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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (知行安堵)

知行安堵 豊臣政権による検地が実施されようとしたころ、天正十八年(一五九〇)七月二十七日に陸奥の南部信直 / 知行安堵
通史編2(近世1) (知行安堵と検地)

知行安堵と検地 宇都宮に到着した秀吉は、奥州の諸大名を呼び寄せて知行割を決定した(以下の記述は特に断 / 知行安堵と検地
通史編2(近世1) (一 検地・人質徴収・城破(わ)り・刀狩り)

それは、①当知行安堵、②妻子在京(人質徴収)、③検地の実施、④城破(しろわ)り、の四点であった(資料近世
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

しかし津軽為信はその治世(~慶長十二年十二月五日死去)において、家臣に対する知行安堵状(ちぎょうあんどじょう,稗貫両郡については知行宛行状を発給していたが、本貫(ほんかん)の地である糠部郡の譜代家臣にはまったく知行安堵状,津軽氏も南部氏も、家臣団に対して直書(じきしょ)形式の黒印知行安堵状・宛行状を発給することができるようになるのは
通史編2(近世1) (鷹献上による豊臣政権との折衝)

したがって津軽氏の当知行安堵は、秋田安東氏とほぼ同じ時期になされた可能性もある。  
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