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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (神道)

また、社家頭の下の神職は、最勝院の支配下にあって「両部神道」に属することになる。,ところが、社家頭小野若狭が元禄七年(一六九四)、京都の吉田家へ官職受領に赴き、本末関係を結んで領内触頭,寺社奉行は宝暦七年(一七五七)、山村父子を寺社奉行の直接支配に変更したが、最勝院・社家頭の働きかけによって,吉田家は津軽弘前藩のように、最勝院・社家頭の下に置く神職組織を奇異なものとしてみていた。,社家頭は天保十二年(一八四一)、三奉行から吉田家の「公儀御条目」の提出を求められた。
通史編3(近世2) (弘前八幡宮小野家)

弘前八幡宮小野家 同十九年小野権太夫が、追放された神宮太夫に代わって神主になると、社家頭も命じられた,社家頭は社人頭(しゃにんかしら)・注連頭(しめかしら)とも呼ばれ、神職組織ができたのはこの時であろう。,八幡宮の別当最勝院は、寺社奉行のもとにあって、領内神職の約九〇パーセントを配下に置き、社家頭を通して神職,社家頭は、宝永四年(一七〇七)までは小野氏一人であったが、この時から熊野宮神主長利弁太夫が相役として加
通史編3(近世2) (修験)

このことは最勝院を通して社家頭に伝えられたが、社家頭は祈祷は依頼する施主である檀那の信仰によるという立場
通史編3(近世2) (藩政後期)

同五年には社家頭小野左門は、堂社譲渡の混乱と経済的困窮から、神職が官職受領に上京する際に賤しい行動をとる,社家頭は宝暦改革の方針と進展をみながら、神職本来の役務を取り戻すために綱紀粛正に乗り出した。,それは社家頭とその上級役職である最勝院の権限を強化することを意味した。  ,最勝院配下の社家頭が、社家隊に他の別当寺院に属する神職も加えて編成し、命令系列の一元化を図っているのは
通史編3(近世2) (真言宗)

真言宗 真言宗は最勝院が僧録所であり、八幡宮(現弘前八幡宮)別当も兼職し、社家頭を通して領内の神職をも
通史編3(近世2) (八幡宮)

神主小野氏は、別当最勝院の支配を受け、熊野宮(現熊野奥照(くまのおくてる)神社)神主長利氏とともに社家頭
通史編3(近世2) (住吉宮)

この時、寺社奉行直接の取り扱いで唯一神道をもって祀ったことから、両部(りょうぶ)神道に属する最勝院・社家頭
通史編3(近世2) (熊野宮)

神主長利氏は、八幡宮別当最勝院の支配のもと、八幡宮神主小野氏とともに社家頭を務めた。
通史編3(近世2) (最勝院)

最勝院は社家頭小野若狭・長利薩摩を通じて領内の神職大半を支配し、心応院を通じて修験のほとんどを支配するという
通史編3(近世2) (神職の扱い)

祈祷に関する施主の奪い合いは、依頼側の施主の信仰によって決まることであり、社家頭は関知しないことにした
通史編3(近世2) (神仏分離の準備)

社家長には旧最勝院社家頭の小野磐根(いわね)(旧名若狭)と長利薩雄(おさりさつお)(旧名薩摩)が任命された
通史編2(近世1) (寺社政策)

社家においては、惣禄所(そうろくじょ)最勝院と社家頭(しゃけがしら)八幡宮小野家・熊野宮長利(おさり)
通史編3(近世2) (宗教と交通統制の低下)

一方神職は神明宮(しんめいぐう)をはじめとして八幡宮神官小野若狭・熊野宮神主長利薩摩(おさりさつま)を社家頭
資料編2(近世編1) (【解説】)

史料名は総称であり、各冊は例えば「宝暦六年 御用留書」などの表題が表紙に付されている)は、弘前八幡宮の社家頭小野家
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