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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (りんごの病虫害とその対策)

りんごの病虫害とその対策 りんご栽培は大正期になると栽培面積が拡大し、米と並んで津軽の基幹的産業として,発展していったが、頻発する病虫害の発生のために存亡の危機に立たされた。,明治期に木洗い、袋かけ等の普及で小康状態にあった病虫害は、再び大正期に激発した。,三浦は、りんごの病虫害、特に大発生していた早期落葉病の原因が褐斑病(かっぱんびょう)にあることをつきとめ / りんごの病虫害とその対策
通史編4(近・現代1) (りんご生産の展開と農業振興)

写真97 堀内林檎問屋(蔵主町)  りんご栽培の最初の危機は、明治二十年代以降の病虫害の頻発である,すなわち、前述の敬業社や興農社に代表される雇用労働中心の大規模経営は、労働集約的な病虫害の防除法が確立,明治中期からの病虫害の発生は、労働集約的な防除法を確立させたが、同時に、地主・商人をして、病虫害に侵されていない,こうして、旧藩士の手によって弘前市街地に始まったりんご栽培は、資力のある地主によって郊外へ、そして病虫害,一時的に存続し得たとはいえ、粗放かつ雇用労働依存の経営であることには変わりなく、処女地といえども結局は病虫害
通史編4(近・現代1) (農業団体の発展)

同二十四年(一八九一)、清水村小沢にりんご園を開設、栽培法、病虫害、駆除予防法に尽力した。
通史編4(近・現代1) (外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人)

第三に、薬剤による病虫害の防除を行うことであった。  ,このように明治後半の病虫害大発生とその対策は、りんご経営に集約化と規模縮小を求めたが、一方では部落有秣場
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