機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 9件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編2(近世1)
(城破(わ)り)
城破(わ)り 天正十八年七月晦日、秀吉は「城之事も相改、不入処ハ
破却
之義被仰付候」(同前No.一七),という文言を含んだ朱印状を発給し、城の
破却
を命じた。,これに先立って、南部信直は、七月二十七日に家中の者どもの城をことごとく
破却
し、妻子を信直の居城である三戸,九月二十日には、大谷吉継(おおたによしつぐ)が伊達政宗に城
破却
と武具狩を督促している。,」)、それによると、四八城の内一二城が残され、三六城が
破却
されている。
通史編1(古代・中世)
(時頼廻国伝説)
103)があり、また名川町の法光寺(写真104)は廻国中の時頼を助けたことによる恩賞としての、旧寺院を
破却
通史編2(近世1)
(福島正則の改易)
しかし、元和五年(一六一九)六月二日、先に広島城を無届けで修築したことをとがめられ、本丸その外ことごとく
破却
資料編1(古代・中世編)
(五 東目屋地区の中世城館の特徴)
入部と、目屋地方掌握の強化、統一終了後における彼ら家臣たちの独立の否定、城館群の
破却
、という事態も想定
通史編2(近世1)
(九戸一揆の背景)
公認され、それ以外の九戸氏らは三戸氏の「家中(かちゅう)」あるいは「家臣」として位置づけられ、居城を
破却
通史編2(近世1)
(浅利騒動の停戦命令)
(4)浅利騒動が起こってから新たに築城した城を
破却
すること。
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
高岡城(弘前城)の追手(亀甲門)二の門として三の丸の北虎口に移築、「賀田門」と称されたという(明治時代に
破却
通史編2(近世1)
(北奥羽の領知確定)
から天正十九年に蒲生氏郷の普請が加えられた福岡城(現二戸市)に移転され、かつ翌文禄元年に領内の諸城の
破却
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
おそらく元和元年の「一国一城令」の際に、曲輪Ⅰの機能を失わせるために、この部分の土塁の
破却
が行われたのであろう
/ 1ページ