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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(町役)
町役
城下に屋敷を持つ町人には、地子銀(じしぎん)・出人足(だしにんそく)(人足役)・時鐘撞茂合(ときかねつきもやい,)・木戸番・伊勢太々神楽(だいだいかぐら)への出銭などの
町役
が課せられた。,このうち、屋敷地に賦課された地子銀と出人足は、
町役
の基幹をなすものであり、弘前城下の場合、それらが交互,城下建設の時期に、町割りや城普請に人夫が大量に動員されたことが知られるが、成立期の城下での
町役
は、人足役,にいる間は、ほかの屋敷所持者と同じように
町役
を負担した。 /
町役
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
町役
負担と御用金 それでは、城下の町方そのものが持つ経済力はどうだったのであろうか。,しかし、この負担は町人にとって過重であったらしく、延宝七年(一六七九)「大組頭支配七組分御
町役
人足出帳,延宝7年(1679)の「大組頭支配七組分御
町役
人足出帳」より。 ,
町役
の地子銀納は正徳三年(一七一三)正月に、元の人足役の徴収に戻ることになる。,正徳三年(一七一三)五月の城下
町役
の「覚」(前掲「正徳期町方屋敷割裏書記録」)では、一年に人足九六人を /
町役
負担と御用金
通史編3(近世2)
((一)博奕の禁止)
①博奕の程度によっては五人組はもちろんのこと、村役人・
町役
人までも連帯責任で罰する。,博奕の品物を持っている者は、村役人・
町役
人へ差し出すこと。,また、これらの品物を売買したならば、当人はもちろん、五人組・村役人・
町役
人までも連帯責任で罰する。
通史編2(近世1)
(町方支配)
町方の支配機構は、町奉行のほかに、町年寄・町名主・月行事の
町役
人によって構成された。,一方、町年寄以下は、「
町役
」と呼ばれた町人である。,また、他領の城下と同じように、町名主と月行事は
町役
が免除された。,正徳期、町名主の小遣は、支配の町人から一人ずつ一一町から出され、各町内の屋敷持(
町役
としては中役)四軒,これら木戸の維持は、すべて
町役
をもって充当された。
資料編2(近世編1)
(【解説】)
近世史料2)の後期藩政の動向の中で触れることとし、したがって本章では、町方・村方支配の末端に位置する
町役
人,城下の町方支配機構は、町奉行のほか町年寄・町名主・月行事の
町役
人によって構成されており、町年寄以下は
町役
,
町役
人の主要な職務内容は、触れ・申し渡しの町内への周知徹底、宗旨改め・人別調査、町民の訴願届書の加印、,第二項の町方支配では、藩の御用を勤め扶持米を給与されていた町人の分限帳と由緒書、屋敷持ち町人に課せられた
町役
通史編2(近世1)
(二三 松井四郎兵衛留書)
特に元禄六年から同十年が詳しく、当時の都市の状況や
町役
人の職掌を知るうえで貴重な史料。
通史編2(近世1)
(町年寄の由緒)
町支配の下部組織が、三〇~五〇石取の小知行層を取り立ててゆくことで、しだいに表29にみえるような下級の
町役
人層,ただし、彼らが城下特権商人層を形成した形跡はなく、あくまでも
町役
人として、次代を迎えることになった。
通史編2(近世1)
(異国船打払令の発令と津軽弘前藩)
そして、異国船を発見しだい最寄りの村役人・
町役
人に通報し、村役人・
町役
人は手近の大筒方に申し出るように
通史編3(近世2)
(神事能)
宝暦四年(一七五四)には地謡の
町役
が免除され(同前)、天明五年(一七八五)には茂森町に屋敷を持つ西岡伝之助,が
町役
は免除されているが、地子銀を納めている例がみえる(同前)。
通史編4(近・現代1)
(最初の事務報告書)
例えば土手
町役
場では、営業税八三〇円二八銭五厘に対し五四九円二〇銭未納、実に六六%である。
通史編2(近世1)
(文久の面改め)
調査に当たっては、在方は代官所手代や庄屋など村役人、町は
町役
人、寺社は門前(もんぜん)庄屋が取りまとめることになっていた,めについてこのような連中が調査を嫌がり、隠れてしまうことがあるので、このようなことの起こらないよう村・
町役
通史編3(近世2)
(藩政後期)
同年、藩庁は寺社門前をそれまでの寺社奉行より町奉行の支配下に置き、
町役
の負担はこれまでどおり寺社奉行の,しかし、
町役
は出人足であったので、寺社に奉仕させる掃除等の出人足はそのまま寺社奉行の扱いとした。
通史編2(近世1)
(諸役と運上)
そして、屋敷持には
町役
が、町方の商工を営む者には定められた役銀が賦課された(以下は、長谷川前掲「弘前城下
通史編3(近世2)
(施行小屋の設置と犯罪防止)
図16.専修寺の餓死供養題目塔 一方、津軽領内の村役人や
町役
人に対し、領内の農村や町から飢えた
通史編2(近世1)
(南溜池の掘削と藩兵の訓練)
一八五八)になると、「非常御用柄之儀ニ付御国役高割ニ被仰付候」(「記類」下)と、藩の危機であることから
町役
通史編3(近世2)
(辻番・自身番・木戸番)
立詰めの番人がいるのは二一ヵ所、ほかに小人や雇入れの者を置いた木戸が九ヵ所あって、木戸の維持はすべて
町役
通史編3(近世2)
(町方の軍事負担)
されたが、この時も銀一五一貫二九九匁が弘前に割り当てられ(前掲「弘前藩記事」同日条)、新町では一六人の
町役
通史編1(自然・原始)
(平賀面)
平賀町沖館⑯(四五メートル)・柏木小学校⑰(四二メートル)・平賀
町役
場⑱(四〇メートル)では上記の各地点
通史編2(近世1)
(青森騒動の経過)
この騒動は当初
町役
人など町上層部の参加を得ないで開始されたが、名主会所を巻き込み町名主から町奉行に訴願
通史編3(近世2)
(盆踊り)
規定(「国日記」同年七月十二日条)では、衣裳を数奇(すき)にしないこと、踊りの列に喧嘩をしかける者は
町役
通史編3(近世2)
(弘前の民衆)
打つ刑)八〇に処せられたが(同前No.六二〇)、こうした罪人や胡乱(うろん)なよそ者はそれまで市中の
町役
通史編2(近世1)
(他領者の入領規制と流通統制)
また天保の飢饉の際に他散した者が帰ってくる場合も、以前の住所や家族、旦那寺、さらに「親類村役
町役
」の名前
通史編3(近世2)
((二)相撲興行)
また、宝永二年(一七〇五)と同五年には、菊地銭之丞から、厩町に屋敷を与えられ、
町役
も勤めてきたが、大破
通史編2(近世1)
(新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)
第五節 弘前城下の発展 ……………………………………………… 381 一 町方支配機構の再整備~
町役
負担
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
138 津軽一統志首巻 弘前市立図書館蔵 写真139 同上 写真140 同上 写真141 南津軽郡大鰐
町役
場企画観光課写真提供
資料編1(古代・中世編)
(出典・典拠一覧(第一章・第二章))
五戸木村文書 ……………………………………………………………………………………… 原本〔青森県五戸
町役
場
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