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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (天台宗)

図193.天台宗本末関係図  薬王院の塔頭千寿院は、文化七年(一八一〇)に知行米横領と、寺院修復
通史編2(近世1) (元禄の大飢饉と家臣召し放ち)

さらに九月二十八日には知行米を規定どおりに渡すことができないため家中に節倹を求めるものと、一〇〇〇石以上,の大身の家臣に対しては、来月朔日以降知行米を渡すという達が出されている。,知行米削減が具体的に打ち出されたのは、十月七日に扶持米取に対してのものが最初であり、不作につき扶持米取,一方知行米取に対しても、十一月二十八日に、知行半減などが伝達された(資料近世1No.八六八)。,藩では、当初下級家臣である扶持方の人々のみを対象とする知行米削減措置によって藩財政逼迫を切り抜けようとしていたが
通史編2(近世1) (信政晩年の藩政)

りをめぐって差別があること、困窮した家中が貸金業者の金に頼り、連帯責任を負った者も難儀していること、家臣の知行米前借,りにおいて、その知行米を町人に払い下げた額と家臣に給与する際に換算した額との間に差があり、不当な利鞘を,その財源は、藩士に対して、知行米借上と手伝人足として一〇〇石に付き一ヵ年一二人の差し出し、農民・町人に,手伝が困窮を理由に一〇分の一免除されたものの、家中救済策が示されず不評であること、表向き加増されても知行米
通史編2(近世1) (宝暦~天明期の弘前藩の財政状況)

そのうち年貢・諸役米が七割を占めるが、家中の知行米の買い入れも二割半になる。,部(米方) 費  目 米高 (石) 比率 (%) 収納並小役米 110,816 69.66 家中知行米買上分
通史編2(近世1) (経済政策の前提)

今年の凶作を乗り切るためには、藩の蔵から農工商の扶助を行い、家中については出来高にかかわらずすべての知行米
通史編2(近世1) (藩政の転換と家臣団統制の動き)

正徳元年(一七一一)二月十二日には藩士の知行米を月割支給して当面の困窮を収拾し、八月二十六日には藩士窮乏
通史編2(近世1) (騒動の背景)

弘前では和徳町の山本四郎左衛門が藩の買米を担当し、家中の知行米や津出米の管理・販売なども行うなど特権的立場
通史編2(近世1) (安永期の蔵米化)

さらに安永七年(一七七八)からは知行米は月割りに変更された。
通史編2(近世1) (家中払米の展開)

同年五月十三日付の野呂善左衛門の鰺ヶ沢沖口出米願書(同前No.八〇六)は、野呂の知行米一二〇石を松前へ
通史編3(近世2) (出開帳)

未払いを再度整理してみると、二七〇両の不足であり、その結果、百沢寺が寺領四〇〇石の知行米から年賦で返済
通史編2(近世1) (文化~文政期の藩財政)

他に家中の知行米・切米の買上が四万石で二〇・四五パーセントを占めるが、この量もほぼ安永六年と同程度である
資料編3(近世編2) (【解説】)

ただ、買い上げ米の主な対象が藩士たちの知行米であったこと、預かり手形の発行数が少なかったこと、通用期間
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