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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(甲子信仰)
甲子
信仰
甲子
(
かっし
)
信仰
は大黒天を祀るもので、室町時代(一三三六~一五七三)に大国主命(おおくにぬしのみこと,)の
信仰
と結びつき、左手に袋、右手に槌を持ち米俵にのった福相の姿になり、日蓮宗の守護神とされた(宮崎英修,高崎・田舎館・賀田村の
甲子
碑は、日蓮宗の僧侶が中心となり、講を組織していた(資料近世2No.四四八)。,藩主信明も
甲子
待をしていた。 ,
甲子
待は黒豆一〇〇粒を供え、深夜まで起きて祈った。 図251.旧黒石街道沿いの
甲子
塔 /
甲子
信仰
通史編3(近世2)
(信明)
在国日記」(国史津)を書き残しているので、特に大飢饉で餓死者八万人以上といわれる天明四年(一七八四)と、
信仰
面,天明八年には暮六ツ時(七時半ころ)に城内西湖の間に大黒天の画像をかけ、酒・肴の夜食に医者を相伴させ、
甲子
待,(
かっし
まち)をした。,
甲子
待は七福神の中の福神・大黒天(だいこくてん)を祀り、深夜まで起きていて祈願するものであった。 ,一方、庚申・
甲子
待は庶民の間にも広く行われてきているので、信明の
信仰
というよりも風俗習慣として行ったものであろう
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