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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(弘城政社の衰退)
選挙には、急遽県会議長の弘城政社幹事
石郷岡文吉
が立候補し、弘前出身の中立派の万朝報記者齋藤久三郎にわずか,かくて、二十年間県の政界を支配してきた弘城政社の牙城は揺らぎ、内部の
石郷岡文吉
と小山勝次郎の対立、そして,本県衆議院議員は、明治四十三年の政治分野では、六人の代議士のうち、国民党は
石郷岡文吉
、小山内鉄弥、市田兵七
通史編4(近・現代1)
(市制の施行)
七一四票 佐田正之丞 七一三票 桜庭又蔵 七一二票 奈良誠之助 七〇一票
石郷岡文吉
,三代赤石行三 四代長尾義連 五代長尾義連 六代小山内鉄弥 七代菊池九郎 八代伊東重 九代長尾義連 十代
石郷岡文吉
, 十一代
石郷岡文吉
十二代松下賢之進 写真69 第2・4・5・9代弘前市長 長尾義連,写真71 第6代弘前市長 小山内鉄弥 写真72 第10・11・15代 弘前市長
石郷岡文吉
,抔充分発達セシメント欲スルナリト述フ これに対し、同じ東洋回天社仲間で、ともに弘城政社の活動家の
石郷岡文吉
通史編4(近・現代1)
(市青年団の結成)
市長
石郷岡文吉
の挙式の辞があってのち団員を査閲、次いで全員が君が代斉唱、団長(市長)による教育勅語と戊申詔書
通史編5(近・現代2)
(市民の政治意識の変化)
政友派は七十二歳の
石郷岡文吉
元市長を立て、後れて民政派は弘前出身で東京居住の予備役陸軍少将三浦真を候補,
石郷岡文吉
市長は、十二年秋ごろから健康がすぐれず、後任問題が起きていたが、市議たちも非常時下無益な政争
通史編4(近・現代1)
(市長の弁明)
議員の質問に対し、
石郷岡文吉
市長は次のように答えている。
通史編4(近・現代1)
(青年訓練所の設置)
弘前市では六月に市長の交代(
石郷岡文吉
から松下賢之進)があり、また郡役所の廃止(六月三十日)などのため
通史編4(近・現代1)
(高等学校誘致運動の展開)
弘前市においても高等学校誘致運動がいっそう盛んになり、同年七月には
石郷岡文吉
市長から市会に提出された高等学校設置
通史編5(近・現代2)
(市会の勢力図)
立憲政友会青森県支部弘前分所長 近藤東助 ″ 分所顧問
石郷岡文吉
工藤十三雄
通史編4(近・現代1)
(市会と市役所開庁)
宮川富三郎 蒲田廣 本多謙一 花田直太郎 葛西末吉 芹川得一 佐田正之丞 桜庭又蔵 奈良誠之助
石郷岡文吉
通史編5(近・現代2)
(鉄道敷設の請願)
しかし、昭和十年(一九三五)には再び目屋鉄道敷設期成同盟会(会長は弘前市長
石郷岡文吉
)が内閣総理大臣岡田啓介
通史編4(近・現代1)
(中津軽郡会)
村会議員互選当選者 駒越村
石郷岡文吉
堀越村 葛西穏 和徳村 川村譲 高杉村
通史編4(近・現代1)
(大同派の支配)
、青森大同会が結成されたが、その中心メンバーは弘前の民権派菊池九郎・榊喜洋芽・村谷有秀・奈良誠之助・
石郷岡文吉
通史編4(近・現代1)
(連隊区の廃止)
大正十四年十月十五日、弘前市長
石郷岡文吉
は、軍縮を実施した宇垣陸相宛に請願書を提出した。
通史編4(近・現代1)
(郡制の施行)
第一回の中津軽郡会議員(定員一六人) 駒越村
石郷岡文吉
堀越村 葛西穏 和徳村 川村譲
通史編4(近・現代1)
(弘城政社の内紛と解散)
一戸豊蔵 丸瀬正果 成田助 八木橋彰六郎 小野恒三郎 佐藤英司 木村静一 七戸隼人 ◇革新同志会派
石郷岡文吉
通史編4(近・現代1)
(第一回少年野球大会)
名誉会長は
石郷岡文吉
弘前市長、副会長は外崎日出城城西小学校長、事務局長は今泉運動具店の原田健蔵が就任した
通史編4(近・現代1)
(護憲を巡る動き)
写真139 柾木座内部 また、政友会中郡分所は一月三十日総会を開き、
石郷岡文吉
、佐藤要一、石岡粕太郎
通史編4(近・現代1)
(弘前市政の乱れ)
助役の定員を二人とした)は、権力的にけんもほろろに答弁したので、古田昌三郎議員に叱られ、さらに仲間の
石郷岡文吉
通史編4(近・現代1)
(市会乱闘事件)
本会トシテ意見書ヲ提出スルモ一向差支ヘナカラスヤト信ス (この後柾木卯太郎、古田昌三郎、
石郷岡文吉
通史編5(近・現代2)
(和徳村との合併問題)
昭和初期の土手町 和徳村の合併問題が具体的に再開したのは、昭和九年(一九三四)六月二十一日に
石郷岡文吉
市長
通史編4(近・現代1)
(菊池武徳と中央政治)
政友会中郡分所も大正二年一月三十日弘前住吉館で総会を開き、
石郷岡文吉
、佐藤要一、石岡粕太郎の三人が憲政擁護
通史編4(近・現代1)
(青森県における衆議院議員選挙)
補欠市田兵七)、第一〇回(四十一年五月)憲政本党四人、政友会二人(〔政友〕大坂金助・阿部政太郎、〔憲本〕
石郷岡文吉
通史編4(近・現代1)
(第一回通常県会)
奈良誠之助や
石郷岡文吉
が指導した。
通史編5(近・現代2)
(二人市長事件)
その後任候補として、政友派は党元老の
石郷岡文吉
、非政友派は陸軍予備大佐吉岡文蔵を推し、一五対一五の接戦
通史編4(近・現代1)
(東奥共同会の設立)
奈良誠之助、
石郷岡文吉
らである。
通史編4(近・現代1)
(町の様子)
東洋回天社と唱へて奈良誠之助・石岡周右衛門・七戸栄五郎・小山内鉄弥・小山勝次郎・猪股幸次郎・木村喜代太郎・
石郷岡文吉
通史編5(近・現代2)
(総選挙での戦い)
宇野勇作 △顧問 黒石町 加藤宇兵衛 青森市 阿部政太郎 黒石町 竹内清明 弘前市
石郷岡文吉
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