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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (白狐寺)

白狐寺 白狐寺(びゃっこじ)は、稲荷宮(現新寺町稲荷宮)の別当であった。,弟子の貞昌寺隠居入誉が貞昌寺内に勧請したが、信政が宝永五年(一七〇八)新寺町に稲荷宮を創建し、別当を白狐寺,幕府・藩から新寺建立は禁止となっていたので、白狐寺は領内浄土宗が山崎専称寺を本寺としているのに属することができず,神仏分離の時、白狐寺は廃寺となり、胸肩宮(むなかたぐう)(現市内品川町)の神職山辺稲尾が祠掌となった( / 白狐寺
通史編3(近世2) (浄土宗)

信政は、宝永五年(一七〇八)に江戸浅草の熊谷(くまがい)稲荷を新寺町に創建(現新寺町稲荷神社)し、別当白狐寺,資料近世2No.四〇六)、同十四年(一七〇一)に「浄土宗諸寺院縁起」(同前No.四〇八)が成立していて、白狐寺,出羽国大館の青蓮庵が金戒光明寺の末寺であったことと(遠藤聡明「宝永五年の弘前新寺町稲荷神社の勧請と別当浄土宗白狐寺,白狐寺は藩主の意志で創建されたので、藩内では特に問題にならなかった(篠村正雄「津軽信政の稲荷信仰について
通史編3(近世2) (稲荷宮)

白狐寺を別当とし、神職を置かなかった。,神仏分離によって白狐寺は廃寺となり、社名を変えた(篠村正雄「津軽信政の稲荷信仰」『市史ひろさき』八)。
通史編3(近世2) (祈祷の地としての南溜池)

次いで、翌日には大行院に「請雨御祈祷」が命じられ、白狐寺境内の南溜池に張り出した出崎に壇場を設定して、
通史編3(近世2) (幕末期の市域)

春日町の春日神社の境内、同大星場(大砲発射練習場)は常盤坂の千本杉と石森の間、矢場は南溜池沿い新寺町の白狐寺
通史編3(近世2) (館神)

天保九年(一八三八)からは、和徳稲荷宮・白狐寺稲荷宮・革彦稲荷宮・築館稲荷宮・住吉宮とともに六ヵ所稲荷
通史編3(近世2) (居開帳)

図26.閻浮檀金阿弥陀如来  白狐寺(びゃっこじ)は、稲荷宮(現新寺町稲荷神社)の修復のため、享保十三年,宝永四年(一七〇七)創建の稲荷宮の別当であった白狐寺は、供米九石で経済的基盤が弱く、宝暦改革で寺社の修復
通史編3(近世2) (藩政中期四代信政)

宝永五年(一七〇八)に江戸浅草の熊谷(くまがい)稲荷宮を新寺町へ勧請(現新寺町稲荷神社)し、別当白狐寺
通史編3(近世2) ((二)富籤興行)

この年十一月には報恩寺の十一面観音堂(現袋宮寺)、十二月には白狐寺でも富籤が行われた。
通史編4(近・現代1) (戸籍法と戸籍区)

長勝寺々中一円 同元門前 古堀丁 同新割町 元裏門前 茂森派立 新寺町報恩寺元門前 万能寺元門前 山辺稲荷并白狐寺門前
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