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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (秋田安東実季の名護屋参陣)

出立し名護屋に到着したのか不明であるが、文禄元年十二月晦日付の楢山剱帯(ならやまたてわき)宛ての南部信直書状
通史編2(近世1) (秀吉の東国への停戦令)

四月十九日付の佐竹義重(よししげ)宛て秀吉直書(じきしょ)によると(『新潟県史』資料編三)、会津の蘆名
通史編2(近世1) (関東・奥惣無事令)

されていたのは上杉景勝(うえすぎかげかつ)であったが、家康上洛後の十一月四日付で景勝に宛てられた秀吉直書,などから、これをさらにさかのぼらせて天正十四年とすべきといわれるようになった(立花京子「片倉小十郎充て秀吉直書
通史編2(近世1) (浅利騒動と津軽氏)

図36.津軽氏の浅利氏擁護を示す南部信直書状案  この文禄四年の戦闘において頼平が頼みとしたのは
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

津軽氏も南部氏も、家臣団に対して直書(じきしょ)形式の黒印知行安堵状・宛行状を発給することができるようになるのは
通史編2(近世1) (伏見滞在と派閥抗争)

すでにみた慶長三年正月四日付の信直書状では、秋田氏と仙北の小名が伏見に滞在して朱印状の受領を待っていたが
通史編2(近世1) (名護屋における「日本之つき合」)

図18.南部信直書状にみえる「日本之つき合」  名護屋城周辺の大名の陣屋配置を示したのが、図19
通史編2(近世1) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

浅利頼平領内村数覚書写 慶長2年9月3日付 東北大学附属図書館蔵秋田家文書 能代市史編さん室写真提供 36 南部信直書状案写
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