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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (スポーツ・文化活動)

昭和六十三年に続き、弘前工業高校が二年連続の甲子園出場を果たし、その後を引き継いだ弘前実業高校が平成三年,、四年、そして八年にも甲子園への切符を手にし、弘前の夏は幾夏も熱い戦いに一喜一憂する市民の姿が見られた,ファッション甲子園と通称される全国高等学校ファッションデザイン選手権大会がそれであり、平成十三年から運動公園内
通史編5(近・現代2) (部活動の推移)

に県下を初制覇したことに始まる三十三年までの期間をいうが、この間、しかし、四度のチャンスがありながら甲子園,そして、四十六年春、ついに宿願の甲子園への道が開け、春季高校選抜野球大会への出場権を獲得した。
通史編5(近・現代2) (輝く弘前工高のスポーツ)

昭和五十一年、創部五十年目にして硬式野球部が甲子園初出場を果たした五十一年春の選抜高校野球選手権大会では,甲子園初勝利は、翌平成元年夏に連続出場を果たしたときで、沖縄石川校を五対一で下したが、二戦目(三回戦)
通史編5(近・現代2) (スポーツ王国義塾)

硬式野球も、甲子園に限ってみても、三十三年夏、一回戦で高知商と対戦、六対一で敗退。
通史編5(近・現代2) (白取朝陽小学校長の奇禍)

弘前市少年野球大会で最下位を低迷していた朝陽小学校野球部は、大正十五年初めて北奥羽代表として全国大会に出場、大阪甲子園球場
通史編5(近・現代2) (終戦直後の東奥義塾)

リレー競技で初優勝を飾ると、その翌年には二連覇をなし、総合でも二位となったほか、同じく二十七年、初めて甲子園
通史編5(近・現代2) (スポーツ王国弘前実業)

硬式野球も善戦しており、五十四年、五十九年と二度の甲子園出場を経験したが、初戦を突破するのは時代が平成
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