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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (郷土文学館)

建築延べ床面積五九四・二六平平方メートル、一階は展示室、ロビー、事務室があり、二階には石坂洋次郎記念室,石坂洋次郎記念室は、昭和六十一年に洋次郎が亡くなり、その後、作家の遺品が数多く遺族から寄贈され、それが,写真216 郷土文学館石坂洋次郎記念室
通史編5(近・現代2) ((一)北の文学連峰)

例えば、近代文学研究家・勝本清一郎は石坂洋次郎(いしざかようじろう)の初期の作品に触れながら「葛西善蔵,文芸評論家の奥野健男は、葛西善蔵(かさいぜんぞう)、秋田雨雀(あきたうじゃく)、太宰治(だざいおさむ)、石坂洋次郎,石坂洋次郎もまた、葛西善蔵の影響を強く受けた。石坂の初期の作品は善蔵の作品にきわめてよく似ている。,ともに善蔵の影響を受けた石坂洋次郎と太宰治は、しかしながら、激しく反撥(はんぱつ)することになる。,戦後まもなく、石坂洋次郎が『青い山脈』で、太宰治が『斜陽』『人間失格』で、日本の文学の頂点を極めたことを
通史編5(近・現代2) (善蔵と洋次郎)

ここでは、その石坂洋次郎と善蔵との関係について、故郷・弘前市を中心として少しく触れてみる。,一九一五- 弘前市)が編んだ年譜(『葛西善蔵全集 別巻』昭和五十年 津軽書房刊)によれば、「十三日、帰郷、石坂洋次郎
通史編5(近・現代2) (空前のベストセラー)

空前のベストセラー まことに偉大な作家である石坂洋次郎が、太宰治にも強い衝撃を与えた「麦死なず」(昭和十一年
通史編5(近・現代2) (「草を刈る娘」について)

「草を刈る娘」について 石坂洋次郎は故郷に対してきわめて複雑な印象を持ち続けている。,それが三年か四年つづいた」(『昭和文学全集21 石坂洋次郎集』昭和二十八年 角川書店刊)と自筆年譜に記,(前掲『石坂洋次郎文庫20』)  「津軽の風物」という随筆の一節だが、ほぼ余すところなく「草を刈る娘,平松幹夫(前出)は『現代日本文学アルバム 石坂洋次郎』普及版(昭和五十八年 学習研究社刊)の作品解説でこう,なぜなら、平松は「郷土詩人」、すなわち〈作家〉石坂洋次郎が津軽の風景を鮮やかに描写していることを明示しているからである
通史編5(近・現代2) (初めての出会い)

しかし、洋次郎が「神経を、飴のように両手の指先で弄んで、ひっぱったり、丸めたりするような困らせ方」(『石坂洋次郎文庫,書きためてる作品があるなら、僕の名前でそれを発表させてもらい、旅費を稼がせて欲しい」 (前掲『石坂洋次郎文庫
通史編5(近・現代2) ((一)私小説の神様・葛西善蔵)

ところで、石坂洋次郎が善蔵が住んでいる鎌倉の宝珠院を訪ねたのが、大正十二年の七月であった。
通史編5(近・現代2) (虚弱な少年時代)

写真254 石坂洋次郎
通史編5(近・現代2) (津軽の精神風土を追究)

確かに太宰治には名作『津軽』があり、石坂洋次郎には『わが日わが夢』『石中先生行状記』をはじめとする一連
通史編5(近・現代2) (突然の転任)

と訣別し、彼を反面教師とすることによって、わが国には珍しい市民的な文学、向日的な明るい青春文学の作家石坂洋次郎
通史編5(近・現代2) ((三)北の文学連峰の現在)

(三)北の文学連峰の現在 戦時中に、津軽で疎開生活を送っていた秋田雨雀、石坂洋次郎、太宰治らが優れた
通史編4(近・現代1) (県立弘前高等女学校)

国民的作家といわれた石坂洋次郎は、弘前市出身だが、十四年七月十五日から翌年の八月二十五日までのわずか一年余
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