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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(南溜池の武芸鍛錬)
南溜池の武芸鍛錬 幕末期に入ると、南溜池の南岸に藩の武備施設である「
矢場
」「銃場」(星場)が設置された,「
矢場
」が設置されたのは、貞享四年(一六八七)であり、その後享保年間にもその整備の行われたことが知られる,それ以後、南溜池「
矢場
」において弓術訓練が行われたという記事はみかけることがなかった。,)、十二月には「大
矢場
地」取り立てに加えて射芸師範の家臣が、同地にて勝手次第に弓術稽古をすることが下命,図38.南溜池大
矢場
之図 目録を見る 精細画像で見る 文化三年に至って、なぜこのような南溜池
矢場
通史編3(近世2)
(幕末期の市域)
万延二年(一八六一)には江戸定府藩士の中の帰国者のために、元大
矢場
(南溜池畔)・品川町裏通り・塩分町に,三御馬屋馬場、鉄砲場は春日町の春日神社の境内、同大星場(大砲発射練習場)は常盤坂の千本杉と石森の間、
矢場
通史編2(近世1)
(南溜池の掘削と藩兵の訓練)
もともと南溜池には貞享四年(一六八七)に
矢場
が設置され、その他にも星場があったことは「国日記」等の諸史料,「御要害之御場所」(「記類」下)であるから普請を行って掘り通しを命じたが、池の南側に再建しようとした
矢場
通史編3(近世2)
(景勝の地としての南溜池)
るが、同じく「国日記」文化四年(一八〇七)四月二十九日条によれば、「大円寺通」の土居沿いに「中之橋」「
矢場
地
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
長勝寺山内・同門前・耕春院門前は西茂森町、裏門前は茂森新町、貞昌寺門前・報恩寺門前・万能寺門前は北新寺町、大
矢場
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
同元門前 古堀丁 同新割町 元裏門前 茂森派立 新寺町報恩寺元門前 万能寺元門前 山辺稲荷并白狐寺門前 大
矢場
資料編3(近世編2)
(【解説】)
は当時風光明媚な溜池であり、庶民の憩いの場でもあったが、文化年間よりたびたび水練場として整備され、大
矢場
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