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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編3(近世編2) (三 祭礼と旅)

三 祭礼と旅 (一)八幡宮祭礼 (二)旅に出る人々 / 三 祭礼と旅
通史編3(近世2) (三 八幡宮の祭礼と山車の運行)

三 八幡宮の祭礼と山車の運行 慶長十七年(一六一二)、二代藩主津軽信枚は、八幡村(現中津軽郡岩木町),「国日記」によれば、この時、祭礼を記録した別帳を作成しているが、現存しない。,藩庁側は、祭礼は「諸民安全」「田畑豊熟」のために行うものと認識していた(「秘苑」)。,このように、祭礼に女子の参加も認められていた。,図24.弘前八幡宮祭礼図①黄石公と張良 目録を見る 精細画像で見る 図24.弘前八幡宮祭礼図 / 三 八幡宮の祭礼と山車の運行
通史編5(近・現代2) (山車行事)

神道の儀礼に付随し、民間の行事ともなっているのが、山車行事であり、屋台(ヤマ)と練(ね)り物・町印は祭礼,天和二年(一六一六)に八幡宮祭礼が始まり、山車は隔年に巡行された。
通史編3(近世2) ([口絵])

観桜観楓図 (右隻) 口絵7 新井晴峰筆 観桜観楓図 (左隻) 口絵8 弘前八幡宮祭礼絵馬
通史編3(近世2) ((一)衣服)

(一)衣服 全国的にみると、正月の廻礼や婚礼・葬礼・祭礼における礼装には、五郎丸(ごろまる)(麻布の
通史編3(近世2) (八幡宮)

天和二年(一六八一)から、八月十五日の祭礼には、隔年で神輿の渡御、町内から山車の行列が出て見物人でにぎわった
通史編5(近・現代2) (一 古典邦楽)

明治初年には音楽が祭礼や学校行事にかかわって余命を保ったことがわかる。
通史編4(近・現代1) (民次郎を継ぐ心)

岩木山麓の原野は津軽の村々の入会地・草刈場で、祭礼の交流もあり、各地の情報も広く行き渡っていた。
通史編3(近世2) (概観)

第二は、藩の公事とは直接かかわらない、ねぷた絵や凧絵、さらに陶芸や玩具、祭礼の装飾や衣装、こぎんなど民間
通史編3(近世2) ((一)衣服)

ただし一部の農民は、儀礼用として婚礼・葬礼・祭礼などに裃を着用している(河鰭実英『きもの文化史』一九六六年
通史編5(近・現代2) ([口絵])

口絵42 こみせ 口絵43 角巻(かくまき)姿の女性 口絵44 新鍛冶町を行く祭礼
通史編3(近世2) (新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)

…………  60     四 塵芥捨場と道路の整備 …………………………………  68   第三節 祭礼, 75     二 ねぷた運行 ………………………………………………  79     三 八幡宮の祭礼
通史編3(近世2) (神道)

宝暦五年(一七五五)には社家頭小野左門が吉田家へ赴く理由として、藩主社参と祭礼の時、無官では神事が務められないという
資料編3(近世編2) (【解説】)

第四節「人々の風俗と慣習」では、藩士・農民・町人を区別せずに、年中行事・日常生活・祭礼と旅についての史料,第三項では、弘前城下の八幡宮祭礼と藩士の旅に関する記録を収録した。
通史編3(近世2) (拡大する風儀・治安の乱れ)

また、盆踊りなどの祭礼時には庶民の不満が爆発的に発散されるが、当時非常に無軌道な若者がいたのも事実であった
通史編3(近世2) (一〇代信順の治世)

その他、鳴物停止(なりものちょうじ)(歌舞音曲(かぶおんぎょく)などにぎやかな諸芸や遊技・祭礼などの禁止
資料編3(近世編2) (新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)

   (五)災害と飢饉 ……………………………………………………………………………  八一四   三 祭礼,と旅 …………………………………………………………………………………  八一五    (一)八幡宮祭礼
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