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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (男女共学の顛末)

男女共学の顛末 新制高校の場合、旧制中学校・高等女学校が男女別学であったので、弘前中央高校でも共学の,しかし施設が伴わず、「青森県高等学校の男女共学は便所の増築ではじめられた」(『青森県教育史』第二巻)というのが,軌道に乗りかけたかに見えた中央高校の男女共学ではあったが、かつての弘高女のイメージが強すぎたためか年々男子,少子化や世論の変化によって男女共学が見直されるようになるのは時代が平成に代わってからである。 / 男女共学の顛末
通史編5(近・現代2) (男女共学と週五日制)

男女共学と週五日制 平成において特筆すべき学校環境の変化は、終戦後すぐGHQの指導により、一時は導入,されつつ、わが国には根づかぬものとして、その数年後には旧に復し、そのまま推移してきた男女共学と週五日制,平成六年十月、青森県教育委員会は、翌年の入学選抜試験において弘前中央高校に人文科を新設し、これを男女共学,写真205 男女共学となった弘前中央高校(オリンピック出場のソフトボール斉藤春香選手を囲んで), 公立高校における男女共学への流れは私立高校にも飛び火し、弘前東工業校では既に昭和六十三年度から女子も / 男女共学と週五日制
通史編5(近・現代2) (新制弘前高校の誕生)

新制弘前高校の誕生 『二世紀への旅立ち-弘高百年の歩み』と題された記念誌に『東奥日報』の記事として男女共学,(昭和)二十五年には男ばかりの同校に女生徒も入学、画期的な男女共学が実施された。,「男女共学と言えば、リンゴの唄や青い山脈を思い出す。終戦の解放感があった生き生きした時代。,男女共学のほかに、選択科目制と単位制を導入したこともあった。
通史編5(近・現代2) (新制高校の発足)

新制高校が直面した問題点の一つは、男女共学であった。,しかし、青森軍政部はGHQの意向で、たびたび高校における男女共学について強く指導助言してくるようなところがあった,それでも県内では、弘高など、昭和二十五年度から男女共学に踏み切ることになった。,写真134 男女共学となった弘前高校玄関(占領下での英語の標識が見える)
通史編5(近・現代2) (昭和から平成へ)

戦争の世紀とも言われた二〇世紀だが、中等教育にとっても、戦後の六・三・三制や単位制、男女共学が採用されるなどの
通史編5(近・現代2) (終戦直後の東奥義塾)

二十二年になると、新制中学校発足とともに男女共学が始まった。,義塾はいち早く男女共学を採用したが、五年を経過し、入学志願者は女子校に集中して僅少となり、共学の目的を
通史編5(近・現代2) (弘前工業高校の変遷)

弘前工業高校の科の編制は、三十八年に木材工芸科が「工芸科」に改められ、四十年には建築科、工芸科、電気科で男女共学
通史編5(近・現代2) (新学制実施準備協議会)

・男女共学を原則とすること。  ・一学級の生徒定員は五十人を標準とすること。  
通史編5(近・現代2) (弘前学院大学の開学)

され、さらにこれが平成十一年には発展的に社会福祉学部社会福祉学科へと改組転換され、既存の文学部とともに男女共学
通史編5(近・現代2) (新制中央高校の誕生)

翌二十四年、新制中学校の卒業生を受け入れるに当たり、他校に先んじて男女共学を実施することになったが、女
通史編5(近・現代2) (社会教育研究大会)

○民主的団体の協議方法(講師小和田視学官・柴田やす・今村敏・長内正広・ 白浜キヨ・笹森レイ)  ○男女共学
通史編5(近・現代2) (高校進学の問題)

三年若干名、△私立柴田女子高校 普通科四〇人、家庭科・別科各二一〇人  男子の県立高校志望者は、この年から男女共学
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