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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(幕末期近衛家との関係)
近衛家は五摂家筆頭で、津軽家の先祖藤原政信が近衛尚通(ひさみち)の
猶子
(ゆうし)(養子)となったのを契機,その時は九代寧親(やすちか)が、政信は近衛尚通の
猶子
ではなく庶子であると改めて回答し、後日近衛家にも届,津軽家にしてみれば血のつながりがない
猶子
よりは、血脈につながりが出る庶子の方が好都合であり、この返礼として
通史編1(古代・中世)
(津軽曽我氏の出自)
曽我兄弟の義父)の一族であることは、のちに祐信の本領である相模国足柄上(あしがらかみ)郡曽我郷の一部を
猶子
通史編2(近世1)
(津軽家の自己認識確立への試み)
前関白近衛信尋は、津軽家の系図が近衛前久の筆によること、そして津軽家の祖大浦政信が近衛尚通(ひさみち)の
猶子
,では為信の代から「津軽」姓を称したもので、それ以前は代々金沢・大浦を称したこと、そして政信が近衛尚通の
猶子
,幕府は、政信についてよほど気になったらしく、再び回答を要求し、その結果、津軽家側は、政信を「尚通公
猶子
通史編1(古代・中世)
(曽我貞光の奮戦)
現弘前市門外付近)を預けられ(史料六八五)、また五年七月には師助から本領相模国足柄上郡曽我郷内の田畠を、その
猶子
通史編2(近世1)
(信義の襲封)
のぶひろ)の書状によって、津軽系図の筆跡は近衛前久(さきひさ)の手であること、政信は近衛尚通(ひさみち)の
猶子
通史編2(近世1)
(公家との関係)
のぶひろ)から、系図が「龍山」すなわち近衛前久(さきひさ)の筆跡であり、祖先の政信は近衛尚通(ひさみち)の
猶子
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
四月二十六日、前関白近衛信尋、津軽信吉へ書状を下し、津軽系図の筆跡は近衛前久の筆跡なること、政信は近衛尚通の
猶子
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