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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(考古編) ((1)縄文時代の甕棺墓)

(1)縄文時代の甕棺墓 大型の土器の中から人骨が入った状態で発見される遺構を、単に甕棺墓または改(再,)葬甕棺墓と呼んでいる。,甕棺葬は、このほか類似するものも含めると、次のような例がある。,⑦…同町唐竹の小金森遺跡で3個の甕棺を発掘。,この合口甕棺は、晩期中葉の大洞C2式土器のようである*242。 / (1)縄文時代の甕棺墓
資料編1(考古編) ((2)弥生時代の甕棺墓)

(2)弥生時代の甕棺墓 弥生時代になると、九州などの西日本では埋葬用の大型合口甕棺が作り出されており,や玉類などの副葬品が発見される例も多いが、本州最北の本県では、同様な遺物は出土しておらず、弥生時代の甕棺葬的,当地方に特徴的な土器を利用し、甕棺に使用した可能性の高い例が、西津軽郡深浦町広戸の吾妻野Ⅱ遺跡で数点出土,を倒立させて合口甕館としていたのであろう。,図27 甕棺(土器棺)墓 甕棺(土器棺)3基…倉石村・薬師前遺跡(後期) 3号棺内の人骨発見状態 / (2)弥生時代の甕棺墓
資料編1(古代・中世編) (深浦1~74)

-甕杉下- 深浦36 西深浦町関字栃沢-甕杉下- 深浦37 西深浦町関字栃沢-甕杉下- 深浦38, 西深浦町関字栃沢-甕杉下- 深浦39 西深浦町関字栃沢-甕杉下- 深浦40 西深浦町関字栃沢-甕杉下,-甕杉下- 深浦44 西深浦町関字栃沢-甕杉下- 深浦45 西深浦町関字栃沢-甕杉下- 深浦46,-甕杉下- 深浦52 西深浦町関字栃沢-甕杉下- 深浦53 西深浦町関字栃沢-甕杉下- 深浦54,-甕杉下- 深浦60 西深浦町関字栃沢-甕杉下- 深浦61 西深浦町関字栃沢-甕杉下- 深浦62
資料編1(考古編) (-古代前期Ⅱ期(8世紀代)-)

-古代前期Ⅱ期(8世紀代)- 8世紀前半代のものは、坏・高坏・長胴甕・球胴甕・甑で構成される。,この沈線や段状沈線は、甕の口縁部に用いられるものが多い。,図34 7・8世紀の土師器高台付坏、同坏 図39 7・8世紀の土師器小型甕・同長胴甕・同球胴甕,図40 7・8世紀の土師器小型甕・同長胴甕  8世紀後半では器種構成に変化が生じ、高坏,また、甕では前代の流れをくむ手法のものと、ロクロやタタキの用いられたものが共伴する。
資料編1(考古編) (-古代後期Ⅰ期(9世紀初頭~9世紀中葉)-)

また、甕は前代同様、ロクロやタタキが用いられる平底のものと、ナデ・ケズリのみのものと共存する。,甕の製作技法は、隣接の城柵なかでも志波城を含む陸奥国に特徴的な在り方を示す。,器種は坏・小型甕・長胴甕で球胴甕が欠落し、一部で鉢が用いられる。,9世紀中葉になると、ロクロ使用でタタキ出し丸底の長胴甕(「北陸型」または「出羽型」)が散見するようになる,図35 9世紀の土師器坏 図41 9世紀の土師器長胴甕  なお、この時期に北海道において
資料編1(考古編) (-古代後期Ⅲ期(10世紀中葉~10世紀後葉)-)

~10世紀後葉)- この時期の土師器の器種は前代(古代後期Ⅱ期)と同様、黒色処理と無調整の坏・小型甕・,長胴甕を主体とするが堝が欠落し、皿や耳皿が一定量使用される。,さらに把手付土器も徐々に散見するようになり、内面黒色処理壺(甕)も出現する。,なお、この甕類の黒色処理法は東北南部以南には存在せず、擦文土器に特徴的に使用される技法であり、その関係,しかし10世紀後葉では小物が欠落し、壺・甕・小鉢のみとなる。  
資料編1(考古編) (-古代後期Ⅱ期(9世紀後葉~10世紀前葉)-)

-古代後期Ⅱ期(9世紀後葉~10世紀前葉)- 器種は、黒色処理と無調整の坏・小型甕・長胴甕を主体とするが,甕類や堝は10世紀以後、ロクロ使用頻度が低下し、ケズリ・ナデが主流となる。,器種は坏・小型鉢・長頸壺・短頸壺・甕である。一方、擦文土器は散発的に出土するにすぎない。,図42 9・10世紀の土師器長胴甕 図43 9・10世紀の土師器小型甕  なお、10世紀前葉
資料編1(考古編) (-古代前期Ⅰ期(7世紀代)-)

土師器の器種は、坏・長胴甕・球胴甕・壺で構成される。高坏・甑の存在はまだ不明である。  ,器種は、坏・高坏・長胴甕・球胴甕・壺・甑で構成され、まれに筒形土師器も存在する。,甕の形態や調整技法は前代と大きな変化はないが、口縁部に、1~2条の浅い沈線や段状の沈線が施されるものが
資料編1(考古編) (-古代後期Ⅳ期(10世紀末~11世紀末)-)

煮沸具としての土師器甕がほとんどで、ほかに少量の坏と把手付土器・羽釜・内耳土器がある。,把手付土器) 図49 10・11世紀の土師器(甑・羽釜・内耳土堝・土製かまど)  土師器甕は,図44 10・11世紀の土師器小型甕・土師器長胴甕 図45 10・11世紀の土師器長胴甕・同球胴甕,器種は甕だけであり、その多くは在地産のものである。
資料編1(考古編) (-各窯跡の構造と出土須恵器の概要-)

坏・広口壺・長頸壺・大甕の各器種が生産されている。,坏・長頸壺・短頸広口壺・大甕が生産されている。,坏・長頸壺・短頸壺・鉢・大甕の各器種であるが、長頸壺・大甕が圧倒的に多い。鉢はまれである。  ,大甕は口径の大きい丸底甕である。口唇部に1~3条の沈線あるいは段状の沈線を持つものが多い。,生産された器種は坏・長頸壺・大甕等である。
資料編1(考古編) (1.12世紀の様相)

浪岡城内館・中崎館遺跡・伝山王坊の出土品があり、蓬田大館遺跡では中国製の青磁・白磁碗と渥美と推定される甕及,びかわらけ、高館遺跡では中国製白磁小皿、浪岡城内館では中国製白磁四耳壺・合子・碗と須恵器系甕・常滑渥美系甕及,びかわらけ、中崎館遺跡では中国製青磁劃花文碗・白磁碗・珠洲壺・甕・鉢及びかわらけ(カラー図1~4)、伝山王坊
資料編1(考古編) (7.小友遺跡)

また、井戸跡は素掘りで、中からは土師器甕・同坏・須恵器坏・同壺・砥石・鉄器が出土している。,甕・長頸壺がある。,甕は、ケズリ調整の発達した短頸のもので、底部にスダレ痕を残すものが主体を占める。  ,須恵器は、坏・甕・長頸壺とも五所川原窯産であり、中でも特徴をよく残す長頸壺は前田野目系窯産を示す。,また、須恵器甕の胴部片を再加工した転用硯もある。  
資料編1(考古編) ((3)弥生時代の土壙墓)

次にかけての調査で544m2が発掘され、弥生時代中期前半または弥生3期の宇鉄Ⅱ式土器期の土壙墓1基と甕棺,1基、同時代中期後半(4a期)の田舎館式土器期に属する土壙墓3基と甕棺1基、北海道の続縄文文化期前半の,追加の第4次調査では、2基の土壙墓が見いだされ、これらの土壙の中から甕棺も出土し、特に1号甕棺から2個,の細形管玉が、倒立して発見された2号甕棺(2個)からは石銛6・細形管玉2・ナイフ2などの副葬遺物が検出
資料編1(考古編) (-津軽五所川原古窯跡群で生産された須恵器の編年と年代観-)

しかし、持子沢に点在する窯跡群(持子沢系)と、前田野川上流域に点在する窯跡群(前田野目系)とは、壺・甕類,十二林窯の組成は、坏・壺(短頸壺・長頸壺)・甕で構成され、わずかに堝が加わる。,さらに前田野目系は、坏が比較的生産される時期から、坏・鉢類の小物が消滅し、大甕のみになる時期までの間、,図69 集落遺跡出土の須恵器壺類(9~11世紀) 図70 集落遺跡出土の須恵器大甕(,8~11世紀) 図71 集落遺跡出土の須恵器大甕(9~10世紀)
資料編1(考古編) (11.牧野Ⅰ遺跡)

・礫器・石錐・凹石・半円状扁平打製石器などのほか、土師器(平安時代後期11世紀後半~12世紀)の長胴甕・,小型甕・高台付甕等の破片、須恵器(長頸壺破片)、羽口・鉄滓も発見されている。
資料編1(考古編) ((3)6世紀代)

大沢遺跡の坏・甕は住社式前半段階併行期(6世紀前半)のもので、甕は重量感に富み在地生産をうかがわせる。
資料編1(考古編) (3.14世紀の様相)

また、弘前市鬼沢地区から出土したとされる越前大甕は、現在五所川原市内に所在するが貴重な陶磁資料である(,3鬼沢出土越前甕(個人蔵)  尻八館出土資料は、本時期も含めて13~15世紀の一級資料である。,招財」のスタンプをもつ壺(図9-2・3)があり、朝鮮の製品には三島手といわれる象眼粉青沙器や褐釉の大甕(
通史編1(古代・中世) (土器の煮炊から鉄鍋へ)

土器の煮炊から鉄鍋へ 古代における主体的な煮炊の道具である土師器甕(かめ)・堝(なべ)という器種は一一,写真83 内耳鉄鍋の復元(根城)  ただ形の上では古代における甕を深鉢形の器形、堝を浅鉢形の器形,古代において甕と堝の比率をみると、甕が圧倒的な数を出土することから、古代の場合は固定されたカマドによって
資料編1(考古編) (1.時代区分と弥生土器の編年)

遠賀川系壺形土器… 南郷村・松石橋遺跡 (南郷村歴史民俗資料館蔵) 遠賀川系甕形土器破片,遠賀川系壺形土器… 名川町・剣吉遺跡(青森県立郷土館保管) 砂沢式(二枚橋式系)甕形,…弘前市・砂沢遺跡 五所式台付浅鉢形土器…弘前市・砂沢遺跡 宇鉄Ⅱ式末広口壺形・甕形土器,… 三厩村・宇鉄Ⅱ遺跡 (青森県立郷土館蔵) 天王山系甕形土器 弘前市・砂沢遺跡
資料編1(考古編) (第4節 中世・近世の生活用具)

(おろしざら)(以上日本製陶磁器)/鉄鍋・鉄皿(以上鉄製品)石臼・石鉢(以上石製品) 貯蔵具 越前甕・,壺,珠洲甕・壺,渥美甕,常滑甕・壺,瀬戸美濃壺,中国製褐釉(かつゆう)壺(以上陶磁器)/曲物・桶(以上木製品
通史編1(古代・中世) (大浦氏関係の中世城館跡)

中国染付細片一〇点(碗・皿と思われる)、国産品では瀬戸・美濃陶磁器破片一六点(碗・皿)、越前破片三点(甕(,かめ)・擂(すり)鉢)、唐津破片八点(皿・碗・甕)といった陶磁器をはじめ、鉄製品では武器である鉄鏃や刀
通史編1(古代・中世) (七・八世紀代の津軽地方)

典型的な例として知られるが、青森県内で開発に伴う大規模調査が行われる以前には、市浦村十三中島遺跡の土師器甕・,球胴甕・坏・高坏・小型手捏(てづく)ね土器がまとまって出土しており、これらは、七・八世紀代の標識土器として,耕作中に発見された資料であるが、弘前市中野遺跡では土師器甕一二点、坏六点、片口土器一点の総数一九点が一括
資料編1(考古編) (資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)

復元住居を含む) 図25 土壙墓・石棺墓 図26 石棺墓・環状列石(ストーン・サークル) 図27 甕棺,同長胴甕・同球胴甕 図40 7・8世紀の土師器小型甕・同長胴甕 図41 9世紀の土師器長胴甕 図,42 9・10世紀の土師器長胴甕 図43 9・10世紀の土師器小型甕 図44 10・11世紀の土師器小型甕,・土師器長胴甕 図45 10・11世紀の土師器長胴甕・同球胴甕 図46 9・10世紀の土師器堝(1,9~10世紀) 図69 集落遺跡出土の須恵器壺類(9~11世紀) 図70 集落遺跡出土の須恵器大甕(
資料編1(考古編) (6.独狐遺跡)

竪穴内からは、10世紀代の土師器甕・同坏・須恵器甕が出土している。  ,また、この時期の土壙や溝跡あるいは遺構外の出土遺物には、10世紀後半~11世紀代の土師器甕・坏・須恵器甕
通史編1(古代・中世) (陸の道・海の道)

ルートを通じて津軽の地まで波及したと想定されるものに、中国製白磁四耳壺・同碗・同皿、常滑・渥美の壺・甕などがある,器種としては四耳壺・甕・鉢であり、古代須恵器の焼成技法を踏襲していることから中世の須恵器といえるのかもしれない
資料編1(考古編) (2.13世紀の様相)

七戸町から出土している常滑三筋壺(図6-1)・同大甕(図5-2)などはその重要な資料であり、浪岡町出土瀬戸瓶子,田舎館村出土珠洲系四耳壺(図7-1)、鰺ヶ沢町種里周辺出土珠洲経容器(図7-2)、弘前市荼毘館出土渥美甕などは
資料編1(考古編) ((2)文字資料と文字文化)

南津軽郡浪岡町字中野  〃 須恵器壺 〃 20 今 大平遺跡 南津軽郡大鰐町字杉浦平  〃 土師器甕,〃 21 〓 山本遺跡  〃  浪岡町徳才子字山本  〃 須恵器甕 〃 22 井 大平遺跡  〃  ,〃 24 〓 杢沢遺跡 西津軽郡鰺ヶ沢町湯舟字若山 製鉄遺跡 須恵器甕 〃 25 春 浪岡城跡,須忠器窯跡  〃 〃 29 × 大平遺跡 南津軽郡大鰐町大字長峰字杉浦平 集落跡 須恵器甕,蛍沢遺跡 青森市幸畑字蛍沢 集落跡 須恵器甕 〃 35 大井 李平下安原 南津軽郡尾上町字李平  〃
資料編1(考古編) (15.尾上山(3)遺跡)

出土した土師器は、坏・甕・小型甕・須恵器は短頸壺・甕・坏などである。
資料編1(考古編) (1.沢部Ⅱ号遺跡)

02001)では発掘調査の結果、縄文時代後期に属する十腰内Ⅰ群(式)土器と平安時代(10世紀)の土師器(甕と,坏)・須恵器(甕)の小破片が出土している。
資料編1(考古編) (1.中野遺跡)

(4)遺構・遺物の概要  出土遺物はすべて土師器で、坏6点、片口土器1点、甕12点の総数19点である,また、甕類はすべて頸部有段であり、一部には口縁部に1条から2条の沈線が巡るものもある。
通史編5(近・現代2) (荻原井泉水来弘す)

荻原井泉水来弘す 大正四年(一九一五)に旧渋茶会のメンバーが名を連ね、竹内抱甕子(たけのうちほうようし
通史編1(古代・中世) (地方色を顕す古代の津軽地方)

最終段階に位置付けられる高館遺跡・古館遺跡・砂沢平遺跡の主体的遺構群が知られており、煮沸具としての土師器甕がほとんどで,環壕(かんごう)集落が営まれた一一世紀後半代を盛期とする浪岡町高屋敷館遺跡の環壕からは土師器砂底坏・甕(
資料編1(考古編) ((6)縄文時代晩期)

平行沈線 三叉状入組文 斜縄文 壺形,深鉢形,台付深鉢形,盤形 浅鉢形,台付浅鉢形,甕形,巴状文 斜縄文 羊歯状文 壺形,台付鉢形,注口土器 浅鉢形,台付深鉢形,香炉形 鉢形,甕形,または列点文 平行沈線 羊歯状文 磨消縄文 壺形,深鉢形,台付深鉢形,片口形 浅鉢形,台付浅鉢形,甕形,縦位縄文 壺形,台付浅鉢形,皿形 浅鉢形,台付鉢形,注口土器 鉢形,台付深鉢形, 深鉢形,甕形,磨消縄文 縦位縄文 刺突文 壺形,台付浅鉢形 浅鉢形,台付鉢形 鉢形,台付深鉢形 深鉢形,甕形
資料編1(考古編) (4.15世紀の様相)

また、珠洲擂鉢・甕・壺に代わって越前の擂鉢・甕・壺が流入する時期であり、北陸地方との関係でも様相の変化
通史編3(近世2) (瀬戸師林兵衛による製陶)

、芋すり、土瓶(どびん)、酒器、醤油つぎ、ひょうそく(灯明器)、香炉、仏花器、油つぼ、らんびき、梅干甕(,うめぼしがめ)、お歯黒(はぐろ)甕、蟹(かに)甕など大小の甕類、抹茶茶碗などの茶器、各種植木鉢、そのほか
通史編1(古代・中世) (二 陶磁器と津軽)

甕や壺・擂鉢(すりばち)のような比較的大型の陶磁器も、珠洲を中心とする流通から越前の製品に移行する変化
資料編1(考古編) (はじめに)

縄文時代の葬法には、①土壙墓(どこうぼ)、②石棺墓、③土器棺墓(甕棺墓)などがある。
資料編1(考古編) (3.石川長者森遺跡)

竪穴内からの出土遺物としては、土師器甕・同坏・砥石がある。,甕のうち、2点は頸部が短く大胆なケズリ手法を用いたもので、他の1点は土渦状の形状を呈する。,遺物は、土師器坏・同甕・砥石2点が出土した。,甕は、頸部が短いケズリ調整のものである。いずれも、10世紀後半~11世紀前葉期の特徴を有する。
資料編1(考古編) ((1)石棺墓)

なお、当該遺構の時期は、伴出した甕棺により十腰内Ⅰ群(式)土器期とされている。,上北郡 六ヶ所村上尾駮 1基 楕円形 1.90×1.30 〔後期〕十腰内Ⅰ群(式)土器期 甕棺形土器
資料編1(考古編) (2.下恋塚遺跡)

袖及び天井部は灰白色の粘土を用いているが、土師器甕や石材(1号住・5号住)を芯材として使用しているものもある,これらの竪穴住居跡からは、土師器甕及び坏のほか鉄製品・羽口片等の遺物が出土している。
資料編1(考古編) (第3節 弥生時代)

のほかに鉄器や青銅器など金属器使用の開始、織物の出現、ガラス小玉及び管玉等に見られる装身具の材質変化、甕棺
資料編1(考古編) (13.神原遺跡)

土器は甕形・台付浅鉢形・壺形などの破片であり、土器編年上は当地方の弥生時代前期後半に位置づけられる五所式土器
通史編1(自然・原始) (発掘調査の成果)

を発掘し(161)、同年十二月には近くの小金森遺跡で、十腰内Ⅰ群期の甕棺が二個体分発見され(162)、,さらに翌年の五~七月にかけて、堀合Ⅰ号遺跡から十腰内Ⅰ群期の甕棺二個が発掘されている(163)。,(一九七八)五月末に三戸郡倉石(くらいし)村薬師前(やくしまえ)で、長芋畑の造成中に発見された三個の甕棺,なお、縄文に続いて弥生時代にも甕棺墓の存在があり、西津軽郡深浦町広戸の吾妻野Ⅱ遺跡出土合口甕棺(前期砂沢式期,)(165)、昭和五十七年(一九八二)に南津軽郡尾上町猿賀の五輪野遺跡で発掘された同時代の合口甕棺がある
通史編1(古代・中世) (住の道具)

写真174 中崎館遺跡出土の井筒  井戸から汲み上げた水を貯蔵するものとして、陶器の甕や曲物が使,われていたと考えられ、陶器では珠洲・越前の甕が多い。
資料編1(考古編) ((1)7・8世紀)

竪穴住居跡  このほか、細部の構造では、7世紀から8世紀前半にかけては、かまどにかける煮炊具(甕),の受け口が2個であったのが、8世紀後半以後には1個となることや、かまどの袖の芯材として長胴甕を両袖部の
資料編1(考古編) (4.発掘調査以外の遺跡)

宮舘板碑群は弘前市大字宮舘に存在し板碑の存在でつとに著名であるが、その場所から福田友之によって珠洲の甕破片
資料編1(考古編) ((1)東北地方南部以南との交易・交流)

須恵器には坏・高台付坏・大甕・横瓶(べ)があり、一般的な農村集落や終末期古墳群から出土している。,また、土師器甕の一部には「北陸型甕」と称される丸底で外面叩き成形したものも弘前市境関館遺跡や尾上町李平下安原遺跡
資料編1(考古編) (5.荼毘館遺跡)

井戸跡 6基のうち、平安時代のものは第41号井戸、20号井戸であり、前者からは比較的まとまった土師器坏、甕、,土師器は坏、甕、壺、把手付土器、小型皿、柱状高台坏がある。,須恵器は長頸壺、大甕であるが個体数は少ない。
資料編1(考古編) (〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器)

甕 10C~11C 2 独狐遺跡  〃 独狐字独狐森?,青森市安田字近野 集落 小型鉢 9C代 27 三内遺跡  〃 三内字丸山  〃  甕
通史編1(古代・中世) (原エミシ文化・エミシ文化の祭祀遺物)

墳墓の副葬品は、岩手県の例になるが、北上市岩崎台地墳墓群からは土師器甕(かめ)・壺、直刀・刀子(とうす
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