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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(烏帽子山紛争)
一方、津軽領と南部領の領境については、文禄四年(一五九五)、津軽領は
狩場沢
(かりばさわ)村(現東津軽郡平内町
狩場沢
,現在の東津軽郡平内町には、昔から「勝った勝った
狩場沢
、負けた負けた馬門」という言葉が残っているという。,この言葉は、山の入会権をめぐって黒石津軽領
狩場沢
村と南部領馬門村の間に対立が起こり、それが津軽弘前藩と,烏帽子山とは
狩場沢
村の東、馬門村の西にある低い山々の集まりである。,図111.藩境紛争に関する書状 正徳三年六月、ついに
狩場沢
村の百姓たちは、馬門村側の百姓が領境
通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
とこしない)~弘前~藤崎~浪岡~新城(しんじょう)~油川(あぶらかわ)~青森~浅虫~小湊(こみなと)~
狩場沢
,①は当時の参勤交代路である西浜街道(鰺ヶ沢街道)と、羽州街道の弘前~油川間と、奥州街道の油川~
狩場沢
間
通史編3(近世2)
(野辺地戦争の経過)
そして残りの三小隊を本隊として、街道を進み、
狩場沢
から馬門関門へ向けて砲撃を加えたのである。
通史編2(近世1)
(海防報告書にみる天保期の海防体制)
内真部(うちまっぺ)(現青森市)・油川(あぶらかわ)(現同市)・黒石領土屋村(現東津軽郡平内町)・同
狩場沢
,4 田沢村遠見番所 2 5 小湊村代官所 2 1 14 4 1 5 10
狩場沢
浦番所,(筋) 鉄炮(挺) 土屋村浦番所 5 5 田沢村遠見番所 3 小湊村代官所 10 10 10
狩場沢
村浦番所
通史編2(近世1)
(一里塚)
「正保国絵図」の中で、一里塚の印が記載されている街道は、大道筋の西浜街道・羽州街道・奥州街道(油川~
狩場沢
通史編3(近世2)
(捕虜となった庶民)
ったが、親たちからこのままでは敵前逃亡の罪で類は家族にまで及ぶから、戦場に戻ってくれと諭され、二十九日に
狩場沢
通史編2(近世1)
(旅行者のみた領内海防)
彼は翌日、小湊(こみなと)、
狩場沢
(かりばさわ)を経て南部領へと抜けている。
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