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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(産業組合拡充運動)
産業組合
拡充運動 昭和初期における農村の苦悩を前にして、政府は農民の窮乏打開のエネルギーを自力更生によって,解決を図るために、その実行機関として
産業組合
を位置づけた。,昭和七年(一九三二)
産業組合
拡充五ヵ年計画が決定、翌年から実施された。,その内容は、
産業組合
未設置農村の解消、区域内農家の全戸加入、信用・販売・購買・利用の四種兼営、組合統制力,わが国の
産業組合
は、信用事業を中心にスタートしたが、農業と農民組織の発展の中で
産業組合
の取り扱う事業の /
産業組合
拡充運動
通史編4(近・現代1)
(産業組合の設立普及)
による農民の組織化が課題となり、わが国では明治三十三年(一九〇〇)に
産業組合
法が成立した。,明治中後期に入ると農産物の商品化が進展し、
産業組合
の普及拡大が課題となった。,特に、日露戦争後の農村不況対策として、政府の推奨もあり、
産業組合
結成の機運が高まった。,県内では、明治三十九年(一九〇六)八月、大日本
産業組合
中央会青森支会が設立され、翌四十年三月、県は「
産業組合
創立費補助規程,しかし、黎明期における青森県の
産業組合
のうち、半数近くは信用組合によって占められている。 /
産業組合
の設立普及
通史編4(近・現代1)
(弘前市長らの商業金融に関する意見)
スコト (二)農工銀行ヲ督励シ、設立趣旨ノ遂行ニ努メシムルコト (三)地方商工業ヲシテ可成問屋若クハ
産業組合
,セシムルコト 交通機関 改善要項 (一)荷馬車積載量ノ制限ヲ撤廃スルコト 雑 第一章
産業組合
,サシムルコト (二)参考品ヲ蒐(しゅう)集シ之ヲ当業者ニ展示セシムルコト ここで取り上げられた
産業組合
,ナル組合ヲ設立セシムルコト 二、既設貯金講若クハ共同販売及購買事業ヲ行フ私設団体ノ組織ヲ変更セシメ、
産業組合
,弘前市長らの提言は、この
産業組合
に、政府の資金を導入する際に、県の関与を求めているのである。
通史編4(近・現代1)
(大正期のりんご流通)
りんご生産者がとるべき手段は、農民共同組織の結成であったが、農民的りんご販売に精力を注いでいた
産業組合
,そのため大正十一年(一九二二)から十二年にかけて、法制に準拠せず公認を得ない出荷組合の結成が相次いだほか、
産業組合
,
産業組合
、出荷組合、移出業者の三者の間で、包装・荷造りの改善と規格の統一・簡素化に関する調整が行われたが,、りんご販売を重点とする
産業組合
の力が一部を除いて弱体であったこともあり、根本的改善には至らなかった。
通史編5(近・現代2)
(りんご栽培の進展)
その要点は、「苹果検査廃止後ノ販売改善奨励施設ニ就テ」に見るように、
産業組合
の強化、主要消費地市場への,特に後者は、
産業組合
を優先して交付し、次に
産業組合
化を目指す出荷組合に交付した。,また、昭和四年、二二の
産業組合
に対して選果統一のための標準査定会の開始、青森県リンゴ組合連合会主催による
通史編5(近・現代2)
(経済更生運動と計画)
東目屋村では、経済更生計画を樹立し、特に「中堅青年養成」「
産業組合
ヲ拡充活用」「負債整理組合ヲ設立」が,東目屋村では、経済更生計画を樹立し、特に「中堅青年養成」「
産業組合
ヲ拡充活用」「負債整理組合ヲ設立」が,各町村においても町村長を委員長とする経済更生委員会が組織され、これに役場、農会、
産業組合
、学校、婦人会
通史編4(近・現代1)
(りんご生産の展開と農業振興)
さらに、明治四十四年九月には、「本会は
産業組合
法に依り設立したる林檎販売組合を以て組織」され、「県内に,本県初のりんご専門
産業組合
は竹舘村林檎購買販売組合(現平賀町)であり、弘前では明治四十三年(一九一〇),そのほかにも三〇近いりんご専門の
産業組合
が結成されるが、有名無実の組合もあった。,竹舘、清水は模範的
産業組合
と称されたが、いずれも相馬貞一(そうまていいち)、外崎嘉七(とのさきかしち)
通史編4(近・現代1)
(民次郎を継ぐ心)
その後、昭和五年(一九三〇)には弘前に
産業組合
津軽資生療院(七年に津軽病院と改称)をつくり、農民の指導者
通史編5(近・現代2)
(凶作と小作争議)
県では郷蔵の設置、自給肥料の改良増殖、
産業組合
の設置、多角的農業経営を奨励して対策を講じたが、農家一戸平均負債九二
通史編5(近・現代2)
(りんご加工業と輸出)
竹舘
産業組合
(現平賀町)の相馬貞一は、昭和二年(一九二七)、組合の経営の一環として石川駅前に加工場を開設,写真45 県購連弘前林檎加工場(弘前駅前) 竹舘
産業組合
でシャンパン事業に従事した佐藤弥作、田中武雄
通史編5(近・現代2)
(昭和恐慌の勃発と商工業)
貴衆両院議長宛 (前掲『弘前商工会議所五十年史』) 昭和八年(一九三三)には、中小商工業者は
産業組合
,これは、
産業組合
が、組合員以外にも商品の販売を行うことが法律違反であり、中小商工業者を苦境に追い込むというもので
通史編5(近・現代2)
(りんご復興と澁川伝次郎)
りんご復興と澁川伝次郎 戦時中に
産業組合
と農会が統合され、農業会が設立されたが、以後農業団体として認知
通史編4(近・現代1)
(農業団体の発展)
農業団体の発展 小農民の組織化に関する
産業組合
の役割と並んで、農業振興のために不可欠な農事改良・技術指導
通史編5(近・現代2)
(故郷(くに)を思う心)
平成元 一九〇八-一九八九)は、南津軽郡竹舘村唐竹(現平賀町)に、りんごの生産・販売・加工を中心とした
産業組合
運動
通史編5(近・現代2)
(供出と配給)
割当数量は昭和十七年十一月三十日の時点で、市に対し一樽三〇キログラムで、統制出荷組合や農会、
産業組合
などで
通史編5(近・現代2)
(軍人遺家族の援護対策)
市町村当局や農会、
産業組合
、漁業組合などの団体に授産設備を作らせ、遺家族に無償貸付けさせる事業で、仕事内容
通史編4(近・現代1)
(地主制の確立と在村地主の役割)
協議課題は、第一に、農事改良上の小作人の保護奨励の方法、第二に、地主と小作人間の精神上の結合方法、第三は、
産業組合
通史編5(近・現代2)
(戦時下のりんご統制)
戦時体制が強まる中で、国家統制の度合いはより強化され、昭和十八年(一九四三)には、農会と
産業組合
が解散合体
通史編4(近・現代1)
(外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人)
大正十一年(一九二二)、報徳会(会長楠美冬次郎)が、清水村
産業組合
の隣接地(現弘前市樹木二丁目)に記念碑
通史編5(近・現代2)
(新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)
………… 136 二 昭和初期のりんご産業の発展 ……………………………… 140 三
産業組合
拡充運動
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