機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 8件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編3(近世2)
(三代信義)
三代信義 信義は、寛永十五年(一六三八)の浪岡八幡宮に続いて、
百沢寺大堂
、外浜善知鳥宮(現善知鳥神社
通史編3(近世2)
(江戸時代前期の建築)
岩木山神社の拝殿は、先にも述べたように、
百沢寺大堂
(本堂)として慶長八年(一六〇二)に為信が建てたものを,長勝寺の華御堂は、寛永十七年(一六四〇)
百沢寺大堂
と一緒に完成した。
資料編3(近世編2)
(●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢)
一五八九)正月の岩木山噴火による火災によって、百澤寺全山が焼失した後、慶長八年(一六〇三)に津軽初代為信が
百澤寺大堂
,三尊仏厨子堂 西茂森一丁目--県重宝 明治初期に長勝寺境内の蒼龍窟に移されたものであるが、岩木山
百澤寺大堂
通史編2(近世1)
(初代為信の動向)
百沢寺大堂
(現岩木町百沢の岩木山神社)の完成を期して慶長八年(一六〇三)八月に為信が奉納した棟札も現存,
百沢寺大堂
は「二年にてなる」(同前No.一七二)とあるので、逆算すると慶長六年の工事開始となり、下居宮,図58.
百沢寺大堂
棟札 この後、為信は慶長八年十月九日に上洛をしているが、慶長七年九月から同八年八月
通史編3(近世2)
(藩政前期為信)
(ひゃくたくじおりいのみや)(現岩木山(いわきやま)神社)を再建して寺領四〇〇石を寄進し、同九年には
百沢寺大堂
通史編2(近世1)
(信義の襲封)
同十七年(一六四〇)六月には
百沢寺大堂
の再建をし(同前No.六一四)、翌十八年(一六四一)正月には古懸
通史編3(近世2)
(江戸時代中期の建築)
中門は、その位置が変わっていて、
百沢寺大堂
(本堂 現拝殿)の前に建ち、文化財指定に遅れた経緯を持っている
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長八年(一六〇三)八月、津軽為信、
百沢寺大堂
へ棟札を奉納する。,●寛永十七年(一六四〇)六月、この月、津軽信吉、
百沢寺大堂
に棟札を奉納する。
/ 1ページ