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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(猿賀神社より盗み)
猿賀神社
より盗み 文政二年(一八一九)、三上清吉の次男の庄五郎は、猿賀(さるか)深沙宮(現南津軽郡尾上町
猿賀神社
/
猿賀神社
より盗み
資料編3(近世編2)
(●猿賀神社 本殿 尾上町大字猿賀字石林--県重宝)
●
猿賀神社
本殿 尾上町大字猿賀字石林--県重宝 この神社の創立については、古代にまで遡る伝承も伝えられており,図32
猿賀神社
本殿平面図 / ●
猿賀神社
本殿 尾上町大字猿賀字石林--県重宝
通史編1(古代・中世)
(田道伝説)
田道伝説 尾上町の
猿賀神社
(写真23)の縁起には、さらに古く『日本書紀』仁徳五十五年条に見える、蝦夷,写真23
猿賀神社
(尾上町) 写真24『日本書紀通證』巻之十六
通史編3(近世2)
(深沙宮)
深沙宮 深沙宮(じんじゃぐう)(現
猿賀神社
、南津軽郡尾上町)は深沙大将を祀る。,神仏分離によって
猿賀神社
と改称、郷社となり、明治十三年(一八八〇)に県社となった。
通史編4(近・現代1)
(開化思潮の影響)
また、幕末のころ、平田派の皇学を修めた平尾魯仙が、同学の友人岩間滴・増田幸太郎と三人で、明治六年に
猿賀神社
,の人々だけに、わざわざ「外国の品物に手を触れず」という題で、一人三十首ずつ和歌を詠み、これを額にして
猿賀神社
拝殿,これを見た魯仙ら三人は一概に洋風を斥けたことを恥じ、再び申し合わせて
猿賀神社
に赴き、さきの掲額に大工にかんなをかけさせた
通史編3(近世2)
(神宮寺)
神宮寺 神宮寺(現南津軽郡尾上町)は、深沙宮(じんじゃぐう)(現
猿賀神社
)の別当であった。
通史編1(古代・中世)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
国立国会図書館 国立歴史民俗博物館 五所川原市教育委員会 小泊村企画観光商工課 西光寺(弘前市)
猿賀神社
通史編1(古代・中世)
(青森県内の田村麻呂伝説)
たとえば『津軽一統志』首巻では岩木山三所大権現を延暦十五年創建とし、
猿賀神社
(深沙大権現)については、
資料編1(古代・中世編)
(二 乳井茶臼館の歴史)
封内事実秘苑』によると、戦国時代にこの地を領していたのは、乳井福王寺の別当で、猿賀深沙大権現(現在の
猿賀神社
通史編3(近世2)
(藩政前期為信)
図188.神明宮棟札 天正十四年(一五八六)に為信は深沙宮(じんじゃぐう)(現
猿賀神社
、南津軽郡尾上町
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
猿賀神社
尾上町 (もと猿賀村) 坂上田村麻呂 延暦年中(七八二~八〇六) 猿賀神宮寺 尾上町,(もと猿賀村) 天台宗
猿賀神社
の別当、もと深沙大権現と称す。
通史編3(近世2)
((二)年中行事と生活)
猿賀山(現
猿賀神社
)へ神酒・色飯。
資料編3(近世編2)
(【解説】)
八幡宮(弘前八幡宮)・熊野宮(熊野奥照神社)・神明宮(弘前神明宮)・岩木山下居宮(岩木山神社)・深沙宮(
猿賀神社
通史編3(近世2)
(金木屋の生活)
大道寺家一行が明日の早朝に出発し、猿賀(猿賀山深沙大権現(じんじゃだいごんげん)、現
猿賀神社
)へ参詣の
資料編1(古代・中世編)
([十四世紀])
●延文四年(一三五九・南正平十四)、この年、安藤師季(高季)、
猿賀神社
を再建すると伝えられる。
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
村越潔氏写真提供 写真22 日本書紀 斉明天皇元年7月条 弘前市立図書館蔵 写真23 南津軽郡尾上町
猿賀神社
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
……………… 岩大新渡戸文書 217 ●延文四年(一三五九・南正平十四)、この年、安藤師季(高季)、
猿賀神社
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