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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (笹森修一、修二兄弟と社会主義研究団体)

笹森修一、修二兄弟と社会主義研究団体 笹森修一は、明治時代の有名な先覚者笹森儀助の子で、明治十九年六月岩木山麓,そして社会主義新聞『光』のレポーターだった。   ,竹内兼七君等同志と毎月社会主義研究会を開きます。会の名は渋茶会と申します。,上京して西川光二郎グループに接近、そして、弘前出身の謎多い社会主義伝道行商人原子基や、熱心なキリスト教社会主義者渡辺政太郎,この時代は社会主義運動の「冬の時代」と言われるが、「バザロフ会」の存在は貴重である。 / 笹森修一、修二兄弟と社会主義研究団体
通史編4(近・現代1) ((四)津軽における社会主義勢力の伸長)

(四)津軽における社会主義勢力の伸長 大逆事件のあと大正初期にかけては、社会主義運動の暗黒時代・冬の,しかし、大正九年(一九二〇)十二月九日、日本社会主義同盟が結成された。,ここで労働組合運動と社会主義運動が結合し、社会主義各派が一つの組織に統一され、冬の時代が終わった。,三本木町の和田巖も建設者同盟を代表して発起人になっており、青森県人と大正社会主義との接触として注目される,しかし、社会主義同盟は翌年五月解散を命ぜられた。 / (四)津軽における社会主義勢力の伸長
通史編4(近・現代1) (青森県の社会運動の始まり)

そして明治三十年代に入り、中央にようやく社会主義思想が研究され、雑誌新聞等により本県にも多少の影響を与,明治三十五年八月、片山潜と西川光二郎は社会主義宣伝のため東北遊説の旅に出、八月二十一日の夜、弘前市の蓬莱亭,において社会主義学術研究会を開いた。,黒石には社会主義協会の支部があり、同町の実業新聞社が応援をし、参会者百余人だった。,名前が分かっているのは、黒石社会主義協会グループに中津軽郡裾野村須藤繁文、彼は明治三十一年から高杉村前坂
通史編4(近・現代1) (竹内兼七について)

カリフォルニアでは日本人社会主義者と知り会い、特に赤羽一(厳穴)と親しかった。  ,そして笹森修一らと弘前に「社会主義研究会」(はじめ「渋茶会」)を結成、次いで、九月には「弘前労働協会」,に発展させ、社会主義思想の研究と宣伝に当たった。,話は、やがて幸徳秋水や堺枯川らとともに、世界中どこもできなかった日刊の社会主義新聞『平民新聞』発行へ進
通史編5(近・現代2) (二 近代文学の成立(大正の文学))

大正期は新理想主義、社会主義思潮が定着していく時期でもある、九年(一九二〇)創刊の「胎盤」は秋田雨雀(,雑誌の基調はロシア文学の影響が濃厚で社会主義的傾向を深め、人道主義派と対立していく。
通史編5(近・現代2) (発禁となった「渋茶」夏の号)

俳句雑誌が発禁になるということ自体が異常事態であるが、社会主義への弾圧の厳しさが背景にあったようである
通史編4(近・現代1) (帝国在郷軍人会の設立)

帝国在郷軍人会は第二次山本権兵衛内閣の田中義一陸軍大臣が、社会運動や労働運動など、社会主義思想に対抗するための,ロシア革命の影響で日本にも社会主義や共産主義が浸透し、それを恐れた官憲当局が治安警察法や治安維持法を制定,社会主義・共産主義思想をはじめ、デモクラシー思想が、一般市民だけでなく現役将兵や在郷軍人に至るまで、相当
通史編4(近・現代1) (普選運動の胎動)

期成同盟会には、自由民権派の政客や弁護士、新聞記者がいたが、のちに社会主義研究会、労働組合の主要メンバー,衆院委員会を通ったが、本会議で否決、四十四年は衆議院を通過したが貴族院は一蹴、時の第二次桂内閣は普選案を社会主義運動
通史編4(近・現代1) (シベリア出兵と「尼港事件」)

世界初の社会主義国家ソビエト連邦の成立は、世界を震撼させただけでなく、第一次世界大戦の行く末を大きく変,西欧資本主義国家はロシア社会主義革命に脅威を感じ、革命勢力の拡大を阻止しようと共同出兵を提案してきた。
通史編5(近・現代2) (無産政党の結成)

、翌大正十三年(一九二四)四月、安部磯雄・石川三四郎・秋田雨雀らは日本フェビアン協会を結成、機関誌『社会主義研究
通史編4(近・現代1) ((一)北洋の出稼ぎ農民たち)

明治三十四年生まれの柴田は、黒石尋常高等小学校を卒業後、北洋漁業における悲惨な労働状況を体験して社会主義,彼は、その著『わが人生ノートから ゆりくれない』(昭和六十三年、黒石市津軽新報社)に社会主義に入るきっかけを,少年労働者三百人の小頭見習いという役で漁場に出かけ、沖合に日本の駆逐艇を停泊させて略奪漁業の実際を見て、やがて社会主義運動
通史編4(近・現代1) (第一次世界大戦の衝撃)

しかしロシアに社会主義革命が起こり、革命干渉のためにシベリア出兵が連合国によって実施されるなど、世界全体
通史編5(近・現代2) (在日朝鮮人問題)

朝鮮に対しても、日本政府は朝鮮社会主義人民共和国と国交を断絶することになり、在日朝鮮人の帰国を禁じた。
通史編4(近・現代1) (シベリア出兵と反戦デモ)

一年志願兵の入営に際し社会主義者として注目されて居る中郡和徳村野呂衛(二八)は歩兵第五十二連隊に入営すべく
通史編5(近・現代2) (市民の政治意識の変化)

社会大衆党は階級闘争の路線を捨てて国家社会主義に転向し、重鎮中浦秀蔵は東方会入りをなした。  
通史編5(近・現代2) (嶽籠城ストライキ)

このころになると、社会主義思想が広がり、大正デモクラシーのリベラルな風潮とともに社会運動は急進化しつつあった
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