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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
村谷勘左衛門 代官町 緑町 植田町 萱町 笹権之助 上
瓦ヶ
,
町
中
瓦ヶ町
南
瓦ヶ町
北
瓦ヶ町
徳田町 南柳町 北柳町 坂本町 西川岸町 田代町 徒町 徒町川端町
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
富田町、富田新町 蓬莱 中初 敬業 中初 知類 中初 和徳学区 一 代官町、緑町、植田町、萱町、南
瓦ケ
,
町
、北
瓦ケ町
、上
瓦ケ町
、中
瓦ケ町
、徳田町、南柳町、北柳町、坂本町、田代町、西川岸町、徒町、徒町川端町、
通史編5(近・現代2)
(若葉・愛光幼稚園の合併と聖愛幼稚園)
若葉・愛光幼稚園の合併と聖愛幼稚園 北
瓦ヶ町
の私立若葉幼稚園は、私立弘前女学校幼稚園が独立の園舎を建築,両幼稚園は昭和二十六年四月から、ともに弘前学院の管轄となっていたが、三十三年四月合併、中
瓦ヶ町
一番地に
通史編3(近世2)
(瓦の製造)
元禄十五年(一七〇二)の「弘前惣御絵図」(弘図郷)では、前記古絵図のかわら屋二ヵ所のほぼ同じ場所に、
瓦ヶ
,
町
一丁目の通りに面して一ヵ所が記されている。,図152.
瓦ヶ町
の御瓦細工所周辺図 (右上に森山彦七の屋敷がある)
通史編5(近・現代2)
(柴田女子高校の繁栄)
三十五年五月、北
瓦ヶ町
の学園本部から出火し、短大、栄養学校、中学校の校舎のほか、講堂、学生寮のすべてが,まもなく本部と短大は北
瓦ヶ町
に、中学校は高校敷地内に再建されたが、時を同じくして起こった高校生急増対策
通史編4(近・現代1)
(その他の会社)
大正11年9月 富田町 株式会社弘前倉庫 100,000 42,000 貨物保管 明治32年12月 北
瓦ケ
,
町
竹内機業株式会社 100,000 30,000 織物製造 大正9年3月 代官町 弘前製紙株式会社,明治28年11月 代官町 弘前製氷株式会社 50,000 12,000 製氷販売 大正11年5月 北
瓦ケ
,
町
野崎食品株式会社 50,000 17,500 パン及菓子製造 同 9年7月 土手町 弘前商業株式会社
通史編3(近世2)
(焼成について)
また元禄十二年(一六九九)四月二十七日の普請奉行の申し立てでは、明日、土器町(
瓦ヶ町
とも)瓦屋で瓦を焼成,
瓦ヶ町
での焼成は享保年間(一七一六~一七三五)からしだいにとだえていった。
通史編5(近・現代2)
(りんご復興と澁川伝次郎)
昭和二十五年(一九五〇)、りんご会館を弘前市中心部の北
瓦ヶ町
に建設した(のち昭和五十年、城東中央三丁目,写真126 北
瓦ヶ町
時代のりんご会館
通史編4(近・現代1)
(学区の改変)
元長町、森町、覚仙町、鍛冶町、新鍛冶町、南北川端町などとなり、和徳小学学区は、和徳町、代官町、南北中
瓦ヶ
,
町
、田代町、徒町、西川岸町、坂本町、南北柳町、緑町、徳田町、北横町、徒町川端町、萱町、南横町、茶畑町、
通史編5(近・現代2)
(明治時代の柔術)
そして、明治十六年(一八八三)九月、長坂町に「北辰堂」、十七年二月、鷹匠町に「明治館」、二十年八月、北
瓦ヶ
,
町
に「陽明館」、二十七年十一月、本町に「城南倶楽部」(後に「城陽会」)がそれぞれ設立されたことを報告している
通史編5(近・現代2)
(和洋裁縫女学校の躍進)
を迎えたが、時勢の推移に敏感で、柔軟な対応をする和洋裁縫女学校にとっては、不景気も戦争も関係なく、中
瓦ヶ
,
町
・上
瓦ヶ町
の土地を購入して拡大を続けた。
通史編5(近・現代2)
(東北女子短期大学の開学)
写真143 柴田学園本部と東北女子短期大学(上
瓦ヶ町
・昭和25年ごろ) 昭和二十七年三月には、
通史編4(近・現代1)
(若葉幼稚園設立)
若葉幼稚園設立 弘前女学校内の教室で保育を続けていた同校付属幼稚園は、明治三十九年(一九〇六)、北
瓦ヶ
,
町
(現中央通りと萱町が交差する土地)に敷地を購入、園舎を新築してこれを若葉幼稚園と命名した。
通史編4(近・現代1)
(弘前和洋裁縫女学校)
評判になり、またたく間に生徒数が増え、大正六年には北川端町に移ったが、すぐに手狭となり、翌七年には上
瓦ヶ
,
町
に校地校舎を求め、「私立女子裁縫実践会」として発足した。
通史編5(近・現代2)
(弘前学院短期大学の開学)
写真144 昭和36年当時の弘前学院短期大学(北
瓦ヶ町
) 昭和四十六年(一九七一)一月二十七日
通史編5(近・現代2)
(富田大火と第一・第二大成小学校の焼失)
び、焼失区域は富田大通りの一部、偕行社通りの一部、住吉町、品川町、松森町一部、代官町、土手町一部、上
瓦ヶ
,
町
一部、和徳村一部、楮町に及び、焼失家数六一〇戸、半焼一九戸、本市未曾有の大火といわれた。
通史編4(近・現代1)
(町道場の設置)
○北辰堂(笹森町) ○明治館(鷹匠町) ○精交会(一番町) ○陽明館(北
瓦ヶ町
) ○城南倶楽部
通史編4(近・現代1)
(菊池武徳と中央政治)
菊池武徳と中央政治 菊池武徳は旧弘前藩士菊池元衛の長男で、慶応三年弘前
瓦ヶ町
に生まれた。
通史編4(近・現代1)
(市制施行直前の工業)
は、中津軽郡富田村に所在する盛蚕社、弘前本町の興業社、同所の漆器樹産会社、弘前和徳町の発誠社、弘前上
瓦ヶ
,
町
の改光社がある。
通史編4(近・現代1)
(新事物)
本町の矢川友弥・神忍、
瓦ヶ町
小西吉十郎、山道町斎藤篤一などが三十年代の写真館を担った。
通史編2(近世1)
(城下弘前の変化)
第三に土手町南西側(現山道町)と北東側(現
瓦ヶ町
)に新たな侍町ができたこと。
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