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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(最初の県会)
二月十日に公選された名望人
県会議員
は各大区から一人だが、現在の弘前地域(第三大区)で一番札は山田登、二番札,『青森県人名大事典』の山崎の経歴には明治九年
県会議員
とある。,しかし、閉会式時の
県会議員
九三人の名簿に山崎の名は見当たらない。
通史編4(近・現代1)
(保守派との合同団結)
保守派との合同団結 明治十四年十月二日、本多庸一は野呂源太辞任による中津軽郡
県会議員
に当選した。,県会議長大道寺繁禎、郡長は東郡館山漸之進、中郡笹森儀助、北郡工藤行幹(ゆきもと)、下北郡一町田大江、西郡蒲田昌清、
県会議員
赤石行三
通史編4(近・現代1)
(地主制の確立と在村地主の役割)
四代目、実業家、貴族院議員)、宮本甚兵衛(弘前市、実業家、貴族院議員)、岩谷吉太郎(藤代村、第三代村長、
県会議員
,船沢村、中津軽郡議会議長)、高杉金作(高杉村、衆議院議員、弘前商業会議所会頭)、笹森栄(和徳村、村長、
県会議員
,)、松木純一郎(千年村、村長、
県会議員
、酒造業)、宮川久一郎(弘前市松森町、二代目、貴族院議員、弘前商業会議所会頭
通史編4(近・現代1)
(青森県立弘前女子師範学校)
しかし、
県会議員
の中には女子師範学校廃止を唱える者が多く、女子師範学校への入学志望者の減少、入学したものの
通史編4(近・現代1)
(郡区町村編制法への移行)
郡からは
県会議員
三人が選挙された。
通史編4(近・現代1)
(県立弘前医学校(県立青森医学校))
弘前医学校設置のとき弘前は、
県会議員
たちの充分な諒解をとらず、塩谷参事と馴れ合いで決定したことが尾を引
通史編4(近・現代1)
(弘前の紛紜の始まり)
しかし、本多の県会での発言は、弘前出身の保守派のみならず、多数の
県会議員
に反対される要素を持っていた。,合同問題の要(かなめ)にいた中津軽郡長笹森儀助の辞任という事態が起き、さらに翌十五日県会議長大道寺繁禎も
県会議員
通史編5(近・現代2)
(県債五〇〇万円の成立)
政界においては、昭和六年(一九三一)十一月二十五日が
県会議員
選挙にあたり、二十七日に県会が召集されたが,金融機関救済のため、同年十二月三日付けで、政府に次のような二〇〇〇万円融資の意見書を提出し、守屋知事を始め
県会議員
全員
通史編4(近・現代1)
(後藤象二郎の青森県遊説)
工藤善太郎は翌年
県会議員
となり、のち衆議院議員となり、憲政会・民政党の県下の指導者となり、西村も村会議員
通史編3(近世2)
(第二次藩政改革)
M5.7県権典事 M10年後各地郡長歴任 大道寺繁禎(200俵) M4.9免官 郡長歴任後M12年
県会議員
,等出仕 M8.10第五大区長 楠美和民(80俵) M6.9県権少属 赤石礼次郎(80俵) M13年
県会議員
,M6.4開拓使権中主典 長尾又右衛門(30俵) M4年旧藩財務調方 長谷川良八(30俵) M13年
県会議員
通史編4(近・現代1)
(道路改修問題と佐和知事)
道路改修問題と佐和知事 明治二十四年八月二十一日、府県制実施後の第一回
県会議員
選挙が行われた。
通史編4(近・現代1)
(工業学校の創設と東奥義塾の廃校)
事態を憂慮した弘前商業会議所会頭の宮川久一郎は、「
県会議員
各位に告す」と題して、工業学校の弘前設置に関
通史編4(近・現代1)
(弘前市政の乱れ)
これに対して、佐田助役(彼は四十一年五月から四十四年九月まで
県会議員
で、当時議長でもあった。
通史編4(近・現代1)
(弘前高等女学校の開校)
偉方が綺羅星のごとく参列していることであり、ほかに、判事、検事、両院議員、視学官、市長、師範学校長、
県会議員
通史編4(近・現代1)
(菊池武徳と中央政治)
前年十二月まで弘前士族で国士肌の笹森儀助が市長であり、その後任の芹川得一も弘前士族で東奥義塾の先輩、有力な
県会議員
通史編4(近・現代1)
(県内遊説)
西・北両郡は田中耕一、遊説人としては最年長の三十二歳、明治十六年から十九年まで北郡選出の
県会議員
、さらに
通史編4(近・現代1)
(遊説の影響)
明治十九年二月北津軽郡から
県会議員
に当選した。
通史編4(近・現代1)
(第一回通常県会)
したがって、初期の
県会議員
も多くは保守系の者たちが選ばれ、民権運動に活躍した者たちが県会に顔を出すのは
通史編4(近・現代1)
(東奥共同会の設立)
東奥共同会の設立 明治十五年(一八八二)十一月、青森
県会議員
で東奥義塾塾長の本多庸一は旧藩主の津軽家
通史編4(近・現代1)
(弘前市経済改善への提言)
次に提言は、営業税の卸売商と小売商の税額について不満を述べ、また、それを決定する
県会議員
の選挙方法を改正
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