家
通史編3(近世2) (弘前藩津軽家所蔵の美術工芸品)

文化九年(一八一二)完成(明治以降も書き込みや修正が加えられてはいる。,次の什物目録も同じ)の「弘前城二の丸北の丸御宝蔵御道具帳(以下「御道具帳」と略称)」(三八五件)、天保十三年,(一八四二)完成の「津軽家所蔵書画文房什物目録(以下「什物目録」と略称)」(三二八件)は、どちらも弘前藩,および津軽家所蔵の書画骨董や什器などに関する台帳である。,絵師たちの絵、雪村や狩野元信、永徳らの古画屏風などが記録されているが、現存を確認できるのは弘前市立博物館蔵
通史編2(近世1) (二四 耕作噺(こうさくばなし))

二四 耕作噺(こうさくばなし) 安永五年(一七七六)、豪農中村喜時が津軽地方の田畑耕作に関する事実を書き,『日本農書全集』第一巻(農山漁村文化協会 一九七七年)所収。,農書としてはほかに、元禄十一年(一六九八)成立の一戸定右衛門による「耕作口伝記」、筆者不詳「津軽農書 ,案山子物語」、「芦沼の惣三郎農書」などがある。
通史編1(古代・中世) (渡嶋津軽津司)

ただ「津軽」と「渡嶋」とは『日本書紀』『続日本紀』では併記される存在であり、語感としても、その二つが津,名前の方の「鞍男」は和人的ではあるが、中央から派遣された人物であるのか、どこか日本海岸の地方の人物であるのかの,つまり鞍男は当地ではなかなか高位の人物なのである。,墨書土器が発見され、注目を集めている(写真41)。,写真41 寺中遺跡出土の墨書土器 「津司」と墨書されている(石川県金沢市)。
通史編5(近・現代2) (郷土文学館)

郷土文学館 弘前市立郷土文学館は、市立図書館の一画にあり、郷土出身の作家の著作物や愛用品等を展示している,二六平平方メートル、一階は展示室、ロビー、事務室があり、二階には石坂洋次郎記念室とラウンジが設けられ、新図書館,佐藤紅緑、葛西善蔵、福士幸次郎、一戸謙三、高木恭造、平田小六、今官一、太宰治)を選び、その自筆原稿、書簡,、戦前、戦後を通じていかに多くの作品が映画化され、弘前市民のみならず、日本全国の国民から愛されたかを物語,っている(なお、郷土の作家の詳細については、本書第八章第一節「文学活動」を参照)。
通史編1(自然・原始) (第一節~第三節 引用・参考文献)

研究Ⅰ、弘前市、一~九〇頁 河野義礼・青木謙一郎・門脇淳(一九六一) 岩木火山の岩石学的研究、岩石鉱物鉱床学会誌,島田昱郎・竹内貞子・石田琢二・斎藤常正(一九六三) 青森県津軽十三湖地域の沖積層、東北大学地質学生生物学教室研究邦文報告, 第五八号、一~三六頁 内藤博夫(一九六六) 秋田県米代川流域の第四紀火山砕屑物と段丘地形、地理学評論,泥流丘群(講演要旨)、火山 第二集第一二巻第三号、一四九頁 秋田県教育委員会(一九六八) 胡桃館埋没建物発掘調査概報,、八六~一〇一頁 松山力・大池昭二(一九八六) 十和田火山噴出物と火山活動、十和田科学博物館 第四号
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

(和歌山の研究1) 1979年3月 *62 家根祥多氏の御教示により、遺物を実見した。,(1)-水を飲む犬-」(古代文化43-8) 1991年8月 *88B 鈴木克彦 「動物考古学十選(2,2・3次発掘調査概報』(平安博物館) 1975年1月 *123 渡辺誠 『縄文時代の植物食』(雄山閣考古学選書,2) 1981年2月 *136 *97Aに前掲 *137 喜田貞吉・杉山寿栄男 『日本石器時代植物性遺物図録,』(刀江書院) 1932年1月 *138 保坂三郎 「図版解説-陸奥国是川遺跡出土品-」(是川遺跡出土遺物報告書
通史編3(近世2) ((二)食事)

検査した(小館衷三『津軽藩政時代に於ける生活と宗教』一九七三年 津軽書房刊、工藤主善「旧藩官制」国史津,、夜は湯漬けに香物(こうのもの)(野菜を塩・糠味噌(ぬかみそ)などに漬けた食品)・猪口物(ちょこもの),二汁五菜・二汁七菜・三汁九菜の三種類があるが、「二汁五菜御膳組并出順」(「献立書」弘図岩)によれば左のとおりである,御焼物    五 御飯    香物 一 御汁  鱠 猪口   二 御汁 御平 御通 四    ,、御肴 御吸物膳ヘ上ル   一、御盃台下ル   一、御吸物御膳下ル   一、御湯   一、御水 一、
通史編1(自然・原始) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

青森県環境生活部県史編さん室 青森県立郷土館 青森県埋蔵文化財調査センター 田舎館村教育委員会 大館市立中央図書館,開成技術株式会社 国土地理院 東北大学文学部考古学研究室 八戸市博物館 八戸市立田面木小学校,弘前市教育委員会 弘前市立図書館 弘前市立博物館 弘前大学教育学部地学研究室 森田村歴史民俗資料館
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