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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (養老礼)

高島半左衛門、山崎図書(学校小司 六十五歳 病欠)、「国老」は館山随鴎(八十二歳)、木立要左衛門(御城付物頭
通史編2(近世1) (異国船の領内来航)

目録を見る 精細画像で見る 図197.沖合に停泊する異国船  警固の藩兵は、三厩詰めの物頭一手,が六条之間村の浜先を、さらにその後詰めを勤める物頭一手が藤島村の浜先、弘前から派遣された一番手番頭一備,この届書では、「海岸向固之儀」について宗藩から在所黒石の家来に通達があり、それを受けて物頭一手の人数を
通史編3(近世2) (学官の職掌)

学官員の任命があり、総司津軽永孚を筆頭に、小司(大目付次順格)山崎図書、小司(鑓奉行格)竹内衛士、小司(物頭格
通史編3(近世2) (焼成について)

また火煙が立ちのぼることについてあらかじめ火消番頭や物頭へも連絡をとっているのは、火災との誤解を避け、
通史編2(近世1) (旅行者のみた領内海防)

人数が減少したというのは、それ以前の蝦夷地現地派兵が行われていた時代、「物頭一手」が置かれていたころの,一方、堀利煕とともに赴いた三厩陣屋では、陣屋の坂の下に使番、門外には物頭が、さらに、玄関脇には侍二〇人
通史編2(近世1) (民次郎一揆)

藩の対応は素早く、武勇で知られる大組物頭山本三郎左衛門に防御を命じ、願書の取り次ぎは新田代官と工藤仁右衛門
通史編3(近世2) (災害と生活)

この大火により、津梁院(しんりょういん)(藩主家の菩提寺)へ近火見舞のため物頭格(ものがしらかく)の藤岡三左衛門
通史編2(近世1) (「津軽一統志」の編纂まで)

、たとえ現在無役であったり家が断絶した者についても、先祖の名ばかりでもよいから「記録」を差し出すよう物頭
通史編2(近世1) (東蝦夷地直轄下の勤番体制)

津軽弘前藩はこの幕命に基づき、翌十二年三月には物頭三人・勘定人二人・作事方一人・医者二人・足軽五〇〇人
通史編2(近世1) (領内海防と台場の構築)

(にしだてうぜん)を士大将とする一手五五人を派遣し、また三厩・鰺ヶ沢・深浦・十三にも物(者)頭一手(物頭
通史編3(近世2) (勤務の状況)

おてまわり)・御馬廻組頭(おうままわりくみがしら)(番方の役職)が申し合わせのうえ、一人ずつ交代で詰め、物頭
通史編3(近世2) (能楽)

竹之間には台子を飾り、物頭から医者までが座った。
通史編2(近世1) ((二)蝦夷地出兵の諸段階)

弘前藩は、諸手物頭山田剛太郎・同都谷森甚之丞(とやもりじんのじょう)以下二隊二四二人を組織し、翌五年三月
通史編2(近世1) (寛文蝦夷蜂起と津軽弘前藩)

この出兵規模案は、鉄炮隊中心の、指揮者を足軽頭・物頭一人ずつという小人数であった。  
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