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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(都市計画と道路建設)
富士見町撫牛子線 27 4,070 昭和38年9月18日 昭和51年4月15日 2,969.8 3.3.3 下
白銀町
福村線,27 4,130 〃 平成2年8月31日 1,844 3.3.4 弘前駅下
白銀町
線 22 1,520,日 1,400 3.4.2 富田千年線 18 2,990 〃 昭和59年7月3日 0 3.4.3 上
白銀町
桔梗野線,昭和48年11月22日 0 3.4.4 元寺町小沢線 16 3,300 〃 〃 0 3.4.5 上
白銀町
新寺町線,48年11月22日 1,332 3.4.8 鷹匠町石渡線 16 2,780 〃 〃 0 3.4.9 下
白銀町
亀
通史編4(近・現代1)
(時敏小学校の創設)
盈進学区(親方町、百石町、百石町小路、一番町、東長町、元寺町、鉄砲町、上鞘師町、下鞘師町、元寺町小路、下
白銀町
,それが実現したのは、名目統合した十八年八月から二年後、すなわち二十年四月で、下
白銀町
(現弘前文化センター
年表・索引編
([奥付])
平成18年2月14日発行 弘前市企画部企画課 〒036-8551 青森県弘前市大字上
白銀町
資料編1(考古編)
([奥付])
監修> 乕尾俊哉(弘前大学名誉教授) ■ <刊行> 弘前市市長公室企画課 青森県弘前市大字上
白銀町
通史編2(近世1)
([奥付])
乕尾俊哉(弘前大学名誉教授) 弘前市企画部企画課 〒036-8551 青森県弘前市大字上
白銀町
通史編3(近世2)
([奥付])
乕尾俊哉(弘前大学名誉教授) 弘前市企画部企画課 〒036-8551 青森県弘前市大字上
白銀町
資料編1(古代・中世編)
([奥付])
監修> 乕尾俊哉(弘前大学名誉教授) ■ <刊行> 弘前市市長公室企画課 青森県弘前市大字上
白銀町
資料編2(近世編1)
([奥付])
監修> 乕尾俊哉(弘前大学名誉教授) ■ <刊行> 弘前市市長公室企画課 青森県弘前市大字上
白銀町
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
宮崎文蔵 元大工町 森町 覚仙町 塩分町 元長町 上
白銀町
, 小田桐〓 東長町 元寺町 鉄砲町 上・下鞘師町 元寺町小路 下
白銀町
通史編5(近・現代2)
([奥付])
弘前大学名誉教授) 弘前市企画部企画課 〒036-8551 青森県弘前市大字上
白銀町
通史編1(古代・中世)
([奥付])
乕尾俊哉(弘前大学名誉教授) <刊行> 弘前市企画部企画課 〒036-8551 青森県弘前市大字上
白銀町
通史編4(近・現代1)
([奥付])
乕尾俊哉(弘前大学名誉教授) <刊行> 弘前市企画部企画課 〒036-8551 青森県弘前市大字上
白銀町
資料編3(近世編2)
([奥付])
監修> 乕尾俊哉(弘前大学名誉教授) ■ <刊行> 弘前市企画部企画課 青森県弘前市大字上
白銀町
通史編1(自然・原始)
([奥付])
乕尾俊哉(弘前大学名誉教授) <刊行> 弘前市企画部企画課 〒036-8551 青森県弘前市大字上
白銀町
通史編4(近・現代1)
(含英女小学創設)
地 名 設立年 新築 旧屋 公有 借用 教 員 生 徒 男 女 男 女 白銀小学 陸奥国津軽郡
白銀町
,一五八 - 亀甲小学 同 亀甲町 同 同 借用 九 - 三二六 - 白銀女小学 同
白銀町
通史編4(近・現代1)
(招魂祭)
招魂祭 これまで上
白銀町
の招魂社で行われていた招魂祭は、明治三十二年から公園本丸に祭壇を設け、靖国神社,なお、招魂社が上
白銀町
から公園四の郭に移転新築したのは明治四十三年十二月である。
通史編5(近・現代2)
(新生東奥義塾の躍進)
と同時に、稽古館以来の下
白銀町
から郊外に移転するという画期的な構想が明らかにされた。,移転は、下
白銀町
の敷地、校舎では急増する生徒に対応するにはあまりに手狭で、かつ、教育環境の面でも適さなくなったとの
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
学区内町村名 学校名 等科 本町学区 一 ○本町、在府町、相良町、元大工町、森町、覚仙町、塩分町、上
白銀町
,二 親方町、百石町、百石町小路、一番町、東長町、元寺町、鉄砲町、○上鞘師町、下鞘師町、元寺町小路、下
白銀町
通史編5(近・現代2)
(博物館の設置)
博物館の設置 昭和五十二年(一九七七)四月二十日弘前市立博物館が公園三の丸(下
白銀町
一番地六)に設置開館
通史編4(近・現代1)
(校名改称と一校新設)
一番小学は本町一丁目角の大津屋の民家を校舎としていたが、七年二月には上
白銀町
一番地(現弘前市庁舎敷地)
資料編1(古代・中世編)
(二 懸仏)
玉田久造氏 5.0 2.6 1.4 聖観音 7 弘前市新町/龍泉寺 3.9 4.1 - 聖観音 8 弘前市下
白銀町
一
通史編5(近・現代2)
(弘前文化センター(弘前文化会館))
弘前文化センター(弘前文化会館) 昭和五十六年(一九八一)九月、弘前市下
白銀町
一九番地四に弘前文化センター
通史編5(近・現代2)
(青年学校の移転と廃止)
弘前国民学校は学制改革(新制中学校発足)で廃校になるので問題はなかったが、青年学校は校舎を失い、上
白銀町
通史編5(近・現代2)
(市民会館の設置)
設置場所は弘前公園三の丸・下
白銀町
一番地六。鉄筋コンクリート造三階建て。
通史編3(近世2)
((三)住居)
町(しわくまち)(後に塩分町(しおわけまち))・茂森町(しげもりまち)・鞘師町(さやしまち)(後に上
白銀町
,)・銀町(しろがねちょう)(後に下(しも)
白銀町
)・大工町(だいくまち)(後に元(もと)大工町)・鍛冶町
通史編5(近・現代2)
(二 中学校教育)
三五一 九 7 中学校 藤代 船水字筒井五の二 大瀬新輔 一五 四三六 一一 8 中学校 和徳 下
白銀町
二
通史編5(近・現代2)
(新図書館の建設)
新図書館の建設 現市立図書館は弘前市制施行百周年記念施設として、下
白銀町
二番地一(追手門広場内)に設置
通史編5(近・現代2)
(図書館の新築)
その市が代替地としていたのは老朽図書館(下
白銀町
一四番地)の敷地約八百坪である。
通史編5(近・現代2)
(俳句会のリーダー木村横斜)
木村横斜は明治三年(一八七〇)三月二十日、現弘前市上
白銀町
に生まれた。
通史編4(近・現代1)
(師範学校と分校の設立)
さらに、弘前分校は、十三年に至って校舎を下
白銀町
の東奥義塾校地内の西側に移転したが、十七年(一八八四)
通史編5(近・現代2)
(弘前との因縁)
そして、このつながりをいっそう深いものとしたのは、昭和三十一年(一九五六)、当時の藤森市長が上
白銀町
の
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
蔵人町通(くらんどまちとおり)、長町通、寺町通、侍町(現百石町と百石町小路)、新土手町通、さやし町(現上
白銀町
,)、片原(かたはら)町(現下
白銀町
)、下片原町(現下
白銀町
東側堀端)、志(し)わく町、親方町、大工町、
通史編4(近・現代1)
(中津軽郡公立弘前中学校)
公立弘前中学は十四年に至ると生徒数が二三一人と増加し、中津軽郡町村聯合会は議決して、下
白銀町
の東奥義塾内
通史編4(近・現代1)
(ランプと写真)
田井隼人の子晨善(あきよし)はまもなく横浜で写真術を修得して帰り、十一年ごろに下
白銀町
に開業した。,また、十四、五年ごろには矢川璉が下
白銀町
に開業した。
通史編5(近・現代2)
(幹線道路建設)
七号弘前・黒石線が松森町までの完成をみ、また、昭和四十九年度から市営で続けてきた三・三・四号弘前駅・下
白銀町
線,⑦三・三・四号弘前駅・下
白銀町
線の事業促進を図る。
通史編4(近・現代1)
(玉成高等小学校の創立)
写真105 玉成高等小学校校舎 新築校舎は弘前市下
白銀町
二〇番地(現弘前中央高校敷地)に建てられ
資料編1(考古編)
(10.弘前城内遺跡)
10.弘前城内遺跡 (遺跡番号 02074)(図25) (1)所在地 弘前市大字下
白銀町
1番地
通史編4(近・現代1)
(県立工業学校)
県立工業学校 東奥義塾の廃校を条件に弘前に開校した県立工業学校は、大正九年に義塾が再興するに及んで、下
白銀町
通史編3(近世2)
(火災)
②延宝五年(一六七七)九月四日、親方町(おやかたまち)より出火し、親方町・
白銀町
(しろがねちょう)・塩分町
通史編1(自然・原始)
(原ヶ平面)
一方、下
白銀町
の東奥義塾跡地21(四五メートル)では、地表下約九メートル地点に厚さ約四メートルの灰褐色軽石質砂層
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
新屋敷は上
白銀町
、大行院門前・長勝寺山内・同門前・耕春院門前は西茂森町、裏門前は茂森新町、貞昌寺門前・
通史編3(近世2)
(宝暦期の城下)
この政策は同十年、同十二年と続き、弘前城を囲む堀端の
白銀町
と大浦町は上級藩士の住む武家地となり、蔵主町
通史編1(古代・中世)
([付図])
弘前市教育委員会 生涯学習課 文化財係 〒036-5881 青森県弘前市大字上
白銀町
,津軽氏城跡 堀越城跡 弘前城跡 S,27年3月29日 (S,60年11月15日 堀越城跡追加) 下
白銀町
,小友館遺跡 小友字宇田野 公園・宅地 集落跡・城館跡 縄文・弥生 平安・中世 74 弘前城跡 下
白銀町
通史編4(近・現代1)
(東奥義塾の再興なる)
下
白銀町
の校舎(現追手門広場)に復したのは、県立工業学校が馬屋町の新校舎に移って旧義塾の校舎を明けてからである
通史編5(近・現代2)
(生活道路の計画)
駅前地区を結ぶ地下連絡道が完成し、歩行者及び自転車の専用道としてその機能を果たしているほか、三・三・三号下
白銀町
通史編2(近世1)
(城下弘前の変化)
この結果、城の周りの町人屋敷は移転を命じられ、大浦町・
白銀町
が上級武士の屋敷町となった。
通史編4(近・現代1)
(市制の施行)
元中津軽郡役所に移転、二十五年六月二十日類焼したが直ちに新築、十一月十一日落成、その後昭和三十四年上
白銀町
一番地
資料編1(古代・中世編)
(二 本章で取り上げる中世城館跡)
(5)市街地区 ⑳和徳城(和徳町)、21鷹ヶ岡城(のちの弘前城、下
白銀町
)、22出間(でま)館(銅屋町
資料編1(考古編)
([付図])
02073 小友遺跡 弘前市大字小友字宇田野199 包含地 歴史 02074 弘前城跡 弘前市大字下
白銀町
,(前・後・晩期) 縄文土器,擦文土器,土師器,須恵器,板碑 59 02074 弘前城跡 弘前市大字下
白銀町
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