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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(五 御用留)
五 御
用
留 「藩庁日記」とは別に、慶応元年(一八六五)から明治四年(一八七一)までの各種の御
用
留で、 / 五 御
用
留
通史編3(近世2)
(瓦の利用)
瓦の利
用
築城当時(慶長十六年〈一六一一〉)における瓦利
用
の実態については明らかでない。,城内の場合、本丸では一部の建造物の屋根周りや棟瓦に使
用
された。,下湯口(現市内下湯口)の瀬戸師石岡林兵衛の場合は半官半民の形で、藩
用
品を含め商
用
としての製瓦であった。,林兵衛自製の瓦と、左官の費
用
を寄進したのであろう。 ,なお、藩政時代には一部の家老の場合を除き、一般家屋の瓦の利
用
はなかった。 / 瓦の利
用
通史編4(近・現代1)
(新暦の採用)
新暦の採
用
明治五年(一八七二)十一月九日に改暦の詔が出て、わが国においても西洋諸国と同じように太陽暦,を採
用
することになった。,何しろこの新暦採
用
は日常生活の根本に触れた画期的な大改革であっただけに、抵抗や混乱が甚だしかったのである,このような再三の布令による啓蒙や指導にもかかわらず、その都度新旧暦法の混
用
を助長する結果に終わり、新旧暦併
用
,なお、新暦採
用
に伴って、これまでの旧暦に根ざした年中行事や祭が月齢と一致しなくなったため、おのずと元の / 新暦の採
用
通史編2(近世1)
(御用金の賦課)
御
用
金の賦課 このころから国元の商人たちからの御
用
金も恒常化してくる。,さらに寛延二年(一七四九)の飢饉の後には、弘前・両浜・在方の一〇五人に御
用
金合計八三二〇両と米三〇〇〇,このように江戸・大坂の借財の増加に対応する時期に、国元からも御
用
金・御
用
米の徴収がみられた。 ,御
用
金の賦課は宝暦の改革の後も続いた。,さらに天明の飢饉では少しでも余力のある町人・豪農に御
用
金の上納が命じられた。 / 御
用
金の賦課
通史編2(近世1)
(「用」の重視)
「
用
」の重視 乳井の著述においては「今日唯今」とならんで「
用
」「功」「実」という言葉が頻出し、彼の思想,乳井は物事を絶えず「
用
」の視点に差し戻してとらえようとする。,それは
用
いられてこそ貴重な水となる。,いかなる「清水」なりとも、それが
用
いられなければ「濁水の功
用
」に劣る。学問もまた然(しか)り。,学問は徹頭徹尾「
用
」に立つべきものでなければならず、「
用
」に立たなければそれは「聖教」ではない。 / 「
用
」の重視
通史編3(近世2)
(「天地の大用」)
「天地の大
用
」 乳井は効
用
性ということを重んじ、「
用
」に立つか否かを価値判断の基準とした。,「
用
に立つ」という場合、役に立つとか有
用
な働きをするといった意が第一義的には考えられるが、乳井においてはそれとともに,、すべてのものにはそれぞれに負わされた務めとしての「
用
」があり、その「
用
」を十全な形で担い果たしていく,(「功ノ実現」)、といった意味合いで「
用
に立つ」ということがいわれている。,つまり乳井の思想においては、「
用
」という言葉は有
用
性という概念を含みつつ、それを越えて、人間として為すべき / 「天地の大
用
」
通史編5(近・現代2)
(用途地域の設定)
用
途地域の設定
用
途地域の設定も都市計画の重要な柱である。,こうした
用
途地域はその後、昭和二十三年(一九四八)に改変されたほか、数次の変更を経て、分類も詳細になった,表57 弘前市の
用
途地域 (H 9.9.12現在) 区分 建ぺい率(%) 容積率(%) 面積, 60 150 236 8.96 (計701 26.62) 第二種低層住居専
用
地域 50,60 200 584 22.18 第二種中高層住居専
用
地域 60 200 82 3.11 第一種住居地域 /
用
途地域の設定
通史編3(近世2)
(質屋の利用)
質屋の利
用
江戸時代を通じて弘前城下の質屋の数が、どれくらいあってどのような変遷があったのかはまったく,城下の質屋は、生活の苦しさによる藩士の利
用
が多かったと推定されるが、両者間に問題が多く生じてくるのは天明期 / 質屋の利
用
通史編3(近世2)
(御用染屋堀越屋)
御
用
染屋堀越屋 「国日記」安永五年(一七七六)七月六日条には、堀越屋は先祖から代々年始御目見、染物御
用
相勤,むとあり、古くからの御
用
染屋であった。,安右衛門、五兵衛の名のりもあるがほとんどは軍兵衛を名のっていて、御
用
染屋としては最も長く続いている家系,後、堀越村(現市内堀越)に移り、陣旗・幕染方秘伝を心得ていて、軍事にその染めた品を
用
いると常に勝利するので / 御
用
染屋堀越屋
資料編1(考古編)
(〈引用文献〉)
〈引
用
文献〉 鹿野和彦・加藤碵一・柳沢幸夫・吉田史郎編(1991) 日本の新生界層序と地史、地質調査所報告 / 〈引
用
文献〉
通史編5(近・現代2)
(検定教科書の採用)
検定教科書の採
用
わが国の教科書は明治三十六年以来、四十数年にわたって国定制度のもとに発行されていたが,、昭和二十二年の六・三制の実施とともに、民間編集の教科書制度を採
用
することになった。,連合国軍総司令部は、わが国が国定教科書制度をとり、一種類の教科書を全国の小学校で使
用
している統制教育を,それが六・三制実施とともに断行されたもので、戦後の教育改革の中でも、検定教科書の採
用
は、最も注目された,本市小学校の検定教科書使
用
は昭和二十三年四月からである。 / 検定教科書の採
用
通史編5(近・現代2)
(新教科書の採用)
新教科書の採
用
文部省は昭和十六年から十八年にかけて国民学校初等科の教科書を全面的に書き直したが、この,一例として二年
用
の『ヨイコドモ 下』の第一九課には、日本の国が世界で最高の国で、しかも強い神の国であることを,国語教科書は一、二学年
用
が『よみかた』、三学年から『初等科国語』となっているが、この中にも当時の情勢を,から、戦時版というほどの修正はなされなかったが、『カズノホン 一』には軍艦や航空母艦を背景に多くの軍
用
機 / 新教科書の採
用
通史編5(近・現代2)
(自然保護か活用か)
自然保護か活
用
か その後、青森県が白神山地保全・利
用
について計画を策定し、国も白神山地世界遺産地域管理計画,自然保護か活
用
か、白神との共生をいかにすべきか、これらが解決すべき問題として残された。 / 自然保護か活
用
か
通史編1(古代・中世)
(藤原保則の登用)
藤原保則の登
用
時に国政の実権を握っていた摂政右大臣藤原基経(もとつね)は、五月、名吏の誉れ高い右中弁,(うちゅうべん)藤原保則を出羽権守に登
用
して、乱の平定を彼に託すことにした。 / 藤原保則の登
用
通史編4(近・現代1)
(初めてストーブを使用)
初めてストーブを使
用
十一年(一九二二)十一月下旬、弘前市各小学校で初めて薪ストーブが使
用
された。,これまで各校とも教室に火鉢二個を置いたが、ストーブの使
用
で教室はこれまでと比較にならぬほど暖かくなり、,しかし、具合がよいと評判になり、十二年度から本格的に使
用
された。,ストーブ使
用
に関して『東奥日報』は「十二年度現在、高小六、朝陽九、時敏九、第二大成九、和徳六、第一大成六,ストーブの使
用
は長欠児童をなくしたうえ、冬期学習の進捗向上を促した功績があった。 / 初めてストーブを使
用
通史編5(近・現代2)
(仮用附属と第四中学校)
仮
用
附属と第四中学校 朝陽小学校の卒業生三三八人を収容した第四中学校は、当時の青森師範学校長・同附属小学校長,もちろん二人とも兼務という形の発令であるが、開校当時の準備協議会や、廃校となる旧高等小学校の教具や
用
具類,師範学校では、とりあえず附属小学校(朝陽小学校)児童の進学先である第四中学校を、附属中学校としての仮
用
に,として借
用
中でありましたが、附属小学校を本校構内に新設することになったから、前記朝陽小学校は来る三月末,なお、第四中学校では仮
用
附属として開校した昭和二十二年四月二十二日を創立記念日とし、初代校長は須貝清一 / 仮
用
附属と第四中学校
通史編3(近世2)
(生地による統制と着用規定)
生地による統制と着
用
規定 寛文元年(一六六一)六月二十一日に出された一一ヵ条の第五条によれば、役高一,衣服・帯地・裏地・風呂敷などに
用
いる)などの着
用
は役高一〇〇〇石および側
用
人(そばようにん)(奥向の内政,、役高により生地の使
用
に区別があった。 ,役高三〇〇石以上、長袴以上の者は木綿の衣服を着
用
し、羽織袴などは上等な品を
用
いず、桟留(さんとめ)(桟留鎬,詳細な規定がみられるほかに、すべての藩士が木綿の衣服を着
用
することを命じられた規定がみえ、木綿着
用
の徹底化 / 生地による統制と着
用
規定
通史編2(近世1)
(四 御用格(ごようかく))
四 御
用
格(ごようかく) 津軽弘前藩における法令・儀式・作法・その他藩政の事例を藩庁日記方が類別し、,寛政二年(一七九〇)ころまでの記録を集めた御
用
格を通称「寛政本」といい、ほかに「第一次追録本」(寛政三年,それぞれ分類整理されているため、利
用
に便利な史料である。 / 四 御
用
格(ごようかく)
通史編1(自然・原始)
(第六節 引用・参考文献)
第六節 引
用
・参考文献 (1)青森地方気象台『青森の気象百年』 (財)日本気象協会青森支部 昭和六十一年,浅井富雄・内田英治・河村武監修 『気象の事典』 平凡社 一九八六年 (9)日本気象協会 『気象FAXの利
用
法 / 第六節 引
用
・参考文献
資料編1(考古編)
(〈引用・参考文献〉)
〈引
用
・参考文献〉 三宅徹也「東北各県の旧石器時代研究の歴史と現状」『旧石器時代の東北』 1981年 / 〈引
用
・参考文献〉
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
町役負担と御
用
金 それでは、城下の町方そのものが持つ経済力はどうだったのであろうか。,地子銀で雇
用
した町人足は小遣(こづかい)と称され、約一〇〇人が常に抱えられたので「百人小遣」と呼ばれた,このうち、名主・月行事・町年寄小遣・御
用
屋敷・新田会所・能役者屋敷・人馬請払所・鍛冶役所・具足役所などが,この時、城下の町方への御
用
金割当は一三〇〇両であった(同前安永四年六月十七日条)。,このように幕府から津軽弘前藩に普請役が賦課されると、御
用
金や冥加金が城下の町方や領内の商人に強制的に割 / 町役負担と御
用
金
通史編5(近・現代2)
(用の美と津軽民芸)
用
の美と津軽民芸 民芸運動で昭和四十五年県文化賞を受賞した相馬貞三(そうまていぞう)は、昭和二年に柳宗悦,たこえ)、アケビ蔓(づる)や根曲がり竹細工、伊達(だて)げら、ネプタ絵、玩具など、津軽の庶民が生んだ「
用
の /
用
の美と津軽民芸
通史編2(近世1)
(銀遣いへの変更と商人の活用)
銀遣いへの変更と商人の活
用
藩は上方商人から大きな借金を抱えていたが、それが累積していく大きな要因として,乳井貢ら御調方役所の認識にあったのは、江戸入
用
金が上方からの送金によって賄われていたことであった。,領内の通
用
貨幣は銭であり、金銀通
用
の江戸への送金のためには両替が必要となることから、両替の経費とともに,に任命し、従来の御
用
達町人をも調方役所の管轄下に置いている。,そして同四年六月十日に足羽次郎三郎を惣御
用
達に任命し、同二十九日に御
用
達町人らを運送手伝に命じて、足羽 / 銀遣いへの変更と商人の活
用
通史編1(自然・原始)
(《引用・参考文献》)
《引
用
・参考文献》 -第一部関係- 『東北地方の気候』 仙台管区気象台(一九五〇) 『岩手県災異年表 / 《引
用
・参考文献》
資料編1(考古編)
((11)その他の生活用具)
(11)その他の生活
用
具 これまで述べてきた生産
用
具・生活
用
具のほかに、以下のような生活の道具が知られている,7世紀~10世紀までは、一般的に火きり臼を
用
いた錐揉み法によるものであろう。,などは平安時代中期以後に発達するが、製作技法的にはこの時期に既に完成されていたものと思われ、近・現代で
用
いられるものとほぼ / (11)その他の生活
用
具
通史編2(近世1)
(「標符(通帳)」通用の実態)
「標符(通帳)」通
用
の実態 これまでみてきたように、藩は標符によって正金銀や米穀をはじめとする諸物資,本質的に信
用
貨幣として通
用
するはずの標符への信
用
は落ちる一方であった。,その理由として、標符の発行が準備不足なのに加え、短期間の通
用
であったことや、政策自体が乳井の独特な思想,しかし一番大きな理由は、標符とともに、限定付きではあるが、正銭の通
用
が認められていたことであった。,逆にまた、そこまで行く前に標符の通
用
が停止されたともいえよう。 / 「標符(通帳)」通
用
の実態
通史編5(近・現代2)
(弘前相互銀行と青南信用組合の合併)
弘前相互銀行と青南信
用
組合の合併 昭和三十三年(一九五八)、弘前相互銀行は資金量が一〇〇億円を突破し,四十三年六月、金融機関の合併および転換に関する法律の施行により県下ではこれまで信
用
組合、信
用
金庫などの,合併が三件あったが、四十八年八月、弘前相互銀行は黒石市に本店を持つ青南信
用
組合を吸収合併する。,なお、相互銀行と信
用
組合の異種合併は県内では初めてのことであった(『東奥日報』昭和四十八年八月一日付) / 弘前相互銀行と青南信
用
組合の合併
通史編1(自然・原始)
(第四節 引用・参考文献)
第四節 引
用
・参考文献 (1)岩井武彦(一九七九) 青森県津軽平野地域における温泉群の研究、青森県環境保健部 / 第四節 引
用
・参考文献
資料編1(考古編)
(第4節 中世・近世の生活用具)
第4節 中世・近世の生活
用
具 遺跡から出土する生活
用
具を見ると、その素材から分類する方法と機能から分類,陶磁器、鉄製品、銅製品、木製品、石製品、骨角製品、紙、革製品、竹、藁等で、プラスチックを除けば現在でも使
用
している / 第4節 中世・近世の生活
用
具
資料編1(考古編)
(〈用語の解説…第2節〉)
〈
用
語の解説…第2節〉 *1 カルデラ (caldera) …円形またはそれに近い火山性の凹陥地。,過助剤・吸収剤・研磨剤などに利
用
される。,*51 整合…地層間の関係を表す
用
語で、不整合の対語。,*54 珪化作
用
…珪酸に富む熱水溶液の作
用
で、緻密堅硬な珪質岩の出来る作
用
。,鉱床母岩の変質作
用
の一種として起こることが多い。 / 〈
用
語の解説…第2節〉
通史編4(近・現代1)
(「教科書事件」と国定教科書の使用)
「教科書事件」と国定教科書の使
用
明治三十三年八月、「再改正小学校令」によって、発音仮名遣いを規定し,、尋常小学校において使
用
する漢字を一二〇〇字以内に制限したことは、教科書の編纂に大影響を与えた。,教科書事件当時の文部大臣は菊池大麓であったが、菊池はこの事件を巧妙に利
用
し、かかる不祥事を出さないためにも,すなわち、これまでの小学校教科書は小学校図書審査会を経て知事が採択していたのを、単に「小学校ノ教科
用
図書,国定教科書使
用
の結果、教授法の形式化や画一化が促進され、個性豊かで創造的な教育実践は入り込む隙がなくなった / 「教科書事件」と国定教科書の使
用
資料編1(考古編)
(〈用語の解説…第3節〉)
〈
用
語の解説…第3節〉 *1 火山フロント (Volcanic front) …弧状列島に沿う火山帯,*3 微化石層序学…有孔虫、コノドントなどの微化石を利
用
して地層を区分・対比する生層位学。,*7 海退…海進に対応する
用
語で、海岸線が海側に後退し、陸側が拡大すること。 / 〈
用
語の解説…第3節〉
通史編1(自然・原始)
(第五節 引用参考文献)
第五節 引
用
参考文献 (1)藤本幸雄(一九八九) (3)白神山地、日本の地質2東北地方、共立出版、 / 第五節 引
用
参考文献
通史編1(自然・原始)
(第四節 注および引用・参考文献)
第四節 注および引
用
・参考文献 (1)A 松下孝幸 「九州と中国の古人骨を読む」『稲-その源流への道 / 第四節 注および引
用
・参考文献
通史編1(自然・原始)
(第一節~第三節 引用・参考文献)
第一節~第三節 引
用
・参考文献 八谷彪一(一九〇五) 岩木火山地質調査報文震予報 四八号 酒井軍治郎,鈴木三男・能城修一・辻誠一郎(一九九四) 十和田火山東麓における八戸テフラ直下の埋没林の年輪年代学の適
用
、 / 第一節~第三節 引
用
・参考文献
通史編1(自然・原始)
(第二節 注および引用・参考文献)
第二節 注および引
用
・参考文献 (1)「やさしいライフ・サイエンス 17」武田薬品工業株式会社提供 / 第二節 注および引
用
・参考文献
通史編1(自然・原始)
(第三節 注および引用・参考文献)
第三節 注および引
用
・参考文献 (1)安田喜憲 『環境考古学事始』 NHKブックス三六五 一九八〇年,「相模平坂貝塚の人骨について」『人類学雑誌』六一-三 一九五〇年 (49)星川清親・千原光雄 『食
用
植物図説,成田伝蔵・山田耕一郎 『青森県のきのこと山菜』 東奥日報社 一九七五年 三版 (58)渡辺武 『薬
用
植物 / 第三節 注および引
用
・参考文献
資料編1(考古編)
(〈用語の解説…はじめに・第1節〉)
〈
用
語の解説…はじめに・第1節〉 *1 プレートテクトニクス…地球表層部の数kmから数十kmまでの深 / 〈
用
語の解説…はじめに・第1節〉
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
第一節 注および引
用
・参考文献 (1)A 山崎立朴 『永禄日記(館野越本-元和九年正月の条)』 一七七八年 / 第一節 注および引
用
・参考文献
通史編3(近世2)
(諸家業と職人)
3軒 鞘師 9 内 御
用
鞘師2軒 塗師 14 内 御
用
塗師4軒 経師 5 内 御
用
経師1軒 大工 115,41 内 御
用
豆腐屋1軒 小売酒屋 13 絞油屋 27 蝋燭屋 16 内 御
用
蝋燭屋1軒 染屋,1 畳屋頭 1 切付師 2 但,御
用
矢師 3 但,御
用
御
用
蝋燭懸 1 御
用
蝋絞 1 御国産鉄取扱,6 内 御
用
3軒 豆腐屋 51 内 御
用
1軒 鍛冶屋 95 内 御
用
4軒 蝋燭屋 40 内 御
用
1軒,5 内 御
用
2軒 升屋 2 但,御
用
合羽屋 4 但,御
用
𨫤張 30 魚売 124
通史編5(近・現代2)
(国家総動員体制下の商工業)
昭和十四年(一九三九)には、国家総動員法第四条の規定に沿った国民徴
用
令が制定され、国民が軍需産業に徴
用
,一、現に技能を有って居て其の技能を活
用
して居ない者を活
用
するようにする 一、特殊技能を有って居る者を,徴
用
する場合は其の技能を生かす様な仕事にのみ徴
用
する 一、不急産業から先に徴
用
する。,青商第一四七七号 昭和十五年八月十日 青森県経済部長 各市町村長殿 工業
用
綿縫糸使
用
実績並需要量調査,トハ製品作製
用
糸ニシテ修繕
用
ハ含マズ(例端切ヲ以テ袋物製作ニ必要ナル糸及生地ヲ以テ前掛割烹衣、作業衣等
通史編3(近世2)
(日常着)
日常着 町人は原則として木綿の衣服を着
用
していた。,仲買および日雇の者に羽織の着
用
は許可しない、とみえている。,暑衣)を着
用
する者があると聞いているので、今後は麻帷子を着
用
すること(ここでは有力町人と一般町人の区別,⑤重立った町人の場合――年頭・五節句などの時には裃の着
用
を許可する。,このように布羽織の着
用
は、すでに述べた前掲『御
用
格』寛政二年(一七九〇)二月十一日条の②(第二条)にみえる
通史編5(近・現代2)
(地区計画)
地区において、それぞれの地区が持つ特性に応じた都市環境を確保し、保全するために地区施設、建築物、土地利
用
について,表58 地区計画決定状況 地区計画区域 当初決定 面積
用
途地域 備考 茂森新町地区 昭和59年5月10,日 6.3ha 第一種低層住居専
用
地域 住宅地 弘前市告示第72号 建築物制限条例 千年地区,浜の町地区 昭和60年6月8日 1.4ha 第一種中高層住居専
用
地域 住宅地 弘前市告示第93号,-
用
途の制限 弘前駅前・上土手町地区 土地の高度利
用
が見込まれるJR弘前駅前地区及び上土手町地区において
通史編3(近世2)
(衣服の生地)
それによると、農民は原則として日常は絹・紬(つむぎ)の使
用
が認められておらず麻布であったと推定される。,前述の『御
用
格』元禄十六年(一七〇三)三月条によれば、日常の農作業の際は麻布の着
用
を、特別の場合は高価,安永六年(一七七七)二月には、手織(自家製)の木綿の使
用
はよろしいが、麻布の着
用
が原則であったことがみえている,「国日記」寛政二年二月十一日条にみえる倹約令の第一条に、「在々男女共衣服之儀、一統布木綿相
用
候様」とあり,、麻布と木綿の両方を着
用
することが、明確に規定されている。
通史編3(近世2)
(日常勤務の服装)
おめつけ)(大目付の指揮を受ける監察の官)以上は麻裃(半袴と同じと思われる)を、それ以下は裏付裃を着
用
すべきことを,二、三の例を挙げたにすぎないが、「国日記」によれば文政八年までは登城に際して麻裃の着
用
例が圧倒的に多い,)(番方の役職の一つ)以上の者が肩衣を着
用
し、それ以下の者は肩衣着
用
を強制せず自由となった(「国日記」,天保六年(一八三五)には目付以上の者が継肩衣の着
用
を命じられ(同前天保六年三月十六日条)、さらに幕末の,)(藩主の一族)および役高八〇〇石以上の者、すなわち家老クラスも肩衣着
用
となった。
通史編2(近世1)
(預手形の性格)
な御
用
達商人に請け負わせる形になっていた。,信
用
を維持し、領内の金融の円滑化を図ろうとしたものと考えられる。,もっとも、最後まで御
用
達商人の発行であるという建前を崩すことはなかった。 ,なお、宮崎八十吉・竹内勘六が藩の御
用
達を解かれるのは同年の八月十八日である。 ,発行数が少なかったこと、通
用
期間が短かったこと、使
用
したのが主として藩士層が中心であったこと、これらの
通史編3(近世2)
(礼服)
礼服 儀礼
用
の衣服には裃(かみしも)と袴(はかま)がある。,これは一般農民に対してではなく、庄屋・組頭(くみがしら)(庄屋の補佐役)・裕福な者だけに着
用
が認められている,儀礼
用
ではないが、羽織について付け加えておく。 ,羽織は庄屋・組頭・裕福な農民に対して着
用
が認められている(資料近世2No.二一六)。,以上のことから、裃・袴・羽織の着
用
は村役人層にのみ許可され、一般農民は禁じられていたのである。
通史編1(自然・原始)
(凡例)
一、本文の記述は、原則として常
用
漢字および現代かなづかいを
用
いた。,ただし、固有名詞・人名・地名および特殊な
用
語については、この限りではない。,一、年号は、原則として和年号を
用
い、( )の中に西暦年を併記した。,ただし、第一章については必要に応じて西暦年を
用
いた。,一、年月日の表示については、明治五年十二月二日までは太陰暦を、それ以降は太陽暦を
用
いた。
通史編4(近・現代1)
(電灯業の発展)
電力の使
用
については、街灯、各戸引
用
灯、動力として使
用
された。その内訳は表45のとおりである。,使
用
戸数 動力数 基数 燭力 基数 燭力 引
用
戸数 灯数 燭力 明治39年 - - 148 5,765,表46に見るように特に一般住家での電灯使
用
の増加が著しかった。,表46 電灯使
用
戸数類別 類 別 明治39年 明治41年 明治43年 使
用
戸数 点灯 個数 燭力,使
用
戸数 点灯 個数 燭力 使
用
戸数 点灯 個数 燭力 官公庁 16 997 27,916
資料編1(考古編)
((5)骨角牙器(こっかくがき))
彼らは、捕まえた動物類を余すところなく利
用
し生活に役立てており、毛皮は衣類・敷物または履物に、肉や内臓,は食
用
とし、最後に残った骨角牙は各種の道具の原材に活
用
したのである。,これら骨角器は、機能及び
用
途を中心に見ると、生業を背景とする生産
用
具(漁労に使われた釣針・銛(もり)など,)では銛が*91、同時期の長七谷地貝塚(八戸市市川町=早期)では、組み合わせ釣針やアカエイの尾棘を利
用
した,これらの漁具製作に使われた原材は、シカの角が多く
用
いられ、シカ・イノシシの骨も利
用
されている。
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