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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(考古編) (8.砂沢遺跡)

8.砂沢遺跡 (遺跡番号 02013)(図17~21) (1)所在地 弘前市大字三和字下池神141,砂沢遺跡発見住居跡(縄文後期) 図17 砂沢遺跡発見遺構図 砂沢遺跡発見の弥生初期水田跡,調査中の2号水田跡 調査終了後の水田跡 図18 砂沢遺跡出土土器(砂沢遺跡発掘調査報告書,-1988年より) 図19 砂沢遺跡出土遺物(1) 十腰内Ⅴ式香炉形土器 2b住居跡,『砂沢遺跡発掘調査報告書』本文編 1991年3月 / 8.砂沢遺跡
通史編1(自然・原始) (砂沢遺跡)

砂沢遺跡 遺跡は岩木山の北東麓にある潅漑(かんがい)用の溜池(砂沢(すなざわ)溜池)内にある。,表22 砂沢遺跡発見 弥生時代水田跡一覧表 水田跡 大きさ(m) 面積 (m2) 長軸 方向 傾斜,砂沢遺跡の水田跡は地形を巧みに利用し、高い西側を若干削り、東側のレベルまで高さを下げる土木工事を行い、,弘前市・砂沢遺跡の完掘した2号水田跡  垂柳ならびに砂沢遺跡の水田跡発見により、東北北部の地でも / 砂沢遺跡
資料編1(考古編) (3.砂沢遺跡)

3.砂沢遺跡 弘前市教育委員会による昭和59年(1984)からの継続調査によって、6枚の水田跡を発見,砂沢遺跡の水田跡は、緩やかな傾斜面に客土して造成するというかなり高度な農地造成の技術を有しており、在地 / 3.砂沢遺跡
資料編1(考古編) (1.時代区分と弥生土器の編年)

図21 弥生時代の遺跡・遺物 完掘りした2号水田跡…弘前市・砂沢遺跡 遠賀川系壺形土器…,南郷村・松石橋遺跡 (南郷村歴史民俗資料館蔵) 遠賀川系甕形土器破片… 弘前市・砂沢遺跡,名川町・剣吉遺跡(青森県立郷土館保管) 砂沢式(二枚橋式系)甕形(広口壺形)土器…弘前市・砂沢遺跡,五所式台付浅鉢形土器…弘前市・砂沢遺跡 宇鉄Ⅱ式末広口壺形・甕形土器… 三厩村,・宇鉄Ⅱ遺跡 (青森県立郷土館蔵) 天王山系甕形土器 弘前市・砂沢遺跡
資料編1(考古編) ((10)工具)

鉋は、古館遺跡(碇ヶ関村)・砂沢遺跡・大平遺跡(大鰐町)の3遺跡から出土している。,古館遺跡・砂沢遺跡のものは、いずれも大きく、鎬(しのぎ)も明瞭である。  
資料編1(考古編) (4.垂柳遺跡)

4.垂柳遺跡 砂沢遺跡の水田跡発見をさかのぼる6年前の昭和56年(1981)に、国道102号のバイパス,垂柳遺跡の水田跡は、砂沢遺跡のものに比較してはるかに小さく、しかも地形を巧みに利用して造成されているため,一方の砂沢遺跡の例は表13に示したが、この場合は完掘された水田跡が2号のみであり、3号の大型を除くと、,この両者の相違は、前述のように造成地の地形的要因もあろうし、弥生時代前期(砂沢遺跡)と中期後半(垂柳遺跡,表13 砂沢遺跡発見 弥生時代水田跡一覧表 水田跡 大きさ m 面積m2 (復元面積) 長軸方向 傾斜方向
通史編1(自然・原始) ([口絵])

(大鰐町三ッ目内) 砂沢遺跡から検出された最北の水田跡 台付浅鉢形土器(重要文化財,,砂沢遺跡,弥生時代前期) 正面 背面 土偶(下半身を欠く,現存部 高13.5cm, 幅18.6cm) (個人蔵,砂沢遺跡,弥生時代前期) 爪形文土器破片 (独孤遺跡,縄文時代草創期
通史編1(自然・原始) (第四節 注および引用・参考文献)

垂柳遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書八八) 一九八五年 (5)弘前市教育委員会 『砂沢遺跡発掘調査報告書,』図版編 一九八八年  弘前市教育委員会 『砂沢遺跡発掘調査報告書』本文編 一九九一年 (6)「日本書紀
資料編1(考古編) ([口絵])

十腰内遺跡出土浅鉢形土器(縄文後期) 十腰内遺跡出土動物型土製品(イノシシ)(縄文後期) 砂沢遺跡出土香炉形土器,(縄文後期) 砂沢遺跡出土注口土器(縄文後期) 砂沢遺跡出土土器(弥生前期),砂沢遺跡全景 蕨手刀(熊野奥照神社蔵) 中崎館遺跡全景 上段:野脇遺跡発掘状況
資料編1(考古編) (資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)

表11 押出遺跡出土クッキー状炭化物分析結果 表12 垂柳遺跡発見弥生時代水田跡一覧 表13 砂沢遺跡発見弥生時代水田跡一覧,十腰内遺跡出土遺物(5) 図15 十腰内遺跡出土遺物(6) 図16 十面沢遺跡出土遺物 写真 砂沢遺跡発見住居跡,(縄文後期) 図17 砂沢遺跡発見遺構図 写真 砂沢遺跡発見の弥生初期水田跡 図18 砂沢遺跡出土土器,図19 砂沢遺跡出土遺物(1) 図20 砂沢遺跡出土遺物(2) 図21 砂沢遺跡出土土製品・石器
資料編1(考古編) (2.弥生時代の初期稲作について)

、三戸郡南郷村松石橋遺跡出土の壺型土器にその事例がある)とともに稲作の技術が伝来し、特に弘前市三和の砂沢遺跡
通史編1(自然・原始) (弥生文化の内容)

南からの新しい文化として先頭を切って弥生前期の遠賀川式土器が伝播し、砂沢遺跡をはじめ太平洋側にも広がった
通史編1(自然・原始) (高杉面)

なお、砂沢溜池内の砂沢遺跡(一六~一八メートル)で検出された弥生時代の水田跡は舌状に張り出した中位段丘
資料編1(考古編) (1.古墳時代の概観)

当初は、弥生時代に東北地方北部地域を含めた広域に展開する文化と見られたが、今日では、砂沢遺跡や垂柳遺跡
通史編1(自然・原始) (第一節~第三節 引用・参考文献)

一九九一) 新編日本の活断層-分布図と資料-、東京大学出版会、四三七頁 弘前市教育委員会(一九九一) 砂沢遺跡発掘調査報告書
資料編1(考古編) (新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)

140         2.弥生時代の初期稲作について …………………  141         3.砂沢遺跡,462         7.十面沢遺跡 ………………………………………  463         8.砂沢遺跡
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

垂柳遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書八八) 一九八五年三月 (124)A 弘前市教育委員会 『砂沢遺跡発掘調査報告書,-図版編』(同委員会) 一九八八年三月    B 弘前市教育委員会 『砂沢遺跡発掘調査報告書-本文編
通史編1(古代・中世) ([付図])

山林・畑 集落跡 〃 12 厳鬼山神社元宮遺跡  〃  〃 山地・原野 包蔵地 縄文・平安 13 砂沢遺跡
通史編1(自然・原始) (発掘調査の成果)

弥生時代の水田跡は、その後の昭和六十二年(一九八七)に弘前市三和(みわ)にある砂沢遺跡で、当初二枚、その
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

水田址-佐賀県菜畑遺跡」(地理28-10) 1983年10月 *154A 松本・矢島・村越ほか 『砂沢遺跡発掘調査報告書
資料編1(考古編) ([付図])

台地上平坦面 包含地 縄文(中・後期) 平安 縄文土器(中期円筒上層),土師器 13 02013 砂沢遺跡
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