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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(弘前カトリック教会(百石町小路))
弘前カトリック教会(
百石町
小路) 終戦前は弘前天主公教会と称した。,らがこの地に来て伝道、明治十一年本町、次いで蔵主町で民家を借りて会堂としたが、十五年フォーリー神父の時代に
百石町
小路 / 弘前カトリック教会(
百石町
小路)
通史編4(近・現代1)
(時敏小学校の創設)
大浦町、田町、田茂木町、禰宜町、若党町、小人町、春日町、馬喰町、亀甲町の一二ヵ町)と盈進学区(親方町、
百石町
,、
百石町
小路、一番町、東長町、元寺町、鉄砲町、上鞘師町、下鞘師町、元寺町小路、下白銀町の一一ヵ町)とに,下白銀町(現弘前文化センター敷地)に校舎を新築、六日に竣工の式を挙げた(注、盈進小学〈校〉は十年六月
百石町
通史編4(近・現代1)
(洋風建築と蔵造り)
洋風建築の始まりは、明治七年に本町一丁目に建った佐々木元俊邸だが、その後、
百石町
小路の天主堂が明治十五年,三十三年には
百石町
の樽沢屋と土手町の仏師本間が、三十六年に和徳町竹清がそれぞれ蔵造りになった。,なお、
百石町
の角三宮本呉服店は、蔵造りの建物に東京の河合という鋼(はがね)屋に依頼してなまこ板のトタン
通史編4(近・現代1)
(蓬萊館から大和館へ)
土手町の陰に隠れて意気の上がらなかった
百石町
商店街は、その繁栄策として、市民から館復活の声が盛り上がっていた,蓬萊館を
百石町
進出の形をとって再興させることを図り、大正六年八月、新しい映画館が誕生したのである。
資料編1(考古編)
((8)馬産と関連遺物)
遺跡出土の馬骨は、8世紀代の李平下安原遺跡(尾上町)・根岸遺跡(
百石町
)、9世紀の三内遺跡(青森市)などから,なお、8世紀後葉の段階では、本県でも牛が飼育されていたことが根岸遺跡(
百石町
)で判明している。
通史編3(近世2)
((三)住居)
と、慶安二年(一六四九)ころの「弘前古御絵図」(弘図津)によれば、弘前城を中心として、 城西――本
百石町
,五十石町(ごじっこくまち) 城北――御徒町(おかちまち)・小人町(こびとちょう) 城東――侍町(現
百石町
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
徒町川端町、山下町、南横町、○和徳町、北横町、茶畑町、茶畑新割町 和徳 中初 亀甲学区 二 親方町、
百石町
,、
百石町
小路、一番町、東長町、元寺町、鉄砲町、○上鞘師町、下鞘師町、元寺町小路、下白銀町、笹森町、長坂町
通史編4(近・現代1)
(日清戦争後の会社、銀行と工業生産)
同 弘前酒造合資会社 同 亀甲町 酒類製造 18,000 6 同 弘前金融合資会社 同
百石町
,仝 上 弘前銀行 同 上 同上 555,000 354 同 仝 上 弘前商業銀行 同
百石町
通史編5(近・現代2)
(見直したい弘前市の記録)
青森銀行の旧津軽支店も、現在は弘前市立
百石町
展示館として改築され保存されている。,写真233
百石町
展示館 写真234 三上ビル 一方、弘前城跡の北方、亀甲門から出ると,土手町、鍛冶町をはじめ、代官町、桶屋町、
百石町
、親方町、紙漉町、紺屋町、若党町、五十石町、元大工町、元寺町
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
下白銀丁 元大工町 元長町 親方町 元寺町 一番丁 鉄砲町 上鞘師町 下鞘師町 元寺町小路 東長町
百石町
,
百石町
小路 田町 田茂木町 禰宜町 笹森町 長坂町 蔵主町 大浦町 亀甲町 小人町 馬喰町 春日町
通史編4(近・現代1)
(地租改正の経過)
青森県農地改革史編纂委員会編『青森県農地改革史』昭和28年、64頁 ちなみに、弘前の市街地について、
百石町
,表8 弘前
百石町
地租改正結果 宅地 反別 収穫 (円) 地価 (円) 収穫金 (1反歩) 地租
通史編5(近・現代2)
(聖ヨゼフ幼稚園開園と明星幼稚園開園)
聖ヨゼフ幼稚園開園と明星幼稚園開園 昭和九年(一九三四)四月一日、弘前市
百石町
小路二〇番地に聖ヨゼフ
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
大島佳寿 新寺町 北新寺町 新寺町新割町 清水慶太郎 親方町
百石町
通史編5(近・現代2)
([口絵])
9 土手町風景 口絵10 葛城喜良画『慈善館(冬の景)』 口絵11 松竹大和館(
百石町
,口絵15 〝奉祝紀元二千六百年〟の垂幕を掲げた角はデパート(昭和15年) 口絵16
百石町
資料編1(考古編)
((9)蕨手刀)
) 6 西遺跡 八戸市 不明 7 根岸(2)遺跡 平成5年 町道整備事業の発掘 上北郡
百石町
根岸,(欠) - (欠) 土師器・桂甲 第8号竪穴住居跡内 (
百石町
教委蔵) 8 丹後平古墳群 八戸新都市開発
通史編1(自然・原始)
(境関面)
土淵川流域の
百石町
・徒町川端町・徳田町・南横町・北横町・野田などがこの面上に位置し、また田代町・坂本町
通史編5(近・現代2)
(スーパーマーケットの登場)
代官町3 41.11.19 〃 中三弘前店 土手町61 37.11.16 〃 中央百貨店
百石町
通史編4(近・現代1)
(その他の会社)
塵紙 同 7年4月 富田町 津軽織物株式会社 50,000 37,500 綿織物製造 同 8年3月
百石町
通史編5(近・現代2)
(建築近代化への立ち後れ)
ただ、その中で、明治十六年(一八八三)に
百石町
に建てられた「角三」宮本呉服店(現白石町展示館)だけは、
通史編5(近・現代2)
(小売業の動向)
⑦
百石町
商店街・・現在の街区の性格は、広域的性格をもちつつも他方では最寄的性格をももっている。,5.3 5 上土手町 72 2.5 395 3.1 364,971 2.2 6,575 3.4 6
百石町
資料編1(考古編)
((3)葬制(終末期古墳))
主体部は検出されていないものの、終末期古墳と推定されている円形周溝だけが確認された遺跡として、根岸遺跡(
百石町
通史編5(近・現代2)
([付図])
29 岩木川氾濫による水害〈昭和33年〉 30 目屋ダム完成〈昭和34年〉 31
百石町
商店街
通史編4(近・現代1)
(殖産興業の展開)
富田村 仝郡 弘前本町 仝郡 仝町 仝郡 弘前本町 仝郡 弘前 和徳町 仝郡 弘前
百石町
通史編4(近・現代1)
(弘前観桜会の幕開け)
元寺町、
百石町
などの大通りでは、日の丸を掲げ造花を飾りつけ、中には紅白の幕を張りめぐらせている商店もあった
通史編2(近世1)
(飢饉の惨状)
弘前でも非人による死体処理もままならず、十二月には
百石町
川端など所々の橋の下には死人の薦包(こもづつみ
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
蔵主町の間にもう一本通りがあった)、横町通、蔵人町通(くらんどまちとおり)、長町通、寺町通、侍町(現
百石町
,と
百石町
小路)、新土手町通、さやし町(現上白銀町)、片原(かたはら)町(現下白銀町)、下片原町(現下白銀町東側堀端
通史編5(近・現代2)
(子ども会の動向)
浜の町 和徳町 馬屋町 鍛冶町 新鍛冶町 銅屋町 南川端町 本町 亀甲町 田茂木町 仲町 下元寺町
百石町
通史編4(近・現代1)
(日露戦争と小学校)
写真107 日露戦争凱旋門(
百石町
) 戦勝に果たした小学校の功績は大きい。
通史編4(近・現代1)
(県下銀行の発展と金融都市弘前)
. 4 同
百石町
200,000 110,000 109 同 津軽銀行 31. ,弘前商業銀行 明治二十九年、弘前市大字
百石町
二四に設立。
通史編3(近世2)
(寛政期の城下)
その受け入れ先になったのは、元寺町・蔵主町・在府町・相良町・馬屋町・
百石町
・笹森町・長坂町・森町・若党町
通史編2(近世1)
(土着策と弘前城下)
そしてこれと並行して屋敷替えも行われ、在府町・相良町・
百石町
・蔵主(くらぬし)町・笹森町については、これまで,相良町 三〇〇石より一〇〇石まで 馬屋町 三〇〇石より一〇〇石まで
百石町
一〇〇石 ただし鞘師町通
通史編5(近・現代2)
(バス事業の本格化と戦時下統制)
なお、戦前には弘前市を起点に平川バス(代官町、平川力の経営、弘前-町居間)、弘前エビスバス(
百石町
、竹内兼吉
通史編5(近・現代2)
(相次ぐ水害と商店街)
和徳大通り 3 - 3 3 - 3 - - 350 和徳野田 9 - 9 1 1 2 1 6 6,920
百石町
通史編4(近・現代1)
(町並みの推移)
商業の中心地域が従来の本町から、土手町・元寺町・
百石町
にその繁華を移したのもこのころであったが、三十七年
通史編3(近世2)
((二)相撲興行)
翌日から
百石町
川原で相撲が行われているところをみると、この時の力士による興行があって領民が見物したようである,このため、同十年に御旗の者を救済するための勧進相撲の許可願いが出され、
百石町
川原で盆の内の興行が認められた
通史編4(近・現代1)
(試験法と地方集合試験)
・一九 新鍛冶町にあり、現大成小前身 盈進 一二八 一〇九 一九 六、四〇 一〇、九〇 八五・一五
百石町
通史編4(近・現代1)
(和服と呉服商)
「角み」では、
百石町
の白井の跡に陳列所を常設した。
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
右取扱 副戸長 大島栄作 同小二区 下白銀丁 元寺町 一番丁 鉄炮〔砲〕町 鞘師町 寺小路 東長町
百石町
通史編4(近・現代1)
(食生活の変化)
百石町
佐々木菓子店で売った阿波焼も、やはり元禄のころの書物に見える鳴門餅と同じものであった。
通史編4(近・現代1)
(日露戦後の工業)
馬力数 鹿内式織機製造場 亀甲町 明治31年 織機 - - - 人 22 川嶋染織工場
百石町
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