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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(神明宮)
神明宮
神明宮
(現弘前
神明宮
)は、慶長七年(一六〇二)、為信が鎮護国家のため堀越城内に創建し、信枚によって /
神明宮
資料編1(古代・中世編)
(岩木1~19)
岩木1~19 岩木1 中岩木町如来瀬字山田-
神明宮
境内- 岩木2 中岩木町如来瀬字山田-
神明宮
境内,- 岩木3 中岩木町如来瀬字山田-
神明宮
境内- 岩木4 中岩木町兼平字山下林添-天満宮境内- 岩木
資料編1(古代・中世編)
(青森1~2)
青森1~2 青森1 青森市石江字高間-
神明宮
境内- 青森2 青森市宮田字玉水-念心寺墓地-
資料編1(古代・中世編)
(弘前1~133)
弘前市町田字山吹-大石大明神堂内- 弘前120 弘前市中崎字野脇-薬師堂内- 弘前121 弘前市三世寺字色吉-
神明宮
境内,- 弘前122 弘前市三世寺字色吉-
神明宮
境内- 弘前123 弘前市三世寺字色吉-
神明宮
境内-,弘前124 弘前市三世寺字色吉-
神明宮
境内- 弘前125 弘前市三世寺字色吉-
神明宮
境内- 弘前126, 弘前市三世寺字色吉-
神明宮
境内- 弘前127 弘前市三世寺字色吉-
神明宮
境内- 弘前128 弘前市鬼沢字鶴喰
通史編3(近世2)
(祈祷の地としての南溜池)
によれば、このたびの雨乞いは、領内の田畑のみならず、「弘前町中」の井戸が枯れ、町人たちが難渋しており「
神明宮
,結局は、「
神明宮
」の神楽は同宮にて行い、「神明獅子舞」と太鼓をはやし、灯籠を多数出して雨乞いを行いたいとする
通史編3(近世2)
(神道)
図202.神職組織と神道本末関係図
神明宮
(現弘前
神明宮
)神主斎藤長門のみは寺社奉行の直接支配,山村伊勢・和泉の父子が、住吉宮の護国神を唯一神道で祀り、寺社奉行から直接の取り扱いを受けてきたので、
神明宮
神主斎藤長門,元禄十五年(一七〇二)の「
神明宮
社縁起」(資料近世2No.四一七)によれば、神主斎藤長門は初め伊勢神宮
通史編3(近世2)
(伊勢参り)
元禄二年(一六八九)、町年寄松井四郎兵衛と
神明宮
(現弘前
神明宮
)神主斎藤長門が町人と藩士の代参として伊勢神宮,伊勢講・代々講が組織されたが(『永禄日記』)、享保六年(一七二一)、庄屋宅に宿をとった伊勢の御師から
神明宮
通史編3(近世2)
(神仏分離の準備)
その他、明治三年九月からは
神明宮
神官斎藤長門が社家長代に任命され、藩は彼ら三人を通して神仏分離を進めていった,同三年六月には新政府より大小社の調査が求められたが、これに対して藩では「藩内御崇敬神社調」を提出し、弘前
神明宮
通史編3(近世2)
(藩政前期為信)
慶長七年(一六〇二)の為信の棟札(同前No.一五一)が現存する弘前
神明宮
は、初め堀越城内に創建、のち、,図188.
神明宮
棟札 天正十四年(一五八六)に為信は深沙宮(じんじゃぐう)(現猿賀神社、南津軽郡尾上町
資料編3(近世編2)
(【解説】)
これは、弘前
神明宮
神主齋藤長門支配の神職のものであるが、弘前藩内の神職全員に行われたものであろうことが,「神社」の「神祇管領吉田家諸国社家執奏記」には、藩内で八幡宮(弘前八幡宮)・熊野宮(熊野奥照神社)・
神明宮
,(弘前
神明宮
)・岩木山下居宮(岩木山神社)・深沙宮(猿賀神社)の五社のみが記されている。
資料編1(古代・中世編)
([付図])
弘前市町田字山吹 大石大明神堂内 120 弘前市中崎字野脇 薬師堂内 121~127 弘前市三世寺字色吉
神明宮
境内,田舎館村大袋字樋田 稲荷神社境内 2 田舎館村東光寺字村林 二津屋共同墓地 岩木 1~3 岩木町如来瀬字山田
神明宮
境内,沢町舞戸町字鷲見 斉藤ひさ氏宅地内 市浦 1~5 市浦村相内字相内 蓮華庵境内 青森 1 青森市石江字高間
神明宮
境内
通史編3(近世2)
(二代信枚)
このほか誓願寺(せいがんじ)大堂、長勝寺山門の建立や熊野宮(現熊野奥照神社)、
神明宮
(現弘前
神明宮
)、
資料編3(近世編2)
(1 弘前城の歴史)
なお、ここ高岡の地名を弘前と改めたのは、八幡宮や
神明宮
、東照宮などがそろい、岩木山下居宮の楼門などが竣工
通史編3(近世2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
野辺地町歴史民俗資料館 平賀町教育委員会 弘前市教育委員会 弘前市立図書館 弘前市立博物館 弘前
神明宮
資料編1(古代・中世編)
(二 青森県の板碑分布)
なお、青森湾岸には青森市内に二基あり、そのうち石江
神明宮
の板碑は、菅江真澄の写生画が正しいとすれば第一,菅江真澄の描いた
神明宮
と板碑 (『栖家能山』秋田県立図書館蔵) 板碑の分布状況を別の観点から
通史編3(近世2)
(弘前八幡宮小野家)
神職に対するキリシタン改めの具体的な例は、
神明宮
(弘前)神主斎藤長門配下のものが残っている(資料近世2No
通史編3(近世2)
(塵芥捨ての実態)
天明八年(一七八八)十月には、城下の北に位置する
神明宮
(現市内東城北二丁目)への通りを西から東へ横断して
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
新寺町新割町、足軽町は富田町、普光寺跡門前は住吉町、和徳足軽町・薬王院・薬王院門前町は和徳町、座頭町は小人町、
神明宮
社家
通史編4(近・現代1)
(明治天皇崩御)
聖上陛下御容体御変調平静ナラザル趣(おもむき)ニ付、御平癒祈願ノ為メ児童代表一学級三名宛(あて)職員モ三部ニ分レ八幡宮、
神明宮
資料編1(古代・中世編)
(第二節 五輪塔)
かれた中里村五林(現中里町)の五輪塔と宝篋印塔 和徳町武田氏地所 水輪 三世寺
神明宮
疱瘡神
通史編3(近世2)
((二)年中行事と生活)
十五日…
神明宮
へ神酒・赤飯。 五月中…宇和野(うわの)(現市内小沢字大開(おおびらき))で軍立て。
通史編3(近世2)
(小社の神仏分離)
⑥
神明宮
・八幡宮・熊野宮・天満宮のほかは何神社と社号を改名すること。
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
同元門前 笹森丁 長坂丁 蔵主丁 大浦町 同細小路 亀甲町 若党丁 春日丁 馬喰丁 座頭町 小人町
神明宮
社家
通史編3(近世2)
(宗教と交通統制の低下)
たいぐうじ)・最勝院(さいしょういん)といった大寺院が中心となり、本山・末寺制度を通して、一方神職は
神明宮
通史編3(近世2)
(瓦の利用)
下湯口の
神明宮
にある嘉永六年(一八五三)の寄進札の最初に「一、瓦・左官 石岡林兵衛」と記されている。
通史編2(近世1)
(本村と新田)
三世寺村の産土(うぶすな)神であった
神明宮
の境内には、現在付近から集められた板碑が七基安置されているが
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
にかけて八幡宮とその別当寺院の真言宗最勝院、熊野宮、および神職の住む禰宜町(ねぎまち)、伊勢大神宮(
神明宮
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
熊野奥照神社 坂上田村麻呂 大同二年(八〇七) 伊弉那岐命・伊弉那美尊 弘前
神明宮
もと、松神村
通史編2(近世1)
(初代為信の動向)
また、
神明宮
(現弘前市東城北二丁目)には、完成を期して慶長七年九月に為信が奉納した大神宮宝殿の棟札が現存
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
185 弘前市 大仏院蔵 186 弘前市 長勝寺蔵 187 弘前市 貞昌寺蔵 188 弘前市 弘前
神明宮
蔵
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長七年(一六〇二)九月、津軽為信、
神明宮
へ建立の棟札を奉納する。,●元和九年(一六二三)八月、津軽信枚、高岡
神明宮
に棟札を奉納する。
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