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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(古代・中世編)
(田舎館1~2)
田舎館
1~2
田舎館
1 南
田舎館
村大袋字樋田-稲荷神社境内-
田舎館
2 南
田舎館
村東光寺字村林-二津屋共同墓地 /
田舎館
1~2
通史編1(自然・原始)
(田舎館面)
田舎館
面 浅瀬石川南岸および平川流域内に帯状の自然堤防として分布している。,高度は浅瀬石川流域において、黒石市浅瀬石付近で五〇~六〇メートル、下流側の
田舎館
村大根子(おおねこ)や,背後の常盤面はやや弧状の等高線の配置をなしているのに対して、
田舎館
面の場合は不規則ながら下流側へ凸状の,このため、
田舎館
付近では河床面と三~五メートルの高度差が認められるが、背後の常盤面とは若干の高度差が認,
田舎館
村高樋(たかひ)(三三メートル)、
田舎館
村役場(二五メートル)では、最上部に二~六メートルの有機質粘土 /
田舎館
面
通史編1(自然・原始)
(透水性)
貯蔵する地層の透水性は、弘前市街地でk=1.0×10-5cm/sec(青森県、一九九一)、
田舎館
村,丘陵・山地に分布する地層との関連では、弘前市街地で新第三紀中新世の大和沢層・松木平層相当層に、
田舎館
村,掘さく深度を考慮すると、弘前市街地で五〇〇メートル、
田舎館
村付近で一〇〇〇メートル、平賀町付近で七〇〇
資料編1(考古編)
(2.13世紀の様相)
6-1)・同大甕(図5-2)などはその重要な資料であり、浪岡町出土瀬戸瓶子・珠洲四耳壺(図6-2)、
田舎館
村出土珠洲系四耳壺,七戸町教育委員会蔵) 2浪岡町出土珠洲四耳壺(個人蔵) 図7 陶磁器写真・実測図(3) 1
田舎館
村出土珠洲系四耳壺,(
田舎館
村歴史民俗資料館蔵) 2鯵ヶ沢町出土珠洲経容器(個人蔵)
通史編1(自然・原始)
(掘さくの深度)
8号>を使用) 深度分布は、平野東部では弘前市街地で浅く、平賀町付近から常盤村・浪岡町付近、
田舎館
村付近,同一帯水層からの揚湯と仮定すると、帯水層の形状は
田舎館
村付近および弘前市高杉付近を中心とする盆状構造を,一方、東部の平賀町・
田舎館
村・浪岡町付近には、五〇〇メートルより浅い温泉が分布しないし、弘前市高杉より,帯状配列することから判断すると、帯水層を形成する地層は南北性に延びた褶曲(しゅうきょく)軸(平賀町-
田舎館
村地区,ただし、弘前市街地-藤崎町と平賀町-
田舎館
村の境界部の掘さく深度は図上において連続性が鮮明であるとともに
資料編1(考古編)
(1.時代区分と弥生土器の編年)
続いて、谷起島(やきしま)式(岩手県一関市谷起島)→志藤沢(しとうさわ)式(秋田県南秋田郡若美町)→
田舎館
式,(本県の
田舎館
村垂柳)→常盤(ときわ)式(岩手県水沢市佐倉河)土器という編年が提起された*147。,(弥生中期)五所式→二枚橋式→宇鉄式→
田舎館
式→(+)→(弥生時代後期)念仏間(ねんぶつま)式→鳥海山式,からすま)式*149、近年は、(弥生時代前期)砂沢式→五所式・二枚橋式→(弥生時代中期)宇鉄Ⅱ式・井沢式→
田舎館
式,天王山式(鳥海山式)のほか、(1期)砂沢式→(2期)五所式・井沢式・二枚橋式→(3期)宇鉄Ⅱ群→(4a期)
田舎館
資料編1(考古編)
(4.垂柳遺跡)
水田跡発見をさかのぼる6年前の昭和56年(1981)に、国道102号のバイパス建設に伴う事前の試掘調査で、
田舎館
村垂柳地区,図23 弥生時代の遺跡・遺物(
田舎館
村・垂柳遺跡) 垂柳遺跡の航空写真 垂柳遺跡発見の水田跡,
田舎館
式土器
田舎館
式土器
田舎館
式土器 (左上下2点及び土器3,点は県埋蔵文化財調査センター提供) クマの頭を表わした柄杓の柄… (
田舎館
村歴史民俗資料館蔵),火鑚臼… (
田舎館
村歴史民俗資料館蔵)
通史編5(近・現代2)
(四 戦後から市制百周年までの津軽選出国会議員)
地方区定員一 昭和三十五年十一月二十日第二九回衆議院議員総選挙 五万三九〇九票 自由民主党 田沢 吉郎
田舎館
村,地方区 昭和四十二年一月二十九日第三一回衆議院議員総選挙 六万七七七三票 自由民主党 田沢 吉郎
田舎館
村,青森市 昭和四十四年十二月二十七日第三二回衆議院議員総選挙 六万〇四八七票 自由民主党 田沢 吉郎
田舎館
村,八戸市 地方区 昭和五十四年十月七日第三五回衆議院議員総選挙 七万九二二九票 自由民主党 田沢 吉郎
田舎館
村,・選挙区 昭和五十八年十二月十八日第三七回衆議院議員総選挙 八万六二一七票 自由民主党 田沢 吉郎
田舎館
村
通史編1(自然・原始)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
個人順、五十音順) 青森県環境生活部県史編さん室 青森県立郷土館 青森県埋蔵文化財調査センター
田舎館
村教育委員会,木村徳栄(青森県南津軽郡浪岡町) 工藤雄太(青森県弘前市) ボーリング資料提供 板柳町
田舎館
村
通史編3(近世2)
(耕春院)
長勝寺並寺院開山世代調」によれば、曹洞宗現空派に属し、龍泉寺(越前)の末寺で、天文十一年(一五四二)、
田舎館
村,また、開山明室は晩年を為信に命じられて
田舎館
村に住み、信枚は二世連室に帰依していたため、惣五郎の葬式の
通史編1(自然・原始)
(津軽への稲作の伝来)
昭和三十年(一九五五)秋には
田舎館
(いなかだて)村で実施された圃場整備の際に、多量の土器が発見され、地元,
田舎館
式と称する弥生中期後半の土器は、
田舎館
村の各地で出土し、なかでも垂柳(たれやなぎ)と高樋(たかひ
通史編1(自然・原始)
(水田跡の発見・垂柳遺跡)
工事に先立つ事前の試掘調査の結果、一〇枚に及ぶ
田舎館
式土器期の水田跡が発見され、翌年から二ヵ年にわたる,
田舎館
村・垂柳遺跡で発見された水田跡
通史編1(自然・原始)
(第四節 注および引用・参考文献)
一九九〇年 (2)伊東信雄 「東北北部の弥生式土器」『文化』二四-一 一九六〇年 (3)工藤正 「
田舎館
遺跡,木村鉄次郎 「青森県松石橋遺跡から出土した弥生時代前期の土器」『考古学雑誌』六九-三 一九八四年 (8)
田舎館
村教育委員会
通史編1(自然・原始)
(平野南縁の地形区分)
田舎館
村は浅瀬石川の河床面あるいは背後の扇状地性低地から数メートルの高さをもつ微高地上にあって、等高線,なお、
田舎館
村の垂柳(たれやなぎ)遺跡から検出された弥生時代の水田跡は扇状地性低地に立地している。,この地域の地形区分を上位から花巻面、黒石面、平賀面、常盤面、そして
田舎館
面の五面に区分し、各面の地形的
通史編3(近世2)
(甲子信仰)
高崎・
田舎館
・賀田村の甲子碑は、日蓮宗の僧侶が中心となり、講を組織していた(資料近世2No.四四八)。
資料編1(古代・中世編)
([付図])
大鰐町八幡舘字八幡舘 観音堂 平賀 1~5 平賀町岩館字長田 五輪堂跡 6 平賀町岩館字長田 岩館共同墓地
田舎館
,1
田舎館
村大袋字樋田 稲荷神社境内 2
田舎館
村東光寺字村林 二津屋共同墓地 岩木 1~3 岩木町如来瀬字山田,船水館 80 黒石城 16 藤代館 81 垂柳館 17 境関館 82 諏訪堂館 18 福村古館 83
田舎館
城
資料編1(考古編)
(「新編 弘前市史」編纂事業関係者名簿(平成6年4月1日現在辞令交付分))
弘前大学人文学部教授 齊藤利男 弘前大学教育学部助教授 黒瀧十二郎 県立弘前中央高校教諭 稲葉克夫
田舎館
村誌編,Ⅲ 近・現代専門部会〕 ○部会長 千葉寿雄 弘前市教育委員 ○執筆編集員 稲葉克夫
田舎館
村誌編
通史編1(自然・原始)
(地下水系)
平賀町北部から
田舎館
村・常盤村・浪岡町付近ではアルカリ泉であり、地表水系の浅瀬石川水系にオーバーラップ
資料編3(近世編2)
(「新編 弘前市史」編纂事業 関係者名簿(平成十一年四月一日現在辞令交付分))
弘前大学教育学部教授 〃 黒瀧十二郎 弘前学院大学非常勤講師 〃 稲葉克夫
田舎館
村誌編, Ⅲ 近・現代専門部会 部会長 千葉寿雄 元弘前市教育委員 執筆編集員 稲葉克夫
田舎館
村誌編
資料編1(考古編)
((3)弥生時代の土壙墓)
され、弥生時代中期前半または弥生3期の宇鉄Ⅱ式土器期の土壙墓1基と甕棺1基、同時代中期後半(4a期)の
田舎館
式土器期,中でも第14号土壙墓(
田舎館
式土器期)は、187cm×120cmの径を有する楕円形(卵形)の
資料編1(考古編)
(協力機関及び協力者一覧)
板柳町教育委員会 平内町歴史民俗資料館 野辺地町歴史民俗資料館 下田町教育委員会 三戸町温故館
田舎館
村歴史民俗資料館
通史編1(自然・原始)
(「新編 弘前市史」編纂事業関係者名簿(平成十三年一月一日現在辞令交付分))
長谷川成一 弘前大学人文学部教授 〃 黒瀧十二郎 弘前学院大学講師 〃 稲葉克夫 元
田舎館
村誌編, Ⅲ 近・現代専門部会 部会長 千葉寿雄 元弘前市教育委員 執筆編集員 稲葉克夫 元
田舎館
村誌編
資料編1(考古編)
(4.弥生時代の住居跡)
拡張か,遠賀川系土器も出土 風張(1) 砂沢・二枚橋式 1 円 7.00前後 地床炉 13 なし
田舎館
式,特に中期の宇鉄Ⅱ及び井沢式土器期と、後半の
田舎館
式土器期(東北大学の須藤隆によるⅡ期とⅢ期)、並びに天王山式土器期
通史編3(近世2)
(中村善時)
中村善時
田舎館
組堂野前村新派(しんはだち)の豪農中村善時(なかむらよしとき)は津軽地方の気候や風土
通史編1(古代・中世)
(四耳壺の出土)
をみると、白磁四耳壺は浪岡城跡内館、瀬戸四耳壺は市浦村・伝山王坊遺跡、珠洲四耳壺は中崎館遺跡をはじめとして
田舎館
村,珠洲四耳壺(平賀町) 4 珠洲四耳壺(浪岡町源常平) 5 珠洲四耳壺(中崎館) 6 珠洲四耳壺(
田舎館
村
資料編1(考古編)
(〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器)
土師籾痕 9 八幡崎遺跡(1) 尾上町八幡崎字宮本 遺構外 〃 把手付土器 11C 10 前川遺跡
田舎館
村
田舎館
字前川
資料編1(考古編)
((1)石器と石製品の種類)
井沢 ○ ● ○ ○ ○ ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
田舎館
,井沢 ○ ○ ● ○
田舎館
通史編5(近・現代2)
((六)相撲)
と人に知られたる力士一ノ矢は、本年の大番附に大関の地位を占めたるが、元ハ本県下南津軽郡前田屋敷村(現
田舎館
村
通史編2(近世1)
(検地の実施)
そして、翌二十七日には、大光寺遣(だいこうじけん)本
田舎館
村・上
田舎館
村・小杉村・柏木村四ヵ村の検地目録
資料編1(考古編)
(第1節 中世・近世遺跡の概観)
岩木山元宮跡 岩木町 15 陶磁器・ 2 37 水木館跡 常盤村 16 陶磁器 7 38 樋口遺跡
田舎館
村,13 陶磁器 39 垂柳遺跡
田舎館
村 16 陶磁器・他 41 40 最花遺跡 むつ市 15,16
通史編1(古代・中世)
(県下の諸郡)
津軽平賀郡は岩木川上流地域、津軽田舎郡は黒石市・南津軽郡尾上町・
田舎館
村付近、津軽山辺郡は黒石市・南津軽郡浪岡町付近
通史編1(自然・原始)
(第四節 引用・参考文献)
青森県環境保健部、一-八頁 (11)温泉ゆう出地基礎調査報告書(一九九〇) 浪岡町・板柳町・藤崎町・常盤村・
田舎館
村
通史編1(自然・原始)
(津軽平野深部の地質)
これらの各層は、平賀町付近では北西から北方に、
田舎館
村付近では東方に、そして浪岡町付近では南西から南方
資料編1(古代・中世編)
(四 板碑の様式と石質)
宿川原~大鰐間の鶴ヶ鼻から産する石英安山岩が利用され、分布範囲は平川下流部の弘前市外崎(とのさき)、
田舎館
村大袋
通史編5(近・現代2)
(葛原市政)
かくて成田の助言もあり、当時
田舎館
村長の葛原運次郎と決定した。
通史編3(近世2)
(半紙の増産事業)
追子野木(おこのき) 深沢(ふかさわ) 唐川(からかわ)村 広船(ひろふね)村 尾崎(おさき)村
田舎館
通史編5(近・現代2)
(都市計画の開始)
しい区域は、弘前市、岩木町の行政区域の一部のほか、藤崎町、尾上町の行政区域の全部及び大鰐町、平賀町、
田舎館
村
通史編2(近世1)
(農書の成立)
後には、安永五年(一七七六)に津軽における北限の稲作の技術を集大成した「耕作噺(こうさくばなし)」が
田舎館
組東光寺村
通史編5(近・現代2)
(文展と帝展)
昭和二一 一九〇三-一九四六)、須藤尚義(すとうなおよし)(明治三五-昭和三一 一九〇二-一九五六
田舎館
村
通史編1(自然・原始)
(平賀面)
一方、浅瀬石川以北にあっては黒石面の前縁部に幅約一キロメートルの帯状の分布を示し、
田舎館
村東光寺・前田屋敷,浅瀬石川以北の平賀面に位置する、黒石市の運動公園⑥(三三メートル)および
田舎館
村東光寺⑦(二七メートル
資料編1(古代・中世編)
(参考文献(第四章に関連する主要文献・論文-各節の文中で記述したものは除く))
司東真雄『岩手の石塔婆-東北型の板碑文化』 (19)山屋道朗「碑めぐり」(陸奥史談52号) (20)
田舎館
村村誌編
資料編1(古代・中世編)
(協力者及び協力機関一覧(敬称略))
秋田市立中央図書館(秋田県秋田市) 鰺ヶ沢町教育委員会(青森県) 鰺ヶ沢町郷土文化保存伝習館(青森県)
田舎館
村村誌編
通史編2(近世1)
(続発する強訴の動き)
次いで同年九月二十四日から翌二十五日にかけて、猿賀組(現黒石市・南津軽郡尾上町・同郡
田舎館
村)の大勢の
通史編2(近世1)
(土着対象地と在宅分布)
徳 100 14 18 ⑨ 堀 越 78 16 17 ⑩ 田 舎 庄
田舎館
,20 赤石 10 10 田 舎 庄
田舎館
資料編1(考古編)
((3)葬制(終末期古墳))
原古墳群出土遺物 このほか、津軽地方では7~8世紀の古墳群に埋葬されるものと同類の勾玉が、
田舎館
村境森
通史編1(自然・原始)
(人類学会創設~昭和三十三年(一九五八))
中央との提携が芽生え、前述の佐藤蔀、三沢の廣澤安任(ひろさわやすとう)、弘前の外崎覺(とのさきかく)、
田舎館
,佐藤蔀図譜」より) 外崎覺 (『六十有一年』1922年より) 工藤彦一郎(祐龍) (
田舎館
村教育委員会提供
通史編1(自然・原始)
(常盤面)
一方、
田舎館
村境森(二三メートル)・常盤村若松(二二メートル)・同村立明徳中学校⑧(二一メートル)などでは
資料編1(考古編)
(5.青森県における弥生時代の終局)
5.青森県における弥生時代の終局 東北地方北部の弥生文化も、中期後半の
田舎館
式期を境にして衰退したのであろうか
通史編1(自然・原始)
(太平洋戦争終結後)
この年、南津軽郡
田舎館
村内で耕地整理が行われ、特に垂柳(たれやなぎ)地区で多数の土器等が出土した。,前年発見された
田舎館
村垂柳遺跡は、耕地整理の進展に伴ってその後も続々と遺物が出土し、工藤正はこれらの遺物,工藤正 (
田舎館
村教育委員会提供) 伊東信雄
通史編1(自然・原始)
(弥生文化の内容)
砂沢式ならびに
田舎館
式土器期の生活用具や住居なども、先の縄文晩期と比較して異なりはほとんどみられぬ状況
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