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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) ((二)神職組織)

(二)神職組織 各堂社には、それぞれ仏教系の修験と神道系の神職が存在してきたが、その実態は明らかでない / (二)神職組織
通史編3(近世2) (神仏分離の準備)

そのため藩内の全神社は寺院の支配を離れ、社寺調方の直接扱いとなったが、一方で新たな神職組織の再編成を迫,図76は安政年間(一八五四~一八五八)の神職組織であり、図77は明治二年八月~同四年十二月の神職組織であるが,図76.旧藩時代の神職組織(安政年間) 図77.明治初期時代の神職組織(明治2年8月~同4年
通史編3(近世2) (神道)

神職組織は延宝六年(一六七八)に寺社奉行が設置されて、寺社行政が整備されていく中で形成されてきた。,神道の本末関係と神職組織は、安政二年(一八五五)の「神社微細社司由緒調書上帳」(同前No.四二一)から,図202.神職組織と神道本末関係図  神明宮(現弘前神明宮)神主斎藤長門のみは寺社奉行の直接支配,吉田家は津軽弘前藩のように、最勝院・社家頭の下に置く神職組織を奇異なものとしてみていた。,このような藩の神職組織は、秋田・盛岡・松前の北奥羽諸藩および支藩津軽黒石藩にもみられない特異なものであった
通史編3(近世2) (弘前八幡宮小野家)

社家頭は社人頭(しゃにんかしら)・注連頭(しめかしら)とも呼ばれ、神職組織ができたのはこの時であろう。,寺社奉行の設置によって寺社行政が整備されていく中で、神職組織も整えられていった。
通史編3(近世2) (住吉宮)

山村伊勢・和泉父子は吉田家へ越訴(おっそ)に及んだが、これまでの神職組織を変えるまでには至らなかった(
通史編3(近世2) (藩政後期)

このような急激な財政再建は領内経済を混乱させ、標符の廃止、乳井の失脚によって終わったが、寺社領、寺社門前、神職組織
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