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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (真言宗)

真言宗 真言宗は最勝院が僧録所であり、八幡宮(現弘前八幡宮)別当も兼職し、社家頭を通して領内の神職をも,図194.真言宗本末関係図  藩では、最勝院・百沢寺・国上寺・橋雲寺・久渡寺を津軽における真言宗 / 真言宗
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

承和年間に上奏し、その補任許可が出されたのは天台宗の場合が承和(じょうわ)二年(八三五)であり、一方の真言宗,この一点をみる限り、天台宗の方が真言宗よりも明らかに一歩先んじている。,坂上田村麻呂の奉祭 (2) 八幡太神宮 不詳 最勝院(真言宗) 鼻和庄八幡村は坂上田村麻呂の陣所 (,4) 勝軍地蔵堂 慶長六年 為信公 橋雲寺(真言宗) (5) 聖観音 不詳 久渡寺(真言宗) 僧円智,真言宗寺院を別当に持つと伝えられる十腰内観世音・大石明神なども、その建立当初から真言宗に属していたのではない
通史編3(近世2) (修験)

修験 修験の大行院(だいぎょういん)は修験司頭として、真言宗醍醐(だいご)派(当山派)の大峰派に属する,修験の中でも大円寺は真言宗高野山別行派に連なった。
通史編1(古代・中世) (二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)

表3「弘前中世寺院」 名称 宗派 本寺 開基年次 開基 開山 建立地 現在地 備考 最勝院 真言宗,久渡寺 真言宗 最勝院 未詳 円智 坂本村 (弘前市) 坂元 慈覚大師の聖観音を安置していた。,百沢寺 岩木町 施暁 延暦十年(七九一) 真言宗 開基は坂上田村麻呂。,高伯寺 大鰐町 真言宗 大鰐村蔵館村は『阿闍羅山の記』に、大同年中に田村麻呂の参詣あり、東夷征伐を,大円寺 大鰐町 大円坊 文亀年中(一五〇一~〇四) 真言宗 初め、種里村(鰺ケ沢町)の一ツ森に建立。
通史編3(近世2) (常源寺)

創建には諸説があり、真言宗の寺院で熊野・稲荷宮を司っていたのを曹洞宗に改めたとか、和徳讃岐の建立とか、
通史編3(近世2) (大行院)

大行院 大行院(だいぎょういん)は、真言宗醍醐寺三宝院(現京都市)の末寺で、領内修験司頭として大峰派
通史編3(近世2) (神宮寺)

天正十四年(一五八六)、為信が参拝し祈願所としたが、翌年、領内統一の妨げになるとして別当延命院を追放、真言宗最勝院
通史編3(近世2) (二代信枚)

本祐と結びつき、東照宮の別当東照院(とうしょういん)(現薬王院)の創建に当たっては本祐を開基に推し、真言宗,五山は真言宗最勝院、百沢寺(ひゃくたくじ)、国上寺(こくじょうじ)(現南津軽郡碇ヶ関村)、橋雲寺(きょううんじ
通史編2(近世1) (近世初期海運)

近世初期海運 さて西津軽郡深浦町の圓覚寺(えんかくじ)(真言宗醍醐派(しんごんしゅうだいごは))は、
通史編3(近世2) (藩政前期為信)

し、祈願所としたが、翌十五年には領主の命に別当が従わないのは反乱に結びつくとして、それまでの天台宗を真言宗
通史編3(近世2) (高岡霊社の宝蔵・弘前城の金蔵へ侵入)

高岡霊社の宝蔵・弘前城の金蔵へ侵入 真言宗久渡寺(くどじ)(現市内坂元)の役人の今庄太郎は、安政三年
通史編1(古代・中世) (四 執権時頼の東国廻国をめぐって)

調伏は又真言宗にてぞあらんずらん。,それは安藤氏が真言宗を信奉したからである」とみるなら、そこには前述した津軽山王坊や藤崎・碇ヶ関・大鰐地区,の寺社群という二大宗教拠点における天台宗から真言宗への一大改宗事業が存したに相違ない。  ,「蝦夷管領」という幕府の行政的使命により、安藤氏は自ら幕府の掲げる「禅密仏教」政策を、天台宗から真言宗,「神社 仏閣」項が、天台僧=円智上人にかかわる大聖不動明王・聖観音・国上寺・久渡寺などの天台宗寺院を真言宗寺院
資料編3(近世編2) (●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢)

●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢 (一)楼門--重要文化財  下居宮の別当寺であった真言宗寺院の
通史編3(近世2) (藩政中期四代信政)

寺社の縁起は、真言宗最勝院を除いて、寺社の手で元禄十四年(一七〇一)・十五年に成立したものが残っている
通史編2(近世1) (本村と新田)

古くから深浦は日本海に面した湊町であり、深浦町浜町の真言宗醍醐派円覚寺(えんかくじ)には、至徳二年(一三八五
通史編2(近世1) (城下弘前の変化)

また、南溜池の近くに大円坊という記載がみえ、真言宗大圓寺の存在が確かめられるほか、現在の茂森新町の町並
通史編1(古代・中世) (三 中世寺社の存在形態)

定て調伏をこなわれんずらん、調伏は又真言宗にてぞあらんずらん、(史料五八二) (二)真言師だにも調伏
通史編2(近世1) (城下高岡の形成)

寺社の配置をみると、城下の東北から北にかけて八幡宮とその別当寺院の真言宗最勝院、熊野宮、および神職の住
通史編3(近世2) (出開帳)

奥州津軽 岩木山権現別当     新義真言宗 百沢寺 諸堂舎修復為助成、本地仏弥陀薬師観音之三像、
通史編1(古代・中世) (二 津軽の修験道と神社)

そのベースの上に、天台宗とか真言宗という宗派的な仏教や羽黒派とか当山派や本山派という派閥的な修験が展開
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●天正十五年(一五八八)、この年、大浦為信、猿賀神宮寺十二坊を改易し、天台宗より真言宗に改めるという。
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●寛永三年(一六二六)、この年、津軽信枚、領内に真言宗五山の制度を敷く。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

盛岡南部家文書 342 ●天正十五年(一五八八)、この年、大浦為信、猿賀神宮寺十二坊を改易し、天台宗より真言宗
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